1. 訴訟ビジネスと名誉毀損裁判、格好の客はツイッターとFacebookのユーザー

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2020年02月06日 (木曜日)

訴訟ビジネスと名誉毀損裁判、格好の客はツイッターとFacebookのユーザー

原告の勝率が高い裁判の代表格は、名誉毀損裁判である。その最大の原因は法理にある。日本の名誉毀損裁判では、訴因となった表現が真実であること、あるいはおおむね真実に相当することを証明する責任が、原則として被告側に課される。

たとえば「B新聞社の『押し紙』は30%ぐらいある」と書いた場合、書いた側がそれを立証しなければならない。数値が推測によるものであることを強調するために「噂によると」という表現を付してから、「B新聞社の『押し紙』は30%ぐらいある」と表現しても、そんなものは通用しない。事実の摘示として処理される傾向がある。「押し紙」問題のように、公益性が極めて高い問題でさえも、裁判所は同じような扱いにする。

このような日本の法理に対して、たとえば米国の名誉毀損裁判では、原則として原告の側に立証責任が課される。そしてスラップと判断された場合は、入り口の段階で却下され、逆に原告にペナルティーが課せられる。

日米の法理の違いと、日本の名誉毀損裁判の問題点は昔から指摘されてきたが、依然として改善されていない。その結果、最近になって重大な問題が新たに浮上している。

◇簡易裁判所で「小遣い稼ぎ」
それは訴訟ビジネスの「繁栄」である。わたしは、「訴訟ビジネス」の事例を取材しているが、名誉毀損裁判は本人訴訟で起こしても、原告が勝訴することも珍しくない。実際、わたしの知人で、簡易裁判所で名誉毀損裁判を起こして、暇つぶしに「小遣い稼ぎ」をしているひとがいた。

素人でも勝訴できる可能性があるわけだから、プロの弁護士が事務所のビジネス展開を考えたとき、名誉毀損裁判に飛びつく場合があるのだ。辣腕でなくても勝訴できるから、ある意味では職能の低い人には生存術として最適なのだ。

これらの弁護士にとって、幸いしているのが、ツイッターやFacebookの普及である。これらのメディアでは、表現についての見識に乏しい人々がうようよ登場している。当然、名誉毀損的な表現が散見できる。この点に目を付ければ、訴訟ビジネスが成立する。重大な社会的事件に取り組むよりも、よほど金になる。

聞くところによると、弁護士が集まって、ツイッターやFacebookの名誉毀損的表現について学習会を開いているケースもあるらしい。表向きは、「人権擁護」のための活動であるが、結果として言論をどんどん委縮させていくことは間違いない。恐ろしい傾向である。

司法制度改革で弁護士を大幅に増やした弊害にほかならない。

◇自由な発想の抑制
言論により他人を誹謗中傷することがあってはならない。しかし、人間の感覚というものは、年齢により、国民性により、あるいは性別により、さらには知識量や時代によっても異なってくる。たとえば朝鮮の人々は、そもそも民主主義という概念に乏しい。歴史的に独裁者の国であったからだ。

人間の意識はひとつの物差しでは測れない。それにもかかわらず司法が表現の範囲を決めてしまうと、自由な発想が抑制されることは間違いない。

その意味では、ツイッターやFacebookの表現問題も、反差別のカウンター運動が内包している狭義性と共通している。差別はいけない。誹謗中傷はいけない。が、それを法律で規制するのは、もっと問題があるのだ。解決は、別の方法に求めなければならない。たとえば格差社会を是正して、差別の温床を根本からなくすとか。

まして「不適切な表現」がビジネスに連動してしまうと、それを飯の種にするという恥ずべき層が増えてしまうのである。