1. 公共事業は諸悪の根源⑯デッチ上げまでした司法 その2【後編】

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2014年08月13日 (水曜日)

公共事業は諸悪の根源⑯デッチ上げまでした司法 その2【後編】

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

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さらに、朝日は主張の根拠として持ち出したのが、日本新聞協会の「編集権声明」だったのです。朝日の書面はこうです。

 「被告も加盟する日本新聞協会は、新聞の自由と編集権について、1948年3月16目付『編集権声明』において、以下の見解を公表し、現在に至っている。

 『新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き、一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である。この自由はあらゆる自由権の基礎であり民主社会の維持発展に欠くことが出来ぬものである。また、この自由が確保されて初めて責任ある新聞が出来るものであるから、これを確立維持することは新聞人に課せられた重大な責任である。編集権はこうした責任を遂行する必要上何人によっても認められるべき特殊な権能である。

 1編集権の内容

 編集権とは新聞の編集方針を決定施行し報道の真実.評論の公正並びに公表 方法の適正を維持するなど新聞編集に必要な一切の管理を行う権能である。 編集方針とは基本的な編集綱領の外に随時発生するニュースの取扱いに関す る個別的具体的方針を含む。報道の真実、評論の公正、公表方法の適正の基準は日本新聞協会の定めた新聞倫理綱領による。

 2編集権の行使者

 編集内容に対する最終的責任は経営、編集管理者に帰せられるものであるか ら、編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者 に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる。

 3編集権の確保

 新聞の経営、編集管理者は常時編集権確保に必要な手段を講ずると共に個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある。外部からの侵害に対してはあくまでこれを拒否する。また内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。編集内容を理由として印刷、配布を妨害する行為は編集権の侵害である』

 前述のように、個別の記事を掲載するかしないか、掲載するとすればいつ、どのように扱うかは、まさに新聞の編集権の行使そのものである。そして、その基準について、同協会は2000年6月21日付制定『新聞倫理綱領』において、以下のように定めている。

 『おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。

 正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねず、所信を貫くべきである』」

この文面の「2 編集権の行使者」のみ、朝日は都合よく抜き出したのです。「編集権」は、経営者にあるから、記者が何を書いて来ようと、記事にする、しないは、経営者の裁量権の範囲内。記者には、私の言う「報道実現権」は存在しない、と言う論理立てです。

 ◇朝日の「国民とともに立たん」

なんと、幼稚な主張でしょうか。「声明」は、記者・ジャーナリストなら、常識です。私は、むしろこの文面も念頭に、「記者には、『報道実現権』がある」と主張したのです。

新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である」です。私の河口堰報道は、「記者の任務」そのものだからです。「報道を行う自由」は、「あらゆる自由権の基礎」であり、経営者が報道を弾圧すれば、「民主社会」を破壊します。「論評は世におもねず、所信を貫くべきである」だから、私は経営者や職制の邪心に「おもねず」、記者としての「所信」を貫くとともに、朝日自身の「編集権声明」からの逸脱に対し、異議を申し立てたに過ぎません。

私は現役時代、社員一人一人に配られた「朝日新聞社史」を改めてひもどきました。記者時代は忙しく、ちらっと目を通した後、本棚で埃をかぶっていたのです。朝日は、「協会声明」に先立つ3年前の1945年、「国民とともに立たん」を紙面に掲載しました。

終戦から3カ月後に書かれた有名な文章です。この欄の年配の読者なら、全文は覚えておられなくても、この言葉を聞いた方は多いと思います。社史には、この文章が朝日の紙面に掲載されるまでの経過・背景を事細かに書かれています。

要約すれば、戦禍を目の当たりにして、ジャーナリズム・ジャーナリストとしての戦争責任が、朝日社内でも厳しく問われました。とりわけ、軍部・国家権力に屈し、国民に真実を伝えなかった経営陣の責任を、社員・記者は激しく突き上げました。経営陣は、引責辞任を表明。その時、二度と過ちを繰り返さないと、読者への謝罪・誓いも込めたのが、この文章なのです。

「(経営陣が)総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分果たし得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして、事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民とともに立ち、その声を声とするであろう。いまや狂爛怒涛の秋、日本民主主義の確立途上、来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである」

常に権力からの圧力にさらされているのが「報道の自由」です。口先やきれいごとの建前論で、貫けるはずもありません。おびただしい戦死者や空襲の焼け跡に呆然と立ちすくむ国民を見て、朝日は経営者自らの「微力」を自覚しました。

◇戦後の誓いはどこへ行ったのか?

経営者だけが編集権を一方的に振るうのでは、「微力」で権力者に抗しきれず危ない…。一人一人の記者・社員の意志を尊重。その集合体である「従業員の総意」を基調に、経営者と従業員が総がかり、相互監視の中で朝日の「規範」「使命」を貫き通す。そのことで、戦前果たしえなかった「真実の報道、厳正なる批判の重責」を果たすことを読者に約束したのがこの文章です。

この精神を基調に定めたのが「朝日新聞綱領」であり、その具体化が「行動規範」、「記者行動基準」です。記者に「独立と公正」、私の言う記者の「報道実現権」を保証し、わざわざ就業規則に「従業員の人格権の尊重」を盛り込んだのも、ここに原点があります。

つまり、「いかなる権力にも左右されず」、「国民の知る権利に応えるため」、「言論・表現の自由を貫き」、「市民生活に必要とされる情報」を伝えることで国民の「知る権利」に奉仕し、「あらゆる不正行為」を「正確かつ迅速に提供し」、「より良い市民生活の実現を目指す」…。「行動規範」で定められた朝日の編集権の目標は、記者の「独立と公正」、私の言う記者の「報道実現権」を保証することで実現すると言うのが、朝日の読者に対する約束、戦後の誓いでもあったのです。

もちろん、ジャーナリストとしての「戦前への反省」は朝日に限ったことではありませんでした。当時の朝日は輝いていました。朝日がリードする形で、同じ思いのジャーナリストたちの総意で、その3年後に自戒を込めて書きつづったのが、朝日が私への反論に使った新聞協会の「編集権声明」です。

経営者は「微力」です。「役割が何か」を文章にしてタガをはめないと、内外の圧力に屈し、いつ腰砕けになるかも知れません。だから、「編集権」とは「報道の真実.評論の公正並びに公表 方法の適正を維持する」機能であると明記。「外部たると、内部たるとを問わず」、「故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害し、あるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したもの」と、釘を刺しました。

そのうえで、経営者には「個人たると、団体たると、あらゆるものに対し、編集権を守る義務」があり、「内部においても」「編集方針に従わぬものは」「編集権を侵害したものとして」、「排除する」責任を課したのです。

もちろん経営者自身も例外ではありません。経営者が「定められた編集権」から逸脱・濫用する「内部勢力」になり下がれば、自らが「排除」の対象になると定められているに他なりません。

つまり、「編集権」を持つ新聞経営者の最大の仕事は、読者・国民の「知る権利」に応え、日夜、そのために努力する記者の「報道実現権」を尊重、内外の圧力から守ることにあります。経営者が「編集権」を行使するに当たり、この基本原則を逸脱しないようタガをはめ、「重大な責任」を負わしたのが、新聞協会の「編集権声明」であることぐらい、ジャーナリストならイロハのイなのです。

「編集権声明」は、編集権を持つ新聞経営者の「責任」を明記したもので、権利について書かれたものではありません。これを根拠に、新聞経営者の「編集権」が唯一絶対で、「報道の真実.評論の公正並びに公表 方法の適正を維持する」機能から逸脱し、読者の「知る権利」を侵害する「報道弾圧権」を持つという結論は、どう文面を逆さから読んでも導き出せません。「編集権を誤解ないし曲解している」は、どちらの方か、です。

◇編集権の濫用で言論統制

戦争責任にさいなまれたジャーナリストの先人が、「日本民主主義の確立」を目指し、身を削る思いでまとめたのが「編集権声明」です。派閥力学で腐敗した朝日が、自らの報道弾圧を正当化する道具として裁判に持ち出したのです。

「国民とともに立たん」は、幾多の戦死者・犠牲の上に築かれたジャーナリズムとしての何より重い戦後の反省だったはずです。朝日の読者・国民への約束は、何だったのか。私はますます腹が立って来ました。どうしてもこの裁判に勝ち、朝日の体質を根本から変える以外にない…。そんな思いを、この時さらに強くしたのです。

次に、朝日はこう続けました。

 「被告は言論の自由、表現の自由を重んずる新聞社である。新聞づくりの理念をまとめた『朝日新聞綱領』は、『不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す』と定めている。社外に対してはもちろんのこと、社内においても、自由闊達な議論を日夜重ねている。このことは、被告の社風であり、伝統でもある」

 「客観的かつ正確で公正・敏速なニュース報道を実現するため、記者が自主的にテーマを定めて取材し原稿を執筆する自主性も尊重しており、記者にはかなりの活動の自由が認められている」

 「ただし、その自由は、記者が書いた原稿を常にその記者の思惑通りに記事として掲載することまでを保障したものではない。原稿がニュースとしての価値を持ち、朝日新聞の記事として読者や社会全体に自信をもって発信できる正確さと質を持った社会に必要とされる情報か、その取捨選択の吟味や内容の修正、掲載時期の調整等は、被告の編集権に属するものである」

 「労働契約上の関係からみても、被告の従業員就業規則第8条①は、『従業員はその責任と体面を重んじ、職務に精励し、職制によって定められた責任者の指示に従って、職場の秩序を守らなければならない』と定めており、従業員は上司の指示に従って秩序を守らなければならない義務を負っている」

 「もちろん、さまざまな途中過程で原稿を執筆した記者の意見は尊重される。記者とデスクら編集権執行者との間で意見が対立した場合には、徹底的な議論が交わされる。その上で、その日の掲載を見送ることもあるし、いったんはデスクが不採用(ボツ)を決めた上で、『追加取材を加えて出し直すように』と記者に指示することもある」

 「本件訴訟で原告が主張する原稿の取扱いに関する編集権の行使も、日々の編集権行使の営みの一つに過ぎず、他の記事と比べ、また、他の記者と比べ、原告が執筆した原稿に対して、何ら特別扱いをしていない。被告のデスクや社会部長、編集局長らは、繰り返し記事掲載を求める原告の主張に耳を傾け、慎重に吟味検討し、意見を交わし、現段階では掲載できないと判断したことについて、辛抱強く説明して理解を求めてきた。そして、本件訴訟で原告が主張する原稿については、後述するように記事として掲載しており、単に原告の思い通りの時期だったか否か、また、書いた原稿の全部が掲載されたか否かと時期と分量や補足取材の要否の点で、原告が不満を述べているに過ぎない」

よくも、ぬけぬけとこのような事が書けたものです。本欄の読者には、いささかうんざりされたかも知れませんが、私がなぜ、朝日とのやり取りをこのシリーズ⑤―⑭「ジャーナリズムでなくなった朝日」で、詳細に再録したか。これで分かってもらえたと思います。

◇朝日が記者職を剥奪した重い事実

私に対する朝日の対応を想い出して下さい。これで「言論の自由、表現の自由を重んずる新聞社」と、言えるのでしょうか。本当に「自由闊達な議論を日夜重ね」、「編集方針に沿って取捨選択」しているでしょうか。「原稿を執筆した記者の意見の尊重」など、実際に存在すると言えるのですか。朝日得意の建前論に過ぎません。

もし、朝日が建前通り、ジャーナリズムとしての内実が備わっていたとしたら、河口堰報道が止められることもなく、このような訴訟を私が起こす必要もなかったのです、

私の報道を止めた挙句、異論を言えば、「記者ではいられないようにしてやる」という社会部長の脅しやデスクが下を向いて肩を震わすのも、「日々の編集権行使の営みの一つに」に過ぎないのでしょうか。「デスクや社会部長、編集局長らは、慎重に吟味検討し、意見を交わし」とは、いかなる事実経過をもって言うのでしょう。

従業員就業規則第8条①は確かに「職務精励義務」を定めています。しかし、②の「従業員の人格尊重義務」をほおかぶりでは、いくら裁判の主張としても、ご都合主義が過ぎます。

「辛抱強く説明して理解を求めてきた」のは、朝日でなく私の方だったことも、ここまで読み進められた読者なら自明のはずです。私はやむを得ず裁判になる場合も、最初から想定していました。「信頼回復を求められる決着とは、いかなる決着か」などとすべて文書での回答を求め、朝日はまんまと私の戦略にはまり、お粗末な回答書を送ってきました。

読めば、私から記者職を剥奪したことに対し、「高度」どころか、何ら「説明責任」を果たしていないことは明らかです。大量の回答書も証拠としてすべて裁判所に提出済みです。裁判官が公正・公平、真面目に読みさえすれば、私が反論するまでもなく朝日の空論は明白です。私が法廷で「朝日の際限ないウソ」について、立証していくことは山ほどあります。

朝日が主張する事実関係

朝日は、さらにこうも続けました。

「個別の記事の採否やその理由に関する新聞社の編集権の行使を、安易に司法審査に付すべきではないことは、前述の日本新聞協会『編集権声明』の趣旨 に照らして明らかである。これは、当該記事掲載の当否のみならず爾後の同種報道をも拘束する危険を有しており、憲法21条第1項が保障する表現の自由を侵し、また同条第2項が定める検閲禁止の理念にも反するといわざるを得ないからである」

私がいつ「安易に司法審査に」に付したのでしょうか。私は朝日自ら「憲法21条第1項が保障する表現の自由」を侵していなければ、この訴訟を起こしていません。ブラ勤に耐え、「事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪」にもさいなまれつつ、出来る限り裁判を避け、ジャーナリズムの掟に基づいて解決したいと、定年まで辛抱強く、朝日に話し合いを求め続けました。

何度も「このままでは裁判になる」と、警告もしています。それに耳を傾けなかったのは朝日の方です。定年後も、裁判に訴えることがジャーナリストとしてあるべき姿なのか悩み続けました。こんなことなど、朝日にはどこ吹く風だったのです。

その上で朝日は、事実関係にこう踏み込んで来ました。

 「長良川河口堰報道は、1990年、当時の被告名古屋本社社会部デスクらが原告の原稿を検討した結果、疑問点が解消されず、データに弱い部分があるなどの理由から、そのままでは記事に出来ないと判断し、掲載を見送ったものであり、適正な編集権の行使であった。その後、原告の原稿は、被告名古屋本社社会部及び編集局長室での議論を踏まえ、必要な補足取材をし、その成果も取り込んだ末に掲載可とされ、1993年に紙面化されている」

  「デスクらは原告に対して、1990年の検討過程で、掲載見送りの理由について合理的な説明をしている。原告作成の『長良川河口堰取材資料』と題する書面にも『デスクからは①今の時点では、分析者の名前が出せない以上、朝日新聞の責任でこの計算を明らかにするのは、もし今後水害が起きたときなどを考えれば危険が大きすぎないか②建設省の結果とこんなに違うのは考えられない。建設省も役所である以上そんなに無茶なウソをつくことは考えられない。すくなくとも建設省がどんな方法で計算し、このような記者発表をしたのか、こちらの計算も○○(取材源にかかわるため、原告削除部分)といえども完全な専門家とは言えないのだから、何か計算データに抜け落ちている問題がないとはいえない。もう少し慎重に建設省がどう計算したか見極めてみる必要がある-などの意見が出された。

 それを踏まえ、①建設省にある程度漏れることを覚悟にもう少し多くの学者の意見を聞くとともに、実名で計算結果を発表してくれる学者がいないか探してみる②すくなくともこの計算結果が水理学的に正しいとのコメントを出してくれる学者などを用意すること③建設省がどのような計算をし、このような発表になったのか、さらにこれまでのルートを通じ、何とかもっと探れないか、さらに慎重に詰めることになった』と記載されていることからも明らかである。同書面に『自分の実名で計算を発表させてくれる学者はみつからなかった』と記載があることからも明らかなように、その検討後もデスクらの疑問点を解消できなかったことから1990年当時、原告の原稿は掲載に至らなかったのである」

  「原告からの抗議に対しては、1992年、名古屋本社編集局長(当時)が『掘り起こしたデータを生かしたいのなら、何度も言うようだが、出稿部の中で、正規のルートで上げていくべきだ』『データは今でも使えるのか、当時出たとされる疑問点をクリアするような補強データを新たにつかんでいるのか、ディープスロートは今でも大丈夫なのか、もし建設省が全面否定した場合はどうするのか、どうできるのか--こういった点をひとつひとつ、デスク諸公に根気よく話してみたか。小生には貴兄がそうしたとは、とても思えない』『貴兄のつかんでいるデータがすごいものなら、必ず陽の目を見るだろう。そうなりにくいなら、まだデータとして弱いからで、さらに努力して、補強する気持が湧いてくるだろう』などと回答したように、合理的な説明をしている。結局のところ、原告は、原告の執筆した原稿が当初企図した通りには掲載されなかったことに対する不満を述べているに過ぎない」

◇誰がジャーナリズム倫理を逸脱したのか

ここまで読み進めた段階で、私の怒りはすっかり覚め、「しめた」と思ったのです。朝日では訴訟になると編集部門でなく、管理本部の法務部門が対応します。事情を知らない管理本部の朝日官僚と依頼した弁護士が、私の証拠をろくに読まず、書面を適当に作り上げたことが歴然としていたからです。

何故、朝日の編集局が私の取材の具体的な検証を頑なに避け続けたのでしょうか。「1990年」の段階で、取材に記事に出来ないような取材不足は存在せず、踏み込むと自らの不当性を認めざるを得なくなります。逃げ口が閉ざされるから、「決着済み」などと訳のわからない逃げ口上を続けて来たのです。

このシリーズの①―④「長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ」をもう一度、読み返して下さい。「検討過程で、掲載見送りの理由について」、デスクが私に説明し、「疑問点」を埋めるよう指示したのは事実です。しかし、「1990年」でも、4月初めのことです。

私は「建設省がどのような計算をし、このような発表になったのか、さらにこれまでのルートを通じ、何とかもっと探れないか」とのデスクの指示に基づき、建設省の極秘文書をさらに多数入手。パソコンも駆使し、「自分の実名で計算を発表させてくれる学者」など蛇足に過ぎなくなるほど、建設省の隠ぺい工作の手の内を、その年の6月末までに余すところなく解明、記事化を迫りました。

だからデスクは、「掲載見送りの理由について」、私に説明のしようがなかったのです。その経過は、証拠として提出した「長良川河口堰取材資料」の中にも、明確に書いています。

「1992年、名古屋本社編集局長」も私の申し入れに逃げまくった挙句、転勤直前になって、苦し紛れの手紙を送って来たに過ぎません。本当に「データとして弱い」と思っていたなら、原稿が何故「陽の目」を見ないのか。それまでにいくらでも私に説明出来たはずです。

朝日は新聞協会声明の一部をつまみ食いしました。同様に私の文書の一部もつまみ食いしたのです。「不利益変更法理」では、具体的事実に照らして雇用主の裁量権、つまり編集権や人事権に逸脱・濫用があったかどうか、判断されます。こんな事実に踏み込んでくれた以上、飛んで火にいる夏の虫です。

裁判官が証拠を読むだけで、朝日が説明責任を果たしていないことは、すぐに分かります。後は建設省内部から入手した多数の極秘資料も証拠として提出。取材源を明かさずとも、入手時期を明確にするだけで十分に、1990年6月段階で完全に建設省のウソを証明する資料を私が入手していて、「取材不足」が存在しなかったことの立証はいとも簡単に出来ます。

朝日が河口堰取材をなぜ陽の目を見させなかったか、どちらにジャーナリズム倫理からの逸脱があったのか、在社中一切論争に応じて来なかったのが、私にとって最大のフラストレーションでした。これで私は、公開の法廷で朝日と論争出来ると踏みました。朝日が立ち往生するのがますます楽しみになって来ました。もちろん「編集権声明」の解釈をめぐっても、です。

ここで、今回の紙数も尽きました。以降は次回に譲ります。実は、ここから裁判官はいかに不当な指揮をしたか。この「デッチ上げまでした司法」の具体論に入って行きます。次回以降も、我慢してお読み戴ければ、幸いです。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。

※写真出典:ウィキペディア