1. 公共事業は諸悪の根源⑯ デッチ上げまでした司法 その2【前編】

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2014年08月12日 (火曜日)

公共事業は諸悪の根源⑯ デッチ上げまでした司法 その2【前編】

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

私も参加し、フリージャーナリスト43人による特定秘密保護法違憲訴訟の第1回口頭弁論が6月25日、東京地裁で開かれました。多くの人たちに傍聴・応援に来て戴き、抽選になるほどの盛況でした。私はもっともっと、多くの地域で違憲訴訟が起こされることを期待しています。

なぜ、秘密保護法は危険なのか。人々の「知る権利」がことごとく奪われ、「良心の自由」に基づく社会の浄化作用が機能しなくなるからです。官僚・政治家が、私利私欲、利権目当てに、いかに国民を騙すか。情報をこれ以上隠すことを合法化すれば、国民生活はどこまで悪化するか。この欄の読者は長良川河口堰の例で、もう嫌というほどお分かりのはずです。

既成ジャーナリズムも頼りになりません。私の河口堰報道を止めたのは、朝日幹部が「異能分子」と呼んだ当時の名古屋本社社会部長でした。「異能分子」とは、記者の取材活動で得た情報や人脈を権力者との取り引きに利用する人を指すことは、メディアの常識です。

私の河口堰報道を止めた背景に、「異能活動」が絡んだと言う直接の証拠はありません。でも、もし「異能分子」を介して権力者とメディアの取り引きが常態化しているとしたなら、権力者にとって都合の悪い情報は、メディア経営者によって隠されることになります。既成メディアに頼るだけでは、私たちの「知る権利」は満たされないのです。

いくら政府が、「『報道の自由』を守る」と言っても、どこまで守るか定かではありません。もともと秘密保護法は、権力者の意向でどうにでも運用出来る法律です。たとえ、権力者がある程度「守る」としても、記者クラブに所属する記者だけに保証するのか、この点もあいまいです。

今、記者クラブに所属する若い記者で、やる気のある記者もいない訳ではありません。でも、総じて権力監視の意識が希薄です。私の関心のある公共事業分野でも、国交省の記者クラブで厳しい質問を浴びせているのは、常駐ではないフリーライターのまさのあつこさんだけのようです。

◇住民運動を情報源にしない記者たち

私の住む関西・中部地区でも、自民党政権の復活で無駄な公共事業が次々復活しています。三重県伊賀市に計画され、関西に水を供給する淀川水系・川上ダムも建設に向けての動きが急になっています。

もともと、関西でも水は余っています。このままでは、またもや国民の血税が無駄に消えることに危機感を燃やした住民団体の人たちが、「なぜ、川上ダムが不要なのか」、詳細な資料を添え、計画中止を求める要望書を大阪府に提出しました。私にもメールで届き、読まして戴きました。

私が解明した長良川河口堰同様、ダム問題で国交省のウソを暴こうとすると、宿命的に多くの数字の入った難解な内容にならざるを得ません。しかし、学者によって検証された極めて説得力のある内容でした。

でも、事前に記者クラブに連絡していたにもかかわらず、要望書の提出を取材に来たのは1社もありません。その後、記者会見でも、来た記者は22社中5社だけ。それも記者は質問もほとんどすることもなく呆然と聞いているだけで、結局、1社も翌日記事にしなかったそうです。

権力側は記者クラブでの定例会見など、多くの情報発信ルートを持っています。しかし、住民側にはそれはありません。だから私は記者時代、住民側が何かを訴えようと記者クラブを訪れた場合、出来る限り耳を傾けようと努めて来たつもりです。

しかし、今の若い記者は総じて、そんな意識に欠けているのではないかと、私には思えるのです。難しい内容を住民側が説明しても、「ややこしくして分からない。だから記事にしないでおこう」。そんな程度だったのかも知れません。

記者クラブ論は、この欄でまた別の機会に詳しくやりたいと思います。ただ、この有様では記者クラブで発表される権力側の情報だけが一方的に流布されるのは、無理からぬところでしょう。

 ◇フリージャーナリストと特定秘密保護法

残念ながら、もはや既成メディアに頼っているだけで、国民の「知る権利」は充足されません。だからこそ、穴を埋めるフリージャーナリストの活動が不可欠なのです。

しかし、権力に都合の悪い情報を深く取材しようとしているフリージャーナリストが秘密保護法で狙い打ちにされ、活動が制限されるなら、戦前の報道弾圧・秘密主義国家に逆戻りします。この違憲訴訟に多くのフリージャーナリストが原告として加わったのは、そんな危機感からでした。

私たちは、ますます権力迎合の姿勢を強める司法・裁判所を信じている訳ではありません。この違憲訴訟でまともな判決が出されるとの期待もほとんどしていません。案の定、第1回の口頭弁論で原告団が多くの陳述を求めたにもかかわらず、裁判所が認めたのは3人だけ。それも「一人3分」の制限まで設けました。原告の思いを正面から聞いて、真摯に受け止める気持ちなど、裁判官にはさらさらないようです。

私は、すべての分野での見識が備わっている訳でもなく、使命感の薄れた裁判官の言葉・ご託宣を有難く聞く時代は終わったと考えています。人々の「知る権利」、「表現の自由」、「良心の自由」…、つまり基本的人権を根こそぎ奪う秘密保護法は、裁判官に判断を仰ぐまでもなく、明らかに違憲です。だからこそ、「法の番人」が使命であるはずの司法に訴訟提起し、少なくとも一度は、違憲か否か、彼等に判断させなければなりません。

権力に媚びることで自分の身を守る裁判官が増えた今の司法が、違憲判決を書くとは思えません。かといって、こんな悪法に対し、正面から堂々と説得力のある合憲判決が彼らに書けるのか。今の裁判官にその能力があるとも思えません。違憲、合憲の判断も下さないまま、逃げるのが精一杯でしょう。

でも、そんな判決文の中で、裁判官が何を書くか。それを読んで言質を取り、私たちが裁判官を裁判するのです。判決文が矛盾に満ちていたなら、そこを突いて改めて仕切り直し、秘密保護法を廃止に追い込む新たな闘いを構築すればいいと考えています。ぜひ、多くの皆さんの支援をお願い致します。

 ◇私が体験したでっち上げ裁判

さて、「公共事業は諸悪の根源」シリーズは今回で16回目、司法が戦前の報道弾圧社会の再来を恣意的に目指している実態を報告する「デッチ上げまでした司法」の2回目になります。

前回のおさらいです。私が起こした記者の「報道実現権」の存在を司法に認めさせる訴訟は基本的には、ごくありふれた労働・不当差別訴訟でした。それも親しい弁護士の力も借り、新しい判例を作るような突飛な論理構成を封印。これまで争いのない最も基礎的、ありふれた最高裁判例によって、訴状を組み立てました。

報道の実務は、最高裁判例「真実性の法理」に基づいています。メディアが報道しようとする内容に「事実の公共性」「目的の公益性」があり、「事実が真実と証明された時」(「真実性」)や真実の証明まで出来なくても取材の経過から、「事実と信じられる相当の理由」(「真実相当性」)で裏付けられているならば、原則、名誉毀損などの違法性を問われません。だから、報道機関では、記者が取材した内容が記事として載せられるどうかは、この基準を基に判断しているのです。

一方、労働・不当差別訴訟の基礎的判例は、1986年、経営者の人事発令が「不当配転」か否かについて争われた「東亜ペイント事件」判決で、最高裁が示した「不利益変更法理」です。

裁判所は雇用主に雇用者に対し、人事、査定などの裁量権の存在は認めています。しかし、何をしてもいいという訳ではありません。この法理では、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」は、雇用主の「裁量権の濫用」に当たる、としています。

さらに、雇用者の労働条件を不利益なものに変更する場合、この3条件に照らして抵触していないか、「高度な説明責任」を雇用主に課しています。雇用主が雇用者に納得のいく説明義務を果たしていなければ、「不法行為・債務不履行」が成立します。

 ◇長良川河口堰報道に対する社内からの妨害

私の河口堰取材は、「治水のため」との名目で巨額の血税を注ぎ込んで進められている公共工事が実は全くのデタラメで、現状でも洪水の危険がないのに、建設省は様々にデータを改ざんし、ウソで固めて進められていることを暴くものです。

1990年4月、社会部長の補強取材の指示を受け入れ、その年の6月までに私は、さらに建設省の極秘資料を数多く手に入れ、「事実が真実と証明」する完璧な証拠によって固めました。

この記事をまともに理由も告げずに止めたのが朝日です。私の執拗な編集局長への異議申し立てに朝日では渋々1993年末、1990年6月までの私の取材データのうち、ほんの1部だけを記事として載せています。建設省もこの記事に、何らまともな反論も出来ず、私の指摘を認めています。

しかし、朝日は1993年に記事になるまで、私が編集局長に記事の復活を求める異議申し立てを行ったのを発端に、人事・待遇での差別を始め記者職も剥奪。記者復帰を申し出た私に対して、「記者に戻りたければ、編集局に信頼回復せよ」と迫り、最後には私は全く仕事のないブラ勤にまで追いやりました。

 ◇報復人事――記者からブラ勤・窓際族へ

二つの法理とブラ勤に至るこの経過を重ね合わせてみます。

私の河口堰報道は、税金の無駄使いを追及するものです。記事に「公共性」があることは論を待ちません。「真実性の法理」は、前述の通り報道機関の実務上の基準です。

1990年6月までに私が収集したデータによって、1993年末に記事になったと言うことは、私の取材が1990年6月の時点で「真実性の法理」を満たし、記事になって当然の取材を完成していたことの何よりの証明です。

ありていに言えば、「公共性」「真実性の法理」も満たし、当然記事になるべき取材を記事にしなかった朝日に対し、記事にするよう求めた私の行為のどこが悪いのか。「信頼回復」を朝日から求められ、記者職も剥奪される理由もなく、朝日の行為は不当と言うのが私の主張です。

朝日には、自らの編集方針を示す「朝日新聞行動規範」と「記者行動基準」が明文化されています。記者には「権力監視」を仕事の目標として定め、経営者にはこうした記者の仕事によって得られた情報を伝え、読者の「知る権利」に応えることを求めています。

 ◇記者の職務は権力の監視

私の河口堰報道は、朝日が仕事の目標として記者に求める「権力監視」そのものです。朝日はその報道を理不尽に止めたのですから、読者の「知る権利」に応えなければならないと定める「行動規範」を自ら破ったことになります。

その上、記者職を私から剥奪までしたのですから、その人事権の発動は、「不利益変更法理」で「債務不履行・不法行為」が成立する要件とする、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」に該当するのも明白です。

何より、「記者職を剥奪され、編集局から『信頼回復』を求められるのか」との私の問いに、1993年末、ほんの一部を記事にしたことを持ち出し、苦し紛れに「記事にしたのだから、朝日に非はない。決着済みの問題だ」と言い放っています。

記事にしたことをもって朝日が自らの正当性を主張するなら、朝日は自らの言葉をもって、私の取材が1990年6月の時点で「真実性の法理」を満たしていたことを認めたことになります。

私が「それなら当然、記事になるべきものを1993年末まで記事にしなかったのは朝日の方だ。『記事として載せろ』と、私が編集局長に異議を申し立てた行為のどこが悪い」「記者職を剥奪される『決着』とはいかなる『決着』か」との問いに、朝日は逃げ回り、何も私に説明出来なかったことは、「不利益変更法理」に沿えば、私を記者職から外した「不利益人事」に対し、朝日は雇用者側に課された「高度な説明責任」を果たしていないことになります。これだけで私に対する不法行為・債務不履行が成立します。

訴状で私は、確かに聞きなれない「記者には、『報道実現権』がある」との主張をしました。しかしこれも、記者の特別の権利を新たに主張したものではありません。

雇用者は、雇用主が求める「仕事の目標」に対し真面目に努力し結果を出したなら、労働基準法3条「均等待遇」に基づき、正当に評価されるべき期待的利益、つまり「仕事目的実現権」があります。その「実現権」を記者に当てはめたに過ぎないのです。記者の仕事は「報道」です。だから、「報道実現権」なのです。

 ◇朝日を名古屋地裁へ提訴

ここまで訴状を書き上げ、「当たり前に勝てる裁判」との確信を、私はますます深め、朝日との法廷での対決を楽しみにしたのです。今回はここからです。

名古屋地裁で弁論が始まったのは、提訴から5カ月後の2008年12月でした。私が裁判所に訴状を出した後、裁判官からいくつかの問い合わせがあったり、朝日の弁護人が「多忙」を理由に、法廷に出て来なかったりしたためです。

弁論を前に、朝日から私への反論の準備書面が届きました。内容を読んで、私は「これがジャーナリズムの言うことか」と、驚愕したのです。改めて、朝日の主張を紹介してみましょう。

「『弾圧』や『差別』などと論難されるような違法不当な行為は、被告(朝日)にはまったく存在しない。原告(私)の主張はいずれも、新聞編集や処遇に対する事実誤認や誤解に基づく不合理かつ理不尽な原告独自の見解を並べたに過ぎない」

 「原告(私)主張の『弾圧』『差別』とは、『報道実現権』なるものを根拠として、原告が記者として取材・執筆した原稿が原告の当初企図した通りに報道されてしかるべきであったのに思い通りにならなかった(真実は後述するように、必要な補足取材の末、報道された)という新聞編集に対する不満と、被告従業員として在職中に原告自らが思い描くようなポストや給与では待遇されなかったという人事上の不満を述べているに過ぎない」

 「長年、新聞記者として報道の一線を担い、また、対外的窓口の責任者を任されるなど幹部社員としても要職を歴任してきた原告が、定年退職するや、かかるいわれなき訴えを提起する挙に出たことは、被告として甚だ遺憾というほかない」

 「本件訴えが新聞記者であった原告によって提起されたことは広く知られ、あたかも被告社内に、新聞の自由に反し報道の公正を害し、新聞への信頼を損ねるような弾圧や差別があったかのごとき誤解を、世間一般に生じさせかねない事態に至っている」

朝日の書面は私への非難に満ち満ちていました。

 ◇「報道実現権」の存在を全面否定した朝日

その上で、私が主張した「報道実現権」について、朝日はこう反論しました。

「『報道実現権』とは、『記者が、その所属する報道機関に対して有する、記者が書いた原稿を合理的理由がない限り記事として採用させ、新聞に掲載させる権利』であるとされ、また、『掲載しない場合には、その理由を説明させる権利も派生する』とされている。しかしながら、そのような権利は、わが国においては新聞編集の実務上の概念としても認められていない。もちろん、法的保護に値する権利として判例学説上認められた権利でもないことは顕著な事実である」

 「原告は、一般的な新聞の自由の意味を履き違え、新聞社の報道のありよう、すなわち『編集権』を誤解ないし曲解しているものと言わざるをえない」

「新聞編集の実務上の概念」と言うなら、朝日は自らの「精神基盤」は何かを思い出すだけで十分だったはずです。デスクと記者は、「真実性の法理」と「読者の知る権利に応える責務」を念頭に、原稿が掲載される「一定水準」を満たしているかどうか、日常的に双方が説明責任を果たし、掲載の可否を決めています。これがごく当たり前の「職場慣行」、「実務上の概念」であることなど、記者なら常識です。【続く】

※写真の出典:ウィキペディア