1. 公共事業は諸悪の根源 ジャーナリズムでなくなった朝日 その10【前編】

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2014年05月07日 (水曜日)

公共事業は諸悪の根源 ジャーナリズムでなくなった朝日 その10【前編】

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

安倍政権は、もはや経済再建などそっちのけ。「9条のある国」から、「集団的自衛権」をこの国に取り入れ、9条を形骸化。「戦争の出来る国」、戦前の軍事国家に逆戻りさせることのみに専念しているように見えます。

そんな中、今年も「5.3」、憲法記念日には、様々な行事が行われました。この日は、私たち朝日新聞出身者にとって、特別な日でした。1987年5月3日夜、兵庫県西宮市にある朝日の阪神支局に何者かが押し入り、「反日朝日を処刑する」として、銃弾を撃ち込みました。居合わせた当時29歳の小尻知博記者が死亡、もう1人の記者も重傷を負った日でもあるからです。

朝日では、その年以降毎年、小尻記者の追悼行事を阪神支局でしてきました。しかし、今年、「反日朝日を処刑したのは当然」として、この襲撃を美化するデモを支局周辺でしようとの呼びかけが、ネット上で流されていました。

この人たちが朝日を「反日」と言うなら、私がこの欄で報告した通り、無駄な公共事業で膨大な借金を溜め、この国を沈没させた官僚・政治家は、それ以上の「反日」のはずです。そんな官僚・政治家の所業を読者・国民に知らせる私の記事を止め、彼等の利権漁りに手を貸した朝日幹部も確かに「反日」かも知れません。しかし、襲撃事件を美化する人たちは、こうした「反日」は糾弾しません。その裏にどんな人たち・勢力がいて、どう操られているのか。私はそれが気掛りです。

◇小尻記者の霊前に向かい・・・

昨年も私は憲法記念日に、「言行一致で表現・報道の自由を守る覚悟を 、5・3の憲法記念日に複雑な思い」との文章をこの欄で書きました。今年も昨年と同様、「複雑な思い」でこの日を迎えました。

昨年から今年にかけこれまで9回にわたり私は、「ジャーナリズムでなくなった朝日」について、報告して来ました。私の「複雑な思い」が、何故か。この欄の読者は、より具体的にお分かり戴けたのではないかと思います。

出来れば、「公共事業は諸悪の根源?」の後篇の編集局長から私への手紙についてももう一度、読み返してみて下さい。こんな人たちが小尻記者の霊に向かい、「報道の自由を守る」とぬけぬけと語りかけるのが、朝日の追悼行事です。口先だけで、「人々の知る権利」に奉仕する強固な意志が固まるはずもありません。

◇二枚舌は絶対にあってはならない

冒頭で言ったように、安倍政権の登場で、この国の進路は大きな曲がり角を迎えています。国民はより多くのことを知り、「表現の自由」をもって自分たちの国の在り方について、自らの考え・意見を表明しなければならない時代に来ています。そんな人々に情報を提供するジャーナリズムの役割・責務もより重くなっています。

「表現・報道の自由を守れ」は、口先では誰でも言えます。しかし、権力者が本気で抑圧して来たなら、体を張って心の底から守る覚悟がどれだけのジャーナリズム・ジャーナリストにあるのでしょう。それが問題なのです。

昨年の特定秘密保護法制定の際も、既成メディアは当初及び腰でした。「知る権利」の危機、戦前回帰を心配する多くの国民の声で背中を押されて重い腰を上げ、やっと取り組みを始めました。しかし、制定されるともう諦め、最近ではその報道にお目に掛かることはほとんどなくなりました。

人様に格好のいいことを言うなら言行一致、自らも不退転の決意で、人々の「知る権利」のために真剣に取り組む。二枚舌は絶対にあってはならない。それがジャーナリズム・ジャーナリストたりうる最低限の条件・掟であるはずです。

しかし、この国の既成メディア、とりわけ、幹部に登り詰めた人ほど、その意志を失っていくのは、何故か。「ジャーナリズムでなくなった朝日」で報告しているのは、その具体的な実例です。

この時代だからこそ、人々の「知る権利」のために真剣に取り組むジャーナリズムの再生が必要です。朝日が「過去の過ち・体質」に目をそむけることなく自らの姿をもう一度見つめ直し、言行一致の組織への再生を願うが故に、赤裸々にこの報告をしています。それが追悼式で朝日幹部が語る空虚な言葉より、小尻記者の霊に応えていく本来の道と考えています。

さて、「公共事業は諸悪の根源」のこのシリーズも、もう14回目です。そのうち「ジャーナリズムでなくなった朝日」は今回で10回目、いよいよ朝日についての報告は大詰めです。読者の皆さんも、朝日組織の内情について、それなりにお分かり戴けた頃かと思います。

武富士事件や若い記者による記事の盗用など朝日で不祥事が相次いだ2005年、「その原因は、私の問題と根っこで共通するものがある」として、多くの質問状を私が出したことまでを、前回報告しました。私は社説での朝日の主張も引用。前述通り、ジャーナリズムの掟である「言行一致」を求めたのです。しかし、朝日はまともに回答して来ませんでした。今回はこの後からです。

◇朝日の「信頼される報道」とは?

当時、朝日は私の問題に回答できなくても、体面上、不祥事に真剣に取り組んでいるとのポーズを内外に示す必要があったのでしょう。再発防止のための役員レベルの「編集改革委員会」、その下に中堅、若手社員も参加する「信頼される報道のための委員会」が設立されました。取締役である編集改革委員長は、設立趣旨を次のように語っています。

「編集局の組織、取材方法、紙面、さらに社員の意識が制度疲労、官僚化していないか。一部に傲慢(=批判拒否体質)が出ていないか」「制度疲労の一つの側面として現れた不祥事、そういった体質、構造的体質の背景は私も含むボードも反省しなければならない」「高い倫理観とジャーナリズムの使命感に裏打ちされた記者集団を自覚的に目指していく」

「朝日新聞の長年の財産である自由闊達、談論風発の雰囲気をより醸成させることであり、風通しのよい組織を確立することだ。これはボードが率先して取り組むべきことでもある」「公権力を監視し批判する役割を担っているという自覚だ。今の時代に朝日が頼りだ、朝日がなくなったら困るという読者の声に応えていくことが責務であり、朝日だから伝えられる独自報道の意気込みと組織的、制度的裏付けが必要だ」

「究極のところは、読者の信頼をどう得るかだろう。信なくば、立たずであり、読者の信頼なくして朝日新聞の存立はありえない。一人一人が覚悟として担っていく必要がある」。

またも立派な建前です。私もまさにそう思います。だから、朝日が「言行一致」で、私の問題を真剣に検証したなら、不祥事が起きる「構造的体質の背景」は、自ずと見えて来たはずです。しかし、委員会審議が大詰めを迎えても、私の問題を審議する気配は全くありませんでした。

なら私の方から、委員会に対し、「言行一致」を求めるしかありません。委員会審議に多くの社員の意見を集める社内ネット「信頼フォーラム」というチャットも作られていました。私は、「河口堰報道の記事差し止め問題での朝日の対応を審議に掛け、改革案作りに生かすように」と書き込みました。

「この問題を検証すれば、組織の腐敗の深層が分かります。行動が伴わなければ、従業員、読者に対してさらなる裏切りの積み重ねになります」などとし、報道を止めた経過をかいつまんで説明。私が会社に出した書面・取材資料も添えて、若い社員も参加する「信頼される報道のための委員会」や朝日労組にも送り、検証を求めたのです。

◇「吉竹氏の投稿を削除しました」

しかし、私の書き込みは翌日、朝日により削除されていました。削除理由はこうです。

「吉竹氏の投稿を削除しました。本フォーラムは編集改革に向けた意見交換の場です。建設的で具体的な提言をしていただくよう、繰り返しお願いしてきました。吉竹氏の投稿は、過去の取材の取り扱いとご本人の処遇に関するものです。

とくに人事については、当委員会では検証不能な主張が含まれています。本フォーラムの趣旨にそぐわない内容なのは明らかであり、フォーラムを運営している『信頼される報道のために委員会』の責任者として、削除すべきだと判断しました。なお、これまで吉竹氏から質問書などの送付を受けた名古屋本社や管理本部は、『社としての見解はすでに本人に伝えてある』との立場だと聞いています」

全社員公開のフォーラムに、こんな書き込みをされた以上、私も放置出来ません。「私は『建設的で具体的な提言』をしたつもりです。そのためには、具体的な事実の報告と検証なしにはありえないことは、報道に携わる者としての常識です。

一方的な削除と検証拒否の姿勢は、『批判拒否体質』そのものです。『自由闊達、談論風発の雰囲気』を通じての改革案作りからも、ますます遠のきます」と反論しました。ところが今度は、だんまりを続けてきた管理本部が「本社の対応について」との文書を、突然書き込みました。

◇「報道弾圧」を黙殺する社風に

「吉竹氏が本フォーラムに寄せた投稿を削除した措置に対し、吉竹氏から改めて『意見』が寄せられました。社員の皆さんに誤解のないよう、本社からこれまでの経過を簡潔に説明します。

 吉竹氏が一連の申し入れの『発端』とする長良川河口堰問題についてです。氏は『当時の名古屋本社幹部から思いもよらぬ弾圧を受け、まともに記事に出来ない事態に陥った』としています。

記事の扱いについては日々さまざまな議論があり、執筆した記者の意に沿わない結果になることも、日常的に起きることです。吉竹氏の記事は一旦は掲載見送りになったものの、その後、名古屋本社社会部および編集局長室での議論を踏まえ、追加取材の成果も取り込みながら、紙面化されています。

 次に、吉竹氏は『書く立場から次第に遠ざけられ』『弾圧・報復人事、査定が行われ続けました』としています。吉竹氏は、東京本社管内の県庁所在地支局長、名古屋本社広報室長などを経て、代表付となっています。取材・編集経験がある社員の処遇として、決して『弾圧・報復』と言われるようなものではないと本社は考えています。組織である以上、すべての人が希望するとおりの人事を行えません。

最後に、吉竹氏の申し入れに対する本社の対応です。評価や人事をめぐる不満については、それを取り扱う所定のルートがあります。また、社長宛の文書がたびたび寄せられたことなどにかんがみ、名古屋本社代表が何度か話し合いをするなど、本社の考え方を伝えています。

『株主としての申し入れ並びに質問書』の取り扱いも同様です。吉竹氏は質問書で、『株主』としていくつかの質問をし、取締役会等に回答するよう要求しました。これに対しては、株主総会の事務を管轄している管理本部が書面で回答しています。

その概要は『商法によれば、会社の機関である取締役会として、個々の株主からの申し入れや質問に逐一お答えすることは、法の想定している事態ではないことをご理解いただきたい』というものです」

どちらの主張がまともか、この欄の読者の判断にお任せします。もちろん私は再反論しました。これ以上しつこく書かなくても、私の反論は、皆さんにも大体の想像はつくでしょう。

さすがに、この双方の書き込みまでは朝日も削除せず、私の定年まで残っていました。一時代前の朝日なら、「報道弾圧」「記事差し止め」という言葉に触発され、「削除された投稿や掲載されなかった記事とはどんなものか、内容を知りたい」と、フォーラムにも書き込みが殺到し、社内で大騒ぎになっていたはずです。

しかし、派閥体質に馴らされ、私へのあからさまの仕打ちも見ている社員に、もうそんな活力はなくなっていました。水面下でささやかれることはあっても、フォーラムには私以外、社員からの書き込みはなく一人相撲をするしかありませんでした。

◇無力化した労働組合

教宣ビラなどで経営陣を批判、「改革」に威勢のいい意見を言っていたのが、当時の朝日労組でした。だから「信頼委員会」のほか、労組にもこの問題での取り組みを求めたのです。しかし、労組幹部は私をこっそり事務所に呼び込み、「会社の協力が得られないので、調査には労組として限界がある」と、私の問題に関与しないことを、いかにもバツが悪そうに伝えて来ました。

その後、若い社員も集めた「信頼委員会」も、私の問題を調査しないまま、きれいごとで改革案をまとめました。労組幹部も、委員会に集められた若い社員も、おとなしくしていれば、将来の幹部がほぼ約束されています。私に「信頼回復」を求めた名古屋本社代表も、実は労組委員長経験者なのです。

口先で語り、会社が許容される限り、威勢のいい言葉も飛び交います。しかし、会社に睨まれ、自分の将来に関わると見れば、沈黙が始まります。朝日とは、そうした組織でした。人それぞれには、自分の将来、生活があります。とやかく言うことではありません。むしろ私は、そんな人たちを巻き込み、会社との間で板ばさみにしてしまったことを悔やみました。

私は改めて、一人で闘う決意を固めたのは、その時です。定年まで2年を切り、ブラ勤にも馴れ、もう半分、居直ってもいたこともあります。裁判はいつでも出来ます。「企業内ジャーナリスト」として社内ルールに沿い、まだ出来ることがあるなら、とことん定年までにやっておこうと思ったのです。

◇企業に適用していた追及方法を朝日に適用したが

幸い、フォーラムの書き込みに慌て、朝日はやっと口を開きました。いくつかの言質も取れています。特に管理本部が、フォーラムに「評価や人事をめぐる不満については、それを取り扱う所定のルートがあります」と書いたのは、建設省が「90・4・9」を消し忘れたのと同じくらい、大失態だったはずです。

何故なら、実際に「ルート」があったなら、今までなぜそれにかけて審議しなかったのか。これからでも、「ルート」にかけろと要求されれば、自ずと報道弾圧の是非を審議する場を、私に提供することになります。私がこんなミスを見逃すはずはないのです。

年が明け2006年2月、私は管理本部と改革委員会に、「再々質問状」を出しました。「ルート」問題も含め、フォーラムでの朝日の言質を細かく突き、14項目に分けました。抽象的な答えでは、絶対逃げようのないものです。

これも私が調査報道記者時代、往生際の悪い企業相手に、よく使った手法の一つです。質問書を出し、回答が返って来なかったら、「記者の質問書に答がなかった」と書けば、記事として成立します。まさか朝日相手にこの手法を使うことになるとは、それまで夢にも思っていなかったのです。

◇朝日のコンプライアンス委員会

しかし、予想した通り、これにも回答がありません。あと社員として残る手段は、コンプライアンス委員会への提起でした。度重なる不祥事でこの年の4月、朝日では「朝日新聞綱領」を具体化する「朝日新聞社行動規範」「朝日新聞記者行動基準」が明文化され、違反行為を監視する「コンプライアンス委員会」も、同時に発足していたのです。

「規範」は、まず「朝日新聞社の使命」から始まっています。《基本方針》では「私たちは、新聞づくりの理念を定めた朝日新聞綱領にのっとり、高い倫理観をもち、言論・報道機関としての責務を全うすべく努力します。国民の知る権利に応えるため、いかなる権力にも左右されず、言論・表現の自由を貫き、新聞をはじめ多様なメディアを通じて公共的・文化的使命を果たします」と定めています。

さらに《具体的指針》では、「(ア)新聞、出版物、通信、放送など時代に応じた情報媒体を積極的に活用し、市民生活に必要とされる情報を正確かつ迅速に提供します(イ)あらゆる不正行為を追及し、暴力と闘い、より良い市民生活の実現を目指します(ウ)特定の団体、個人等を正当な理由なく一方的に利したり、害したりする報道はしません。取材・報道に当たっては人権に常に配慮します(エ)取材倫理の徹底を図ります。取材源を守り、取材を通じて得た情報は報道の目的以外には使用しません。また、第三者への漏洩や紛失がないよう厳重に取り扱います」などとしています。

《解説》では、「朝日新聞社は、どんな事業を展開する会社なのか、それは何を目標にしているのか、そのためにはどんな精神基盤が必要とされているのかをしっかりと認識しようというものです。(「朝日新聞綱領」は、)歴史に裏打ちされた、朝日新聞社とその社員の社会に対する約束であり、自らを律する基本でもあります。

また、日本新聞協会は2000年に『すべての新聞人は、読者との信頼をゆるぎないものとするために、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない』との新聞倫理綱領を定めています」とも書いているのです。

また、「会社と従業員の関係」では、「会社と従業員は、それぞれ果たすべき義務と責任を誠実に担い、相互の信頼関係を築き、労働関連法規などを順守して安全で働きやすい職場を目指します」「会社は従業員の人格を尊重し、差別のない職場環境をつくります」「セクシュアル・ハラスメントやパワー・ハラスメントを許さず、明るく風通しの良い働きやすい職場づくりに努めます」ともあります。

「記者行動基準」では、記者が労働により実現すべき目標として、「記者は、真実を追求し、あらゆる権力を監視して不正と闘うとともに、必要な情報を速やかに読者に提供する責務を担う。憲法21条が保障する表現の自由のもと、報道を通じて人々の知る権利にこたえることに記者の存在意義はある」と定めています。

また、「記者は自らの職務に誇りをもち、特定の個人や勢力のために取材・報道をするなど独立性や中立性に疑問を持たれるような行動をとらない。公正で正確な報道に努め、いかなる勢力からの圧力に屈せず、干渉を排して、公共の利益のために取材・報道を行う」と、記者の「独立と公正」の保証も唱っていたのです。

◇管理本部による虚偽の書き込み

朝日の経営者は、「言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し」、「市民生活に必要とされる情報を正確かつ迅速に提供」、「あらゆる不正行為を追及」する覚悟を持っているのでしょうか。「特定の団体、個人等を正当な理由なく一方的に」利する報道弾圧にほおかぶりしたまま、「取材倫理の徹底を図ります」「取材源を守り」とは、得意の作文としても、よくもぬけぬけと書けたものです。

もし、私の記事を止めた裏に「異能活動」が絡んでいたとしたら、「取材を通じて得た情報は報道の目的以外には使用しません」にも違反する可能性があります。どう読み直してみても、私の記事を止めた朝日の経営者は、《解説》にある「精神基盤」の持ち主とは、私には思えません。

建設省の発表・プロパガンダを鵜呑みにして、そのまま記事にするのでは、「記者の責務」は果たせません。「あらゆる権力を監視して不正と闘い」、ウソかどうかを詳しく検証、その上で「速やかに読者に提供する」…。私の河口堰報道は、「記者の責務」に沿い、その「使命」を果たそうとするものです。

報道を止められ、「記者の責務」を果たすため異議を唱えた私が、なぜ、朝日から「信頼回復」を求められるのでしょうか。管理本部のフォーラムへの虚偽の書き込みも、パワハラ・名誉毀損そのものです。

「コンプライアンス委員会」では、法令、条例、従業員就業規則など社内規則と並び、「規範」違反も「審議の対象」と委員会規則で明記しています。

委員には、社長、役員とともに、弁護士らの社外委員も加え、社員から規範違反の訴えがあった時には、「委員会事務局は必要に応じて、広報部門、コンプライアンス責任者等および社外の専門家らと協力・連携して公正かつ公平に調査を行い、委員会に報告する」「調査結果の報告を受けた委員会は、コンプライアンス違反行為が起きた原因を究明して、是正と再発防止のための適切な措置をとる」との定めがあります。

また、社員には、「通常の業務遂行上の手段・方法によってはその是正・防止が不可能または困難である場合、公益通報制度を利用することができる」と、審査提起権も保証しています。

第3者も加えた検証は、私のこれまでの要求とも一致します。朝日は何を言っても答えない以上、「通常の業務遂行上の手段・方法によってはその是正・防止が不可能または困難である場合」に該当します。私は訴訟での解決を半ば覚悟していました。しかしその前に、社員としてこの制度の利用は必要不可欠でもあったのです。