1. 言行一致で表現・報道の自由を守る覚悟を 、5・3の憲法記念日に複雑な思い

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2013年05月03日 (金曜日)

言行一致で表現・報道の自由を守る覚悟を 、5・3の憲法記念日に複雑な思い

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

北朝鮮問題で中国、韓国との緊密な関係が何よりも必要な時です。でも、連携をぶち壊す靖国神社への閣僚・国会議員の参拝です。両国のみならず、米国からも強い反発が出ています。

憲法9条が改正されたなら…、万一、この国が核武装まで言い出すならなおさら、この程度の反発では済まないでしょう。東アジアの安定からも、憲法9条の堅持がこの国の政治・外交にとって、最もふさわしい現実政策であることを私は何度もこの欄で言って来ってきました。このことからも改めてご理解戴けたのではないでしょうか。

私も含め、過去の戦争で命を失った人とご遺族に対し、深い哀悼の念を持たない人はいないでしょう。しかし、靖国参拝の是非となると、人々の心は様々に分かれます。まして、国土が戦場になり、占領に近い状態の中で多くの人が亡くなった他国の人たちの気持ちは、察してあまりあるものがあります。

勇ましい言葉は、誰にも吐けるのです。しかし、言葉には、相手の気持ちに対する思いやりと説得力、自分の言葉への責任が伴います。言葉を操ることを生業とする政治家やジャーナリストなら、なおさらです。

靖国参拝をした議員と9条改正を口にする議員は大半が重なるでしょう。しかし、彼らが中国や韓国に行き、自らの靖国参拝の正しさについて説得力を持って説き、相手の納得を得たと言う話を、私は聞いたことがありません。その結果、北朝鮮にスキを与え、万一の事態を招いてしまったら、誰がどう責任を取るのでしょう。支持者受けし、票にもつながるとの安易な考えで、後先考えず靖国参拝している議員がいるとしたなら、あまりにも無責任です。

◇朝日襲撃事件と朝日の報道姿勢

そんな中で、今年も「5.3」迎えます。この日は言うまでもなく、1947年、この国が戦後の再出発を誓い、平和憲法が施行された記念日です。ただ、私の古巣の朝日新聞社にとっては、もう一つの特別な日でもあるのです。

1987年5月3日夜、兵庫県西宮市にある阪神支局が襲撃され(警察庁指定116号事件)、当時、29歳だった小尻知博記者の命を奪われたからです。

実は私はその日をいつも複雑な思いで迎えています。人々の命と生活を何より大事にしなければならない政治家が、それに真剣に取り組んでいない現実があるのと同様、何よりも「表現・報道の自由」を守らなければジャーナリズム、とりわけ朝日が、人様に格好のいいことを言っても、言行一致で心からこの権利を守ることに真剣に取り組んでいるのか、という疑問を感じざるを得ないからです。

1987年のその日、私は名古屋本社で遊軍記者をしていました。阪神支局が襲われた後、「反日朝日を処刑する」との犯行声明も出され、名古屋の独身寮にも何者かにより銃弾が撃ち込まれました。私は、それまで警察記者経験が長かったこともあり、この事件を追う中心メンバーの一人になり、この事件にも長く携わることになりました。

そんな取材を通して、小尻記者が多くの人々からも好かれ、信頼も得ていたことを知りました。どこにでも厭わず足を運び、人の話を聞く熱心な記者でもありました。要領よく、頭だけで記事を書こうとする若い記者が増えた今、小尻君のような記者が生きていてくれたらと、残念に思っています。

思い返せば、朝日の中で記者の実績より、上司に覚えのいい要領のいい人物が昇進する派閥人事がのさばり出したのも、この頃からでした。記者は、何を書くかより、上の意向ばかり気にするようになりました。

だからこそ私は、「朝日はこんな連中に狙われるほど、立派な組織なのか」と思う半面、小尻君のような記者を死に追いやった犯人が許せず、懸命にこの事件を取材、犯人を追い続けたつもりです。私なりに犯人像は描いたつもりですが、力不足で逮捕に結びつけることが出来ませんでした。小尻君に申し訳なく思っています。 朝日でも事件直後、「読者の支援にこたえたい」、「われわれはこれからも暴力や脅しに屈するようなことは決してない」と社説で力説。以来、毎年この日、阪神支局に拝礼所を設けるとともに、朝日労組も「言論の自由」を守るための集会を開いています。拝礼所には、毎年、多くの市民が訪れます。小尻記者の人柄のせいでもあり、権力への監視役としてジャーナリズムを未だ朝日にも期待している人たちがいることの表れでしょう。有難いことです。

◇小尻記者の元上司と報道規制問題

しかし、朝日はそんな読者の心を、陰で裏切っているのではないか。私が何ともやりきれない気持ちになるのは、こんな集会で「報道・表現の自由」を守ることの大切さを、格調高く説く朝日幹部の姿でした。とりわけ、事件当時の大阪・社会部長として、ほとんどの集会で朝日を代表してあいさつする小尻記者の上司に当たる人物の言葉を、私は毎年、鼻白む思いで聞くしかなかったからです。 この人物は事件後昇進して、1992年、名古屋本社の編集局長に就任していました。前にもこの欄で書いた通り、私はこの年、長良川河口堰報道を東京本社でも止められた後、豊田支局長に左遷されて名古屋本社に戻りました。しかし、私が東京に転勤前の1990年、この報道を最初に止めた社会部長はまだ残っていました。名古屋に戻っても、再びこの取材をして記事にすることはままならなかったのです。

もちろん、部長が河口堰報道を止めた経緯からも、誰かと繋がった確信犯であろうことは容易に想像出来ました。しかし、河口堰は工事途中。何とか記事を復活出来れば、税金の垂れ流しでしかない工事を止められるかも知れません。長良川の豊かな自然を守ることも、まだ可能でした。

だから私は、社会部長の上司でもあり、名古屋本社の編集局・編集権を取り仕切るこの人物に一縷の望みを託したのです。

前述の通り、阪神支局襲撃事件の痛みを誰よりも知っているはずです。毎年の拝礼式では朝日を代表し、何より「表現・報道の自由」の大切さを説き、読者・市民に朝日に対する応援とこの事件の解決を訴えている人物です。なら、私の記事の復活にも理解を示してくれるかも知れないと考えたからです。社会部長を監督するのが編集局長ですから、もちろんその権限もあります。

私はその人物に直接、訴える機会を探りました。しかし、相手は避け続けたので、その年の5月、名古屋本社の編集局長室を訪ね、直接、話をしようとしました。でも、「約束もなく、突然部屋に来るなんてどういう了見だ」と、けんもほろろに拒絶されるだけに終わりました。

新聞社では、記者が直接、編集局長に話をするのはよくあることです。むしろ「若い記者と話をしたい」と、ポケットマネーで買った酒を部屋に常備し、夜な夜な記者と酒を酌み交わす局長も、昔はよくいたのです。

それに何より編集局長は、読者の「知る権利」に応えるのが何よりの責務である編集局最高責任者です。国と反対派住民が激しく対立、大きなニュースになっていた河口堰報道で記者と社会部長の間でもめていると話を聞いたなら、問題の所在は何か、自分の目と耳で確かめて対処するのが、当然の仕事です。しかし、この人物は「社会部で話をしろ。俺は知らん」と、取り合おうともしなかったのです。

それまで聞いていた人物像との落差に、私は愕然としました。でも、部長が確信犯と考えざるを得ない以上、私は何とか編集局長であるこの人物を説得する以外にありませんでした。その後何度も、機会を見て話をしようとしましたが、そのたびに追い返されていました。

もちろん、もう何を言っても無駄だということは、分かっていました。しかし、記者なら、あとで「言った」「言わない」は愚の骨頂です。これまでこの人物に言い続けたことを、後々の証拠にするためにも文章で提出し、反応を待つことにしたのです。

◇言行不一致の報道姿勢を露呈

「長良川河口堰について」と題した私の編集局長宛の手紙は、過去の経緯からも書かなければならないことがあまりにも多く、45頁にわたる長文になりました。それでも「失礼の段があれば、お許しください」と、出来るだけ丁寧な言葉で始めたつもりです。

朝日が「『取材した事実』を報道しないことがあるなら、将来に大きな禍根を残す」として、何を報道すべきか。私が取材した経過、集めた証拠資料により、建設省(現国土交通省)が「治水上、堰は必要」とする根拠のウソ・言い訳のカラクリなども、こと細かく書き連ねました。超高齢化社会を迎える中で、無駄な公共事業で財政を悪化させることはこの国にとり命取りになることも力説。報道の復活を誠心誠意、促したつもりです。

もっとも、何を書いても、この人物は返事もしてこないだろうと思っていました。ところが、その年の年末ぎりぎり、大阪本社編集局長への栄転直前になって、この人物から私宛に手紙が届きました。しかし、中身は唖然とするものでした。

手紙は、「長文のメモを受け取りました。局長として後任に引き継ぐ筋合いのものではないと判断するので、以下、個人からの貴兄への私信として、受け取ってください」から始まっています。しかし、読者・市民の「知る権利」、「報道の自由」という公益性に関するにかかわる話です。私が編集局長という「公人」に送った文書の返信であり、「私信」であろうはずはありません。拙書「報道弾圧」(東京図書出版)にも採録してありますが、ここでも全文を公開させてもらいます。

「読ませてもらって、もう一度忠告したい。第一に貴兄の目的は何なのか。掘り起こしたデータを紙面化することにあるなら、特定の人間を批判することが目的と受け取られるような拙劣な手紙を軽率に送らない方がいい。

第二に、掘り起こしたデータを生かしたいなら、何度も言うようだが、出稿部の中で、正規のルートで上げていくべきだ。貴兄は、取材資料をもとに、社会部デスク1人ひとりに説明し、紙面化への努力をアピールしたか。1年半か2年前、貴兄の素材は一度デスクレベルで、検討されたと聞いている。それから長い時間がたった。データは今でも使えるのか。当時出たとされる疑問点をクリアするような、補強データを新たにつかんでいるのか。

もし建設省が全面否定するような場合は、どうするのか。どうできるのか――こういった点をひとつひとつデスク諸公(1人のデスクが否定的なら、他のデスクというように)に根気よく、話してみたか。小生には貴兄がそうしたとは、とても思えない。出稿母体での手順を踏んだ論議を飛び越えて、局長室が采配を振うことがよいこととは、小生は思わない。

第3に、状況認識について、思い詰めたり、焦ったりしてはいけない。新聞記者は冷静でなければいけない。小生は名古屋に来る前にも、『討論のひろば』特集などを読んでいたし、来てからも社説等も調べた。その後の紙面切り抜きをみても、名古屋・社会部が全体として、報道姿勢を180度転換したとは、とても思えない。にも拘わらず、工事が進行しているのは、建設省が強行しているからであって、朝日新聞が弱腰だからというのは論外であり、そんな風に絡めて考えることが間違っている。

貴兄のつかんでいるデータがすごいものなら、必ず陽の目は見るだろう。そうなりにくいなら、まだデータとして弱いからで、さらに努力して補強する気持ちが湧いてくるだろう。

繰り返す。他人の中傷と受け取られかねない長大の゛やけっぱち゛文書をつくる暇があるなら、貴兄の取材資料一点にしぼって、デスク1人ひとりに話し合うことが最善ではないのか。貴兄と名古屋社会部のために、そうすることを要望します。ご健闘を祈る」

◇誰が「やけっぱち」で「卑劣」なのか?

「ご健闘を祈る」など、大きなお世話です。私はデスクと「根気よく」話してみた結果・成り行きも、この人物に送った文書にも詳しく書いています。デスクは「部長が恐いから、記事に出来ない」と、語っています。私の報告が信じられないのなら、直接、デスクに確かめればいいだけの話です。

部長の行状で部下が悲鳴を上げ直訴したなら、局長は記者やデスクから直接、話を聞いて裁断を下す。組織の現状把握が最大の仕事である編集局長の役割です。それが「手順を踏んだ論議」と言うものではないでしょうか。

挙句に「建設省が強行しているからで、朝日新聞が弱腰と考えるのは論外」と言うことこそ、「論外」です。建設省がウソ・偽りを労して「強行」するなら、新聞の役割は、「権力監視」です。真実を世間に伝えて、世論の力で「強行」を止める。それがジャーナリズムであり、やらないのは、「弱腰」です。

目の前で、ウソで固めた無駄な公共工事が着々と進んでいたのです。そのウソの証拠が完全に揃っているのに、記事に出来ないことに「焦らない」記者など、記者ではないのです。

「データが弱い」かどうかも、取材資料は届けてあります。局長も記者なら、自分の目で確かめれば済みます。専門的で、分かりにくいなら、私に直接、聞けばいいだけの話です。「データがすごいなら、陽の目を見させる」のは、局長の役割ではないでしょうか。

何よりも、私の策略にまんまとはまり、証拠に残る直筆の「やけっぱち」「拙劣」な手紙を送ってくるこの人物の「軽率さ」に、私は驚くしかなかったのです。

でも、私が編集局長に送ったこの手紙が、編集局への反逆とみなされ、私はその後、記者の職から追放されました。長く苦情処理係の広報室長に配転され、「ヒラでいいから、記者に戻して欲しい」と願い出ても、「記者に戻りたければ、編集局に信頼回復せよ」とまで、言い放たれました。

◇朝日コンプライアンス委員会への提訴

そこから、私と朝日との「報道弾圧」を巡る第2ラウンドが始まったのです。様々な経過がありましたが、ラチが明かず、私は最後に、「どちらが読者に対して信頼回復すべきか」と、朝日のコンプライアンス委員会に提訴しました。

この委員会は、朝日が自ら定めた報道倫理を実際に順守しているか、社員からの訴えに基づいて審議、自浄作用を発揮するために設けられています。もちろん、報道倫理のイロハのイは、読者・国民の「知る権利」に応えることです。

これにもさまざまな経過がありました。「報道弾圧」に詳しく書いていますのでここでは割愛しますが、委員会は先の人物同様、私から一切事情聴取しようとせず、本格審議の場を開かずに逃げ続けていました。しかし、私の再三の要請に定年間際の2007年10月、回答が事務局から届きました。

「9月18日に開かれたコンプライアンス委員会で議論されましたので、報告します。

 各委員には、吉竹さんが事務局に送付された8月3日付けの『反論並びに要請書』全文を事務局の報告資料とともに事前に配付しました。委員会の議論は、長良川河口堰問題の記事化あるいは、記事不掲載にあたって、コンプライアンス違反に当たるような行為があったと判断出来るのかどうか、また、当事務局による案件処理に問題はなかったのかどうか、に多くの時間が割かれました。

記事化については、『記事にする際、ニュースかニュースでないかという価値判断があり、さらに、取材が十分かどうかという判断がある。その結果、記事にならないケースは多々あるが、そうしたケースは、コンプライアンス委員会になじまない』などの認識が示されました。こうした認識を基にして、通報案件に、編集権の範囲を越える、コンプライアンス違反行為があったと言えるのかどうか、について議論がありました。

  次に、この案件についての事務局の判断、処理の是非について議論がありました。これらの点については、事務局が、本案件についての会社見解(2005年5月に当時の社長室長が吉竹さんに会って伝えたもの)を、機械的に適用することなく、疑いを持ちうる要素があるのかどうかを調べた上で、『報道弾圧はなかった』とする会社見解を覆す事実や証言は得られなかった。

従って、コンプライアンス違反は存しないと判断される』とする結論を出しており、適正だった、などの指摘がありました。結論として、コンプライアンス委員会は、当事務局の判断、案件処理にコンプライアンス違反はなく、適正だったとすることで一致しました」

◇編集権を我田引水に歪曲

まさに「何じゃこれ」です。私から取材内容について、一切調査もせず、「取材が十分かどうか」、何を根拠に判断したのでしょうか。持って回った表現といい、さっぱり意味不明と言うほかありません。

実は私も広報室長時代、読者から抗議を受けた時に、こんな文章を何度も編集幹部に命じられて書かされていました。朝日紙面に載せた記事に対する抗議がまともで、朝日側に非があるなら、詫び状を書き、相手に届けなければなりません。私が原文を書き、編集幹部が手直しします。

しかし、幹部の頭には自己保身しかありません。下手に非を正面から認めると、裁判になると証拠にされ、自らの責任を問われます。だから、あれやこれやこね回し、尻尾を掴まれないよう手直ししていく。その結果、具体論がなく、日本語としてさえ成り立たない奇妙奇天烈、意味不明な文面が出来上がるのです。

もちろん、私は「何の調査もせず、『取材が十分かどうか』判断されたのですか。こんな文章を書くなら、まず、私から調査してください」などと再回答を求めました。それに対して朝日の最終回答は、次の通りです。

「吉竹幸則 様 『申立』について 2007年11月8日 朝日新聞社コンプライアンス委員会事務局  コンプライアンス委員会事務局が2007年10月22日に受け取った、『異議申立書』について回答します。『朝日新聞社公益通報制度に関する規定』には、再調査・審議の規定はありませんが、今回、特に対応を検討しました。

 あなたは、『改めて審査を求める』にあたって、『取材内容の検証をせずに、このような結論を導き出されたこと自体、記者とその取材に対する明白な冒涜、名誉毀損、人格権の侵害』であると指摘しています。しかし、編集権にかかわる取材内容を検証することは、コンプライアンス委員会の役割ではありません。この点については、9月18日に開かれたコンプライアンス委員会の結論を.お伝えした文書(10月3日付『コンプライアンス委員会のご報告』)の中で、明確に指摘し、また、口頭でも説明しました」

たった、これだけです。「『編集権』行使の在り方」は、言うまでもなくジャーナリズム倫理の根幹です。これを審議しないで委員会は、何を審議すると言うのでしょうか。

これでは食品会社が「食の安全にかかわる検証は、コンプライアンス委員会の役割ではありません」と言い切ったのに等しいのです。委員会は、いろいろごまかし回答をしてきましたが、ついに行き詰まり、「編集権にかかわる取材内容を検証することは、コンプライアンス委員会の役割ではありません」と居直ったと、言うほかありません。

◇朝日新聞労組にも相談したが・・・

「報道弾圧」出版以来、私の話を聞いてやろうと、講演会を催して戴けることが何度かありました。そんな時、「朝日の体質はよく分かったが、こんな時こそ朝日労組の出番のはずだ。『報道の自由を守れ』と普段活動しているはずの労組は何をしていたのか」との質問もよく受けました。

もちろん私も現役時代、朝日労組にこの問題の調査をお願いしたことがあります。しかし、申し出から1週間程経ち、私はこっそり労組事務所に呼び出されました。労組幹部は私に、「調査に会社側の協力が得られない。だから労組としてはこの問題に関与しない」と言うことでした。

会社側が自分に都合の悪いことを、自ら進んで調査に協力するようなところは類い稀です。だからこそ、労組が組織力を発揮してやらなければならないことは言うまでもありません。

しかし、朝日労組は他の民間労組の多くと同じ体質でありました。普段は威勢のいいことを言って、労組員を煽っても、結局は会社の手の平の上。本気で会社と対立し、ストでも構えようものなら、労組幹部は職場に戻った途端に、飛ばされてしまいます。

最後は会社の言いなりになり、穏便に終息すれば、労組幹部は将来が保障される組織です。実は、そんな人たちが会社幹部になり、派閥人事を繰り返した結果、建前と本音、言うこととやることが大幅に違う、朝日の官僚体質が出来上がってしまったと、私は思っています。

私はそれ以上、労組幹部を追及しようとも思いませんでした。彼らもサラリーマンです。私の問題で朝日が一切の調査を頑なに拒んだ裏には、余程明るみに出たら、都合が悪いことが隠されていたに違いありません。もし、労組がそれに手を突っ込もうとしたら、幹部は昇進どころか、私同様、記者の道さえ絶たれるかも知れません。彼らにそれを迫ることには、あまりにも酷だからです。

◇言葉に対する記者の責任

そんな中で今年も、「5・3」を迎えました。前にもこの欄で書いたように、自民党の憲法改正草案21条には、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは認められない」が、付け加わっています。この草案通りに憲法改正がなされれば、ますます「表現・報道の自由」は危機を迎えます。

小尻記者を追悼する集会で、朝日幹部や労組は今年も「表現・報道の自由を守れ」と、格調高く語るに違いありません。もちろん私も、「表現・報道の自由」を守ることに強い気持ちがあります。小尻記者も心から追悼したいと思っています。

しかし、言葉を生業にするジャーナリストには、本来、一般人以上に言葉に対する責任が伴います。「表現・報道の自由」を守ることに対し、人様に応援をお願いする以上、自らの行動においても言行一致、一貫した強い決意・覚悟がなくてはなりません。

自己保身、ご都合主義で、ころころ主張・対応を変える朝日とその労組の幹部に、果たしてその資格、資質があるのか。権力側から「表現・報道の自由」が攻撃を本気で受けるようになれば、戦前のように尻尾を巻いて逃げ、応援してくれる人さえ、裏切ってしまうことにならないか。朝日関係者が集会で語る高邁な主張と、社内での対応の落差を見たり、聞くにつけ、私が何故、暗澹たる気持ちになるのか。その思いの一端をご理解戴けたのではないかと思います。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。