1. 公共事業は諸悪の根源  ジャーナリズムでなくなった朝日 その6 (前編)

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2013年12月29日 (日曜日)

公共事業は諸悪の根源  ジャーナリズムでなくなった朝日 その6 (前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

特定秘密保護法案が成立しました。だからと言って、ジャーナリズム・ジャーナリストが恐れていては、政治家・官僚のウソは、これからますますはびこります。一部の権力者が情報を独占、この国を思うままに操ることなどあってはならないのです。

憲法が定めるのは、「国民主権」。何より、主権者である国民が「知る権利」を行使、ウソを見抜いて自分たちの住む国の在り方について、自ら判断出来る環境を築いてこそ「民主主義」です。

北朝鮮では、張成沢氏が処刑されました。確かに恐ろしい話です。国民から情報が遮断されている国だから、起こった問題でしょう。しかし、決して他人事ではありません。戦前のこの国だって、そうでした。

権力・軍部にとって都合の悪い情報を流したり、主張をした人は治安維持法で拘束。国民に多くを知らせないまま、世論操縦…。こんな「いつか来た道」に戻らないためには、秘密保護法反対で、久しぶりに盛り上がった国民の声を絶やさないことです。

同じ思いの人が集える結集点を作る以外にないでしょう。そこを根城に秘密保護法を権力者の思うままに運用されないよう監視、出来る限り「権力の秘密」に迫る「不服従の闘い」を強めればいいのです。

残念ながら、邪心もあれば、権力者に弱みを持つ今のメディア経営者・幹部にジャーナリズムとしての見識を期待しても無理です。私がこれまで報告してきている長良川河口堰報道を潰した経緯からもお分かり戴ける通りです。今回の秘密保護法反対キャンベーンでも出遅れました。

最初はおっかなびっくり。国民の声が盛り上がって来て、やっとふらついていた腰が据わったのでは、「後出しじゃんけん」と言われても仕方ありません。

でも、現場にいる記者のすべてが腐っている訳ではありません。ぜひ多くの心ある国民が、「知る権利」に真剣に奉仕しようとするジャーナリスト、協力した情報提供者を支援して戴きたいのです。

そうした人々が万一逮捕されても、根城を拠点に「支援の輪」で包み込めば、権力者がいかに邪悪でも手が出せません。いや、手出し出来ないほど強力な支援の輪を作り上げる以外に、憲法違反の天下の悪法を跳ね返す手段はないと思います。

過去の教訓に学び、人々が少しずつでも勇気を出し合えば大きな輪となります。権力者に対抗する強い力も生まれようと言うものです。どうせ熱しやすく、冷めやすい国民性…。秘密保護法を強行した安倍・自民は、そうタカをくくっているのでしょう。

法案が成立した途端、報道にも規制をかけようとも取れる石破幹事長の発言が、その証拠です。「諦めることのない不服従の闘い」、それがカギを握ります。

◇秘密保護法が成立した今の時代だからこそ…

私の朝日に対する「不服従の闘い」を報告している「公共事業は諸悪の根源」のこのシリーズ、今回でちょうど10回目になりました。私は確かに朝日社内でも、来年にこの欄で報告する裁判でも、社会から孤立していました。不徳の致すところかも知れません。

しかし、過去には沖縄密約を暴こうとした毎日・西山太吉元記者もそうです。戦前に遡れば、真実を語ろうとして治安維持法にかかり、失意のうちに社会から葬り去られた多くの人々も同様でした。

言い訳を許してもらえるなら、私は最初から社内で孤立していた訳ではないのです。志を同じくする多くの同僚もいました。夜な夜な酒を交わしつつ、ジャーナリズムの在り方について熱く語り合った数々の想い出もあります。

しかし、朝日の中にも、国民の「知る権利」をないがしろにする権力者がいました。そんな朝日社内の権力者が河口堰報道を潰し、抵抗すればするほど疎まれ、私に対する人事差別も始まりました。そんな仕打ちを見ていると、むしろ同僚はとばっちりを恐れ、私の元から去って行った気がしています。

国でも様々な組織でも、権力者の力は絶大なものがあります。メディアもサラリーマン組織です。組織の中で生きるサラリーマンなら、それぞれの生活、将来の夢もあります。いくら志があっても余程の覚悟がない限り、人事権を持つ権力者に正論を吐いて抵抗、同僚を支援していくのは無理です。私は、露骨な裏切りをした1,2人を除き、私から去って行った多くの同僚に対しては、恨んでもいません

だからこそなおさら、「知る権利」を守るため、不服従の闘いをしているジャーナリストに対し、組織の外で支援をする心ある人々の輪を作って欲しいのです。秘密保護法が成立した今の時代だからこそ…です。この報告から私の思いの一端でもご理解戴けたらと思っています。

◇続報の掲載を主張し続けたが・・

また、前置きが長くなりました。今回は1993年末、私の追及に「長良川河口堰着工時、治水上、堰を建設しなければならない根拠は持っていなかった」と建設省が認め、やっと1本の私の記事が朝日の紙面を飾った後から、話を起こします。

前回のおさらいです。この1日目の記事の後、私が予定していた続報は、次の通りでした。

2日目 「住民団体から一斉に建設省への不信の声」 3日目 「建設省 1988年に係数算出 自ら発行した記念誌『木曽三川』に掲載」「この係数では、『堰は不要』のシミュレーション 新しい係数算出はやはり言い訳か」 4日目 「『88年の算出係数は正しい』と、岐阜大教授は自信」 5日目 「木曽、揖斐川の係数も88年係数とほぼ同じ 『木曽三川』記念誌に記載」 6日目 「『大水危険』の岐阜県庁の水位図は1972年の古い河床使って計算」 7日目 「治水のための浚渫必要量は1300万トン 1962年の建設省極秘報告書から明らかに」

しかし、デスクに出していた続報原稿のうち、陽の目を見たのは、3日目に予定していた「建設省 1988年に係数算出 自ら発行した記念誌『木曽三川』に掲載」の1本だけ。それも最初の記事の掲載から1週間も経った後に、申し訳程度に小さく載った「気の抜けたビール」であったことも、前回報告した通りです。   当初、私が描いた紙面計画に沿った続報が次々に載らなければ、建設省を袋小路に追い込み、河口堰工事を中止に追い込むことなど出来るはずもありません。私はなお強硬に続報を載せるよう、主張続けました。しかし、デスクは下を向いて肩を震わしているだけ。何故、記事を載せない、載らないのか、理由すら明らかにしませんでした。

94年が明け、梅が咲いても、一向にラチがあきません。私の豊田在勤は「短期間」という約束だったのです。でも、すでに在勤2年を超えていました。膠着状態を打開するため、私はデスクに一つの提案をしました。

当時、最新の長良川河床測量データ、つまり『1993年版河床年報』を、私が入手することです。これも3年前の1990年、長良川の河床データを使ってやっていた「パソコン遊び」の結果から思いついたものでした。

◇堰はなくても長良川は安全

「公共事業は諸悪の根源? 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ」http://www.kokusyo.jp/?p=3249でも書きました。覚えておられる方もあるでしょう。パソコンゲームの感覚で長良川河床の深さをいろいろに変化させたデータを打ち込み、想定される最大大水時に描く水位シミュレーションの違いを比べました。

その結果、100万トン川底の土砂を浚渫すれば、約10センチ、水位が下がることが分かっていました。

この時も完璧にデータを揃えながら1行も記事にならず、私は東京本社の政治記者への転勤を命じられたのですが、報道出来なかった3年間のブランクに、さらに数百万トン、長良川河床は浚渫されています。この割合を当てはめると、毎秒7500トンという想定される最大大水では、1987年河床データで計算したものより、さらに数十センチ水位低下しているはずです。

3年前、建設省の言い分通りの90年算出の言い訳粗度係数を使った計算でも、安全ラインを最大で61センチ上回るだけでした。余裕高が2メートルありますから、最大水位は、一番危険な地点でも堤防の上から見れば、1.39メートル下です。

建設省はあくまで90年算出の言い訳粗度係数が正しいと言い張っているなら、この係数値を丸呑みして、最新河床で計算してみようと考えたのです。さらに数十センチ想定水位が下がっているなら、この係数値で計算してさえ、最大大水でも安全ラインを上回る地点はほとんどないのでは、と容易に推測出来たからです。

しかも、建設省マニュアル『河川砂防基準』には、堤防の余裕高について次のような基準があります。

想定される大水の時の最大水量毎秒1万トン以上では「2メートル」、5000?1万トンが「1.5メートル」です。長良川は、7500トン。実はマニュアル本来の規定からすれば、余裕高は「2メートル」ではなく、「1.5メートル」なのです。

建設省は、87年河床データを使い、デッチ上げ係数での計算結果によって鬼の首でも取ったかのように、「堰を造り、浚渫しない限り、今すぐにでも水害の危険がある」と主張していました。しかし、マニュアル本来の1.5メートルの安全ラインで見ると、わずかな区間で11センチ上回って流れるに過ぎません。

ではなぜ、長良川を「2メートル」にしていたのか。隣接する木曽川の想定水量は1万1000トンで、余裕高は「2メートル」。事情通によると、「余裕高は多いほど安全性は高い。木曽川並みにしておこう」と、長良川も2メートルに決めたに過ぎず、まともな理屈はないと言うのです。

ならば、93年河床データを入手して計算出来るなら、あと数十センチ水位は下がり、マニュアル本来の判定基準に照らせば最大水位が安全ラインを上回る地点がなくなり、「堰がなくても治水上、長良川は安全」との記事は確実に書けます。

◇続報再開のために新たな出稿計画

もちろん、私はこの話を3年前も知っていました。しかし、前述の通りいろいろ説明のいるややこしい話です。こんな話を書かなくても建設省のウソは暴露出来ますから、続報の一つにも予定していなかったです。

でも、これまでの何のインパクトもない中途半端な報道で、「『木曽三川』に掲載」の原稿も小さく使ってしまっています。3か月以上、続報が載らず、改めて仕切り直して報道を再開する以上、どうしても突破口となる最初の記事が必要になります。

「93年河床年報データを入手。最新河床での計算では、水位はさらに低下」との記事が書けるなら、突破口となります。2日目の続報で、「マニュアル本来の規定では、堰の運用でマウンドを削らなくても、現状の長良川で安全基準を満たしている」として、この仕組みの説明を主体にした記事に繋げるのです。

3日目以降は、幸いまだ建設省には当てていない「治水のための浚渫必要量は1300万トンか? 1962年の建設省極秘計画書から明らかに」を、順序を変えて先行掲載。「『大水危険』の岐阜県庁の水位図は1972年の古い河床を使って計算」と続け、追い討ちをかけます。

これで建設省のこれまでのウソの構図が明らかになります。「もともと90年粗度係数の値すらウソ」が読者に分かるよう、「『88年の算出係数は正しい』と、岐阜大教授は自信」、続けて「木曽、揖斐川の係数も88年係数とほぼ同じ 『木曽三川』記念誌に記載」の原稿を復活させ、とどめを刺す。これで、私の知った事実の大半を、知らせられます。これがその時、私が目論んだ出稿計画だったのです。

私が続報にここまでこだわったのは、決して意地からではありません。一つ一つが、建設省がいかに国民・住民を騙し続けてきたかの事実そのもの。記者が知った事実は、記者・報道機関の独占物ではないのです。読者・国民に「知る権利」があり、記者・報道機関には「知らせる責務」があります。

それにここまで知らせない限り、いかに政府・官僚はウソを重ね、無駄な公共工事を平気で続けるか――その全容を主権者である国民に知らせることが出来ず、工事を中止に追い込むことも困難になるからでもありました。

◇幹部が責任を問われないための配慮をしたが・・

93年河床データから始める今回の報道計画には、もう一つ、朝日の社内事情があります。朝日の社内は国と同様、どうしようもないほどの官僚機構です。官僚は絶対に自ら責任を取りません。責任を問われないためには、どんなことでやります。

先の報道で1回目の記事が掲載された後、大々的に私の書いた続報を掲載すれば、河口堰工事が止まる事態もあり得ます。その時、「完璧に建設省がウソをついている証拠が揃っているのに、なせ、3年前の90年に報道を止めてしまったのか」との批判が社内で起こり、改めて当時の編集幹部の責任が問題になります。朝日の編集幹部はそれを恐れ、私の続報を止める原因・背景になっているのではないかと思えたのです。

93年のデータによる報道から始めれば、90年の私の取材に基づく記事を止めた幹部の責任は問われなくて済みます。読者の「知る権利」のためなら、幹部の責任追及などちっぽけな話です。だからこの報道手法なら、続報掲載にも幹部の抵抗も少ないと踏んだのです。

「続報を使わないのは、90年に記事を止めた幹部が責任を問われるのを恐れてのことか。93年のデータを使うなら問題はないはずだ。その記事から始めれば、続報を掲載してもらえるのか」と、デスクに尋ねました。

デスクは、「それなら」と約束しました。デスクも私と同様の推測をしていたためか、それとも建設省の警戒が強くなっているので、93年の河床年報などどうせ私が入手出来ないと踏んでいたためかは、定かではありません。   ただ私は、石にかじりついても93年年報を入手する覚悟でした。それに何とか手に入れる自信もありました。ここでは「93年年報入手で報道を始めるなら、今度は続報も載せる」との言質を、デスクから取れただけで十分だったのです。

◇露骨な昇給差別が始まる

その矢先のことです。社会部長から豊田支局にいる私に電話がありました。転勤の内示でした。部長はいかにもバツが悪そうに「局長室に河口堰報道を促す文書を送ったことで、君への上の反発が極めて強い。デスクに昇進させられなかった。社会部員といっても、記者ではない。地方版デスクだ。5級のまま昇格もない。しばらく我慢してもらいたい」と告げました。

人事・待遇差別にかかわることです。朝日の昇格制度をもう一度、ここで詳しく説明しておきましょう。

朝日は、役職と別に、「○級」という格付けで給与水準が決まります。9?7級までが、ヒラ部員。6級が主任級、5級は課長級で、キャップなどに就いていることが多いのです。4級が「デスク」と呼ばれる次長級、3級が新任部長級、準2級が古参や主要部長など、2級が局次長、1級が局長クラスです。

「標準昇格期間」と言うのも定められていました。役職がそのままでも遅くとも5年が経てば、上の級に昇格出来る保障制度です。昇格がないと給料も増えません。「標準期間」を経過しても、昇格しないのは、処分を受けたり、病欠や勤務成績が極めて悪いなど、明白・特段の理由がある場合に限られます。給料が下がることもあります。

私は、5級への昇格が、同じ定期試験組の同期に比べても、1年程度早かったのです。しかしこの時、部長から「昇格もない」と通告されたことで、5級据え置きが、7年を数えることになりました。

定期試験に合格し入社した朝日のキャリア組は、最初は横並びでも、5級から急にペースが早まり、3?4年で普通、昇格します。本来、標準期間を過ぎても昇格しない場合、理由を本人に説明する責任が発生します。同期に比べ遅れていることへのまともな説明が出来ず、部長はさぞ心苦しかったに違いありません。

今から思い返してみると、朝日が報道弾圧にとどまらず、私に対し給料・待遇まで、差別を累積的に拡大していったのは、この時期からだったと思います。私は、その後、人事の度ごとに上司から、「悪いな。悪いな。そのうち、何とかするから」と、異口同音に聞かされるようにもなりました。

記者もサラリーマンです。給料はどうでもいいとは言いません。でも私への人事発令が、「社会部員・記者」なら、自分で河口堰報道を出来ます。しかし「地方版デスク」では、それも出来ません。各支局・通信局から送られてくる原稿に目を通し、完全な原稿にして編集部門に渡すのが仕事だからです。

7年昇格がなく、まともな説明もない…。人事で異議申し立てをすることも出来たかも知れません。しかし、部長と編集局長との関係が、さらに険悪になっていました。人事を断れば、曲がりなりにも私を擁護してくれている部長が窮地に立ちます。受けるしかなかったのです。

ただ、「デスクの了解を得て、仕切り直しが出来る原稿の準備にかかっています。地方版デスクになっても、その仕事だけは継続したい」と、デスクとの約束を話し、頼みました。部長も了解してくれたのです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。