自由人権協会代表理事の喜田村弁護士らが起こした2件目の裁判、「窃盗」という表現をめぐる攻防③
喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)らが、催告書の名義を「江崎」に偽って著作権裁判を起こしたのは、2008年2月25日だった。その2週間後の3月11日に、喜田村氏らは黒薮に対して2件目の裁判を起こした。メディア黒書の記事が読売と江崎氏ら3人の読売社員の名誉を毀損したとして、2200万円を請求してきたのである。このなかには喜田村氏が受け取る予定の弁護士費用200万円が含まれていた。
訴因は、メディア黒書の記事だった。この年の3月1日に、読売の江崎氏らは、久留米市のYC久留米文化センター前店を、事前の連絡もなく訪店して、対応にでた店主に対し同店との取引中止を宣告した。強制改廃である。その直後に、読売ISの社員が店内にあった折込広告(翌日に配布予定だった)を搬出した。
久留米の別の店主から連絡を受けたわたしは、メディア黒書で速報記事を流した。その記事の中で、折込広告の搬出を「窃盗」と表現した。
◇2200万円の「お金」を要求
喜田村弁護士らは、この「窃盗」に注目して、名誉毀損裁判を起こしたのである。読売関係者は、店主の承諾を得て折込広告を搬出しており、記事は事実とは異なる、それにもかかわらず「窃盗」という事実を摘示したので、名誉毀損に該当するという論法であった。
裁判の舞台は、わたしの地元であるさいたま地裁だった。福岡の江上武幸弁護士ら弁護団が、著作権裁判と同様にこの裁判も無償で支援してくれたので、わたしは弁護士料はもとより、福岡からの交通費も、コピー代も一切負担しなかった。訴訟が原因で文筆業を廃業に追い込まれることもなかった。とはいえ裁判にはかなりの時間を割かれた。海外取材も中止に追い込まれた。
幸いにさいたま地裁は、読売の訴えを棄却した。折込広告の搬出行為は、複数の人の面前で行われており、「窃盗」と表現していても、そのようには解釈されないので、名誉を毀損したことにはならない、などと判断したのである。ただ、「窃盗」という言葉は軽率な表現だという指摘もあった。
ちなみに裁判では争点にはならなかったが、わたしは文章の解釈は、部分的な表現についての評価をするだけではなく、文章全体の意図を把握した上で評価すべきだと考えている。「窃盗」という言葉だけを切り離すと、確かに「他人の所有物を無断で持ち出す」というニュアンスがあるが、日本語のレトリックという観点からすると、隠喩(いんゆ)表現にすぎない。
たとえば、「あの監督は鬼だ」、とか「この国は闇だ」といった表現方法である。この場合、前者は、「あの監督は鬼のように恐い」の意味で、「鬼」という事実を摘示しているわけではない。後者は「この国は闇のように不可解だ」の意味である。これも事実の摘示ではない。わたしは、読売関係者による折込広告の搬出行為を、「窃盗とかわらないほど悪質な持ち去り行為」の意味で使ったのである。
それというのも江崎氏らがいきなり販売店に足を運び、突然に店主に対して強制改廃を宣言し、頭部を鈍器で強打したような強い精神的衝撃を与えた上で、折込広告を搬出したと推測されたからだ。前ぶれもなく家業を奪われた瞬間、当事者には正常な判断力はないというのが、わたしの推測だ。頭は真っ白だったに違いない。
こうした事情を考慮せずに、喜田村弁護士らは、「窃盗」という言葉を捉え、名誉毀損だとして2200万円のお金を支払うように求めてきたのである。キャッシュで払ってほしいのか、銀行振り込みかは不明だが、とにかく高額な金銭を求めてきたのである。
◇天下りの集まり-TMI総合法律事務所
さいたま地裁での敗訴が原因かどうかは不明だが、喜田村弁護士は代理人を辞した。それに代わって読売の代理人になったのは、TMI総合法律事務所のメンバーだった。この法律事務所は、元最高裁判事をはじめ司法関係者の「天下り」を多数受け入れており、裁判の公平性と職業倫理いう観点からすると、問題が多い事務所である。メディア企業・読売がこうした法律事務所に仕事を依頼したことにわたしは驚いた。
しかし、控訴審でも読売は敗訴した。この時点でわたしは、勝訴判決が確定すると思った。最高裁が口頭弁論を開いて、判決の見直しを下級裁判所に指示することは、めったにないからだ。とはいえ心の片隅では不安もあった。なぜか読売が裁判にめっぽう強いからだ。
不安は的中して、最高裁でこの事件の口頭弁論が開かれることになった。わたしの周辺の人々は驚きを隠さなかった。最高裁は、判決を東京高裁へ差し戻した。そして東京高裁の加藤新太郎裁判長が、わたしに110万円の金銭支払いを命じたのである。しかし、このお金も、寄付ですぐに集まった。
加藤判事はその後、勲章を貰って退官。大手弁護士事務所・アンダーソン・毛利・友常法律事務所に顧問として再就職した。
なお、加藤判事が読売新聞に繰り返し登場していたことが、後に判明する。次の記事である。
■読売に登場していた加藤新太郎氏
加藤氏は、読売裁判にはかかわるべきではなかっただろう。
著作権裁判、名誉毀損裁判と喜田村氏らの裁判攻勢は続いたが、最高裁が口答弁論を開くまでは、福岡の弁護団にはまったく歯が立たなかったのである。
真村訴訟でも、やはり敗訴を続けていた。少なくとも10連敗はしている。
その後、さらに2009年7月、読売は黒薮に対して3件目の裁判を起こすことになる。そこで再び現れたのが喜田村弁護士だった。その他に、読売の代理人として藤原家康という名前も訴状にあった。両者とも自由人権協会の関係者である。
自由人権協会とは、何者なのか、わたしは暗い好奇心を刺激されるようになったのである。