1. ぶれない「中立」こそジャーナリズムの使命、「放送法」を武器にした権力介入を排せ

吉竹ジャーナルに関連する記事

2016年01月27日 (水曜日)

ぶれない「中立」こそジャーナリズムの使命、「放送法」を武器にした権力介入を排せ

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)

安倍首相別働隊とも言えそうな「放送法遵守を求める視聴者の会」から、露骨な意見広告で攻撃を受けていたTBS「NEWS23」は、岸井成格キャスターを交代させ、局専属のスペシャルコメンテーターにすることを発表した。昨年3月の古賀茂明氏降板発言問題で、放送法をちらつかせた自民の呼び出しに、のこのこ出て行ったテレビ朝日も「報道ステーション」古舘伊知郎キャスターの降板をすでに明らかにしている。

放送法4条「政治的中立」を武器に、自らが快く思っていない番組・出演者に攻撃を強めているのが安倍政権だ。TBSは、「岸井氏の活躍の場を広げるため、以前から話し合いを進めていた。岸井氏の発言や意見広告は全く関係ありません」としている。しかし、とても額面通りに受け取るわけにはいかない。

テレ朝も古舘氏降板の内幕について口を閉ざしている以上、真相は明らかでない。でも、自民呼び出し後、番組関係者6人の社内処分を発表。「コメンテーター室」の新設などで出演者の選別・発言に経営陣の関与を強めていただけに、古舘氏は「自らの決意」を強調しているものの、今回の降板劇の裏で何があったのかも、想像に難くない。

権力側からこうした攻撃を受ければ意地でも言う通りにならず、キャスターを留任させるのが、本来のジャーナリズムの姿だ。問題は、「ジャーナリズムにおける『中立』とは何か」の見識さえ持ち得ず、次々と国家権力に屈していくメディア経営者の弱腰にある。

◇標的になった岸井氏と古舘氏

「私達は違法な報道を見逃しません」。その下に言論を監視、恫喝してやろうとする鋭い目…。「放送法遵守を求める視聴者の会」なる団体が昨年11月、岸井氏を標的に読売、産経新聞に出した意見広告だ。代表呼びかけ人は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人の1人でもあった作曲家のすぎやまこういち氏。事務局長は、自民総裁選直前の2012年、安倍氏を持ち上げる「約束の日、安倍晋三試論」を出版した文芸評論家の小川栄太郎氏だ。

設立わずか2週間で、通常5000万円は下らない全面広告を出せるのだから、普通の市民団体でない。彼らが報道監視の根拠にしたのは、放送法4条だ。

昨年9月16日の岸井氏の「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言を問題視。「報道番組を代表するキャスターとして政治的公平に反する重大な違法行為」、「放送事業者全体に違法行為を積極的に促す発言で悪質」と追及している。

安倍政権にすり寄るニュース番組が増える中、古舘氏も岸井氏も何とか踏ん張り、夏の安保国会では法案の違憲性を訴え続けて来た。世論調査でも「安保法制強行採決反対」が「賛成」を上回り、若者も参加する国会周辺でのデモも盛り上がった。来夏の参院選、それ以降に想定する念願の憲法改正…。それに脅威を感じた安倍政権は地ならしのためには、何としてでも早く二人を降板させたかったのだろう。

◇番組の内容までに介入

4条の解釈については2007年、「一つの番組ではなく、放送事業者全体の番組を見て、バランスが取れたものであるか判断する必要」との総務大臣答弁がある。

テレビ局にも、作る番組にもそれぞれ個性があってしかるべきだ。法文をもってこうした「バランス」を求めること自体、権力による「報道介入」と、私は考えている。

しかし、「視聴者の会」では、さらに進めて「安保法制成立までの1週間、『NEWS23』は法案成立反対側の報道に終始した」と、個別番組の時間配分までも問題視。「一般の視聴者は1局の報道番組全体を見ることは出来ない」と、「一つの番組内で公平性や多様な意見の紹介に配慮するのは当然の責務」として、大臣答弁の変更を求めている。

現在の総務大臣は、安倍側近の高市早苗氏だ。安倍氏取り巻きが意見広告で4条の答弁変更のきっかけを作り、安倍側近大臣が、「4条解釈」の総務省見解を変え、ニュース番組規制をさらに強める……。この出来レースが通常国会で実行されるなら、安倍政権は9条だけでなく、憲法21条「言論の自由」「検閲の禁止」の解釈改憲にも手を染めることになる。

◇ジャーナリズムにおける「政治的中立」とは?

その結果、どうなるか。役人がストップウォッチを持って個々の番組を監視する時代になる。今のNHKと同じくキャスターもニュース番組も個性をなくし、当たり障りのない情報が、賛成反対等分の意見とともに垂れ流される。

本当にこの国に何が起き、この国がどこに向かおうとしているか。「何としてでもこれだけは伝えておきたい」とする熱意を込めたキャスター・ジャーナリストの識見・視点が伝わらない。視聴者もだんだんニュース離れを起こし、政治への国民の監視はさらに薄くなる。独裁者にとってこんなに好ましいことはないのだ。

そこで改めて、ジャーナリズムにおける「政治的中立」とは何かを考えてみたい。そもそも「視聴者の会」が言うような「賛成反対等分」と言うような薄っぺらなものではない。

一言で言うなら、報道機関・記者個々のたゆまない切磋琢磨、競争によって培った深い取材力・情報分析力に裏打ちされた「正確な事実」に基づいて、政治をどう運営することが、「国民の命と生活」を守ることに資するか――。どの政治勢力からも独立した揺るぎないジャーナリズムとしての判断のことなのだ。

権力者は常に自分に都合の悪い情報は隠す。時の権力者としての情報発信力を最大限活用して、国民の意見の比重を変えることも朝飯前だ。もし、ニュース番組で等分報道を義務付けたなら、メディア独自の視点は排され、権力者は思い通りに報道も誘導・操作出来る。

しかし、権力者の政治判断が常に正しいとは限らない。恣意・悪意もあれば、自らは正しいと思っても結果的に間違うこともある。その時、国の進路を誤れば、取り返しのつかない事態になる。

4条「政治的中立」条項を都合よく解釈し、ニュース番組に適用。賛成論、反対論半々の時間的配分を求める「視聴者の会」の意図は、権力者による世論操作の結果をメディアに追随・追認報道を強制することにある。いかに危うく、怪しいものか、それだけでも分かるはずだ。

◇海部首相と憲法9条と朝日新聞

私の政治記者経験から、一例を出そう。私が海部首相番をしていた1990年の湾岸危機・戦争の時の話だ。

湾岸戦争は、「ならず者のイラク・フセイン政権が油田欲しさにクウェートを侵犯。米軍中心の多国籍軍が戦って追い出した」とのイメージで語られることが多い。

しかし、実相は違う。イラクは当時、米軍需産業から売りつけられた武器でイランと戦い、多額の支払いに苦しんでいた。原油値上げで凌ごうとしたが、サウジ、クウェートが反対。切羽詰まって侵攻したのが真相だ。当時の米国は、軍需産業をバックにする共和党・ブッシュ政権。冷戦時代に使い道がなかった武器・弾薬を使い、原油値上げを画策するイラクを叩き潰したいのが本音だった。

米国の意向を汲み、フセイン政権を懲らしめるため米国を中心とした多国籍軍への自衛隊参加を求める自民党内の圧力は日増しに強まっていた。経済界からも派遣要請の声が上がり、首相包囲網は日増しに強まっていた。

しかし、自民党最ハト派の三木派出身の海部首相は、9条の実質改憲につながりかねない軍事貢献には踏み切りたくはなかった。私は夜が白々明けるまで秘書官と話す日もあった。その時、何より秘書官が気にかけていたのが朝日の社説、つまり、朝日が自衛隊の中東派遣容認に転じ、党内基盤の弱い海部政権が支えを失い孤立しないか-だった。

今はかなり怪しくなった。しかし、その頃の朝日は、9条堅持の方針にぶれはなかった。中東の現実を見れば軍事力での解決に限界があり、むしろ逆効果。自衛隊派遣反対の論陣を張った。私は「朝日は変節しない」と秘書官を励まし続け、海部政権も朝日を支えにしていた。

◇外務省官僚の大罪

ある夜のことだ。朝日の主張にも耳を傾けてくれたのだろう。秘書官は米国の軍事行動が始まる前に海部首相が、和平のために日航機をチャーター、極秘で中東を訪問する計画があることを漏らしてくれた。日航出身の秘書官が機体の確保に奔走した結果、実を結んだのだ。

非キリスト教国の日本。中東で嫌われる存在ではない。当時はバブルで使い道に困るほど多額の税収があった。イラクに資金援助することで軍の撤退を促し、日本の仲介での和平成立…それは荒唐無稽な話ではなかった。

だが、対米追従体質が染み込んでいる外務省官僚は制空権が米国にあるにも拘わらず、「民間機はイラクに撃墜される心配がある」を表向きの理由にして、中東歴訪を幻にした。米国には、欧米の持つ石油利権に日本が一枚加わるのを避けたいとの思惑もあったはずだ。抜け駆けで、他の国が和平で動かれることを強くけん制していたから、外務省はその意向に従ったのだろう。

結局、海部首相は多国籍軍への資金援助に留めた。そのことでブッシュ政権から「血を流さない日本」と強い批判を受けたことは確かだ。「湾岸戦争は終結したのだから、世論も自衛隊の掃海艇派遣に賛成だ」などとの調査結果を持ち歩く自民議員もいて、海部政権は圧力に抗しきれず、その後、掃海艇を中東に出している。

安倍政権に近い政治評論家は今でも、当時の海部政権の対応を「失敗」と決めつけ、「何もしない日本は、世界で通らない。湾岸戦争の経験からも軍事協力は不可欠」と、安保国会中も安倍政権の進める安保法制賛成で世論を誘導する格好の理由にしている。

しかし、それは当を得ていない。当時の事実関係からも海部首相は「何もしなかった」のではない。対米追従しか頭にない外務官僚の羽交い絞めで、独自の平和外交を「させてもらえなかった」のだ。結果的に見ても、米国のこの時の軍事介入がいかに失敗かは、その後の軌跡を辿れば明らかだ。

イランはイラクと言う対抗馬がなくなり、ますます強大化、中東の不安定化がさらに進んだ。原油もむしろ暴騰。日本のバブル崩壊の引き金になった。イラク軍を追い出した後も、米軍がサウジアラビアに駐留したことで、親米のはずのアルカイダのビン・ラーディンを敵に回し、9.11同時多発テロが発生。報復のイラク、アフガニスタン攻撃も泥沼化。イスラム国まで生みだし、多くの米軍戦士の命も散った。

◇自民党商工族のドン

私は当時、海部政権を悩まし続けた軍事貢献圧力の正体は何かも検証してみた。その結果分かったことは、「経済界からの強い自衛隊派遣要請の声」の源は、実は派遣に積極的な自民党商工族のドンだった。通産省(現経産省)の事務次官に働きかけ、経団連会長に言わせたのだ。

「掃海艇派遣に賛成する国民が多い」と積極派議員が海部首相に持ってきた世論調査も、実は内閣情報調査室の肝いりで、中曽根元首相の影響力が強い警察官僚の天下り団体が実施したものだった。

質問は「イラクがばらまいた機雷が千個近く放置されているのを知っているか」「ドイツが掃海艇を派遣したのを知っているか」「人的貢献しなかった日本に反日感情が高まっているのを知っているか」の順で続き、最後に日本の掃海艇派遣は」と聞いている。答えは「当然」と「やむを得ない」で63%を占めているが、これでは誘導尋問だ。

政治家が自分のやりたい政策を実現するため、官僚や各種団体に働きかけて声を出させ、政界にブーメランのように還流させる手口は、この世界では日常茶飯事なのだ。

◇正確な情報と分析がジャーナリズムの命

もし、朝日もこんな情報に惑わされたり、政治的圧力に屈して自衛隊派遣容認に転じ、海部政権が米国の言いなりに自衛隊を多国籍軍に参加させても、結局日本は中東に敵を作っただけ。世界平和に何一つ貢献せず、日本も欧米同様、中東の底なし沼のような混乱に間違いなく巻き込まれ、テロの標的にされていた。

むしろ、海部和平が少しでも成功していたなら、「さすが9条を持つ国」と、今では世界の評価も高まったはずだし、たとえ失敗しても「何もしない日本」と言う批判は避けられた。

メディアには、目先の世論に惑わされない「ぶれない政治的中立」が何故、必要か。これで分かっていただけたと思う。メディアがやるべきことは、何より隠された「正確でより深い情報」を入手すること。出来たなら、冷静な分析によって、権力に媚びず、「ぶれない中立」としての独自の断固とした論陣を張ることなのだ。

いつの世にも、権力者のお先棒を担ぐ人は一定程度いる。この人たちは常に「大衆」を名乗り、権力に異論を唱える人を狙い撃とうとするのも共通している。

そもそも安倍政権は、特定秘密保護法で「国民の知る権利」さえ奪い、自分たちに都合の悪い情報を隠して、国民自ら自分の国の進路を判断する手段さえ失わせた。メディアに「政治的中立」を求める資格など、もともと持ち合わせていない。

◇国の形がゆがんで行く

メディアがもし、「政治的中立を逸脱した」との批判を甘んじて受けなければならないことがあるとするなら、それは何らかの政治勢力に誘導されて間違った情報を伝え、自らも誤った論調を展開。国民の選択を惑わせるようなことをした時だ。

それさえしていなければ、安倍政権に「政治的中立」を口実に攻撃されても、少なくとも心ある多くの国民の批判を受けることはない。

安倍政権は、情報隠しを先行させ、国民の意思も問わずに憲法学者の大半も歴代内閣法制局長官でさえ、「違憲」と断じる安保法制を強引に成立させた。「戦前の反省」「立憲政治」に立脚した戦後政治史の中でも、極めて異例・異質である。このまま政権が続くなら、「軍事より経済」、つまり「国民の生活」を優先して来た国の形が、根本的に変わってしまう。

だからこそ、日本政治を長く取材して来た岸井氏は自らの政治記者としての座標軸に従い、キャスターとして「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言したのだ。決して「視聴者の会」が攻撃するような「政治的中立」を侵した発言ではない。

私は番組での古舘氏の発言のすべてを把握しているわけではないが、私が見ていた時間帯での発言では、少なくとも「政治的中立」を逸脱したものは一つもなかった。

◇新聞経営者の劣化

そもそも、多くの戦後メディアが共有する「戦前の反省」とは何だったのか。軍部による情報統制、時の権力に迎合し煽られて人々による、軍国主義に異を唱える人へ「言葉狩り」、排斥。その結果、口を閉ざす人が増え、「愛国」一辺倒の世論操縦が、いかにこの国を誤らせたか。それに抗しきれず、十分な情報提供も論陣も張れなかったメディアとしての侮蔑の念から、「戦後の出発」があったはずである。

新聞もテレビも「ジャーナリズム」である以上、本質的な違いはない。権力はいつでも世論操縦する。「視聴者の会」の要求に屈し、キャスター二人の降板が前例になり、一つの番組の中で対立する意見の「両論併記」の規制もかかるなら、テレビは金輪際、「ジャーナリズムとしての政治的公平」を実現出来ないメディアになる。

確かに安倍政権のやり口は、手段を選ばない。表だった圧力さえこう露骨なら、裏ではさらに陰湿な締め付けをしていることは想像に難くない。しかし、メディアは取材の積み重ねで自分たちが正しいと信じた主張を、自信をもって視聴者に伝えてこそ、存在意義がある。経営者は権力者側の攻撃に対し、自分たちの論調を伝えるキャスターを守らずして、いつ闘うのか。

「透明性の確保」は、両番組とも常々多くの場面で社会に要請して来た言葉である。なら、二枚舌は許されない。何故、キャスター降板に至ったのか。政治的圧力があったか否か。「透明性」が確保出来る形でその実態を包み隠さず、自ら視聴者に知らせる義務がある。

メディア経営者の仕事は、権力者と水面下で密談・取引をすることではないはずだ。キャスター交代をさせるべきか否かは、権力の介入を排し、視聴者・国民にまず問うことではないのか。

私は朝日在社時代から一線記者以上に劣化したメディア経営陣の姿をさんざん見て来た。しかし、今が正念場だ。「いつか来た道」の入り口に立っても、まだ緊張感や抵抗感をなくしているメディア幹部に、改めて「ジャーナリストとしての自覚」を強く求めたい。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。特定秘密保護法違憲訴訟原告。