1. 権力監視の緊張感を保て、安保法制成立で敢えて朝日の責任を問う

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2015年10月14日 (水曜日)

権力監視の緊張感を保て、安保法制成立で敢えて朝日の責任を問う

吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)

 国会を取り囲む多くの人々の声もむなしく、違憲安保法制が成立し、もう1か月が経とうとしている。安倍政権の暴走を止められなかった最大の責任は、もちろんアベノミクスにごまかされ、安倍政権に議席を与え過ぎた国民にある。

でもこんな時にこその護憲メティアであったはずだ。しかし、その姿はあまりにも弱々しく、政権の横暴に立ちはだかる力になり得なかった。やがて迎える憲法9条改正の正念場。二度とこの轍を踏んではならない。事態が一段落したこの時期だから、護憲メディアの代表格・朝日新聞の軌跡と責任を追い、再生のために何が必要かを考えてみたい。

◇失われた権力との緊張感

今回の安保法制報道。改憲メディアの読売、産経はその姿をますます露わにした。本来、中立であるべきNHKは籾井体制の下、政権に都合の悪い国会中継もせず、ジャーナリズムであることさえ捨て去った。

すでに多くの人たちが批判している。だから、ここでは触れない。問題は対抗すべき護憲メディアの力が、あまりにも弱かったことにある。それが何故か。本稿では、私の古巣でもある朝日が、何故まともに安倍政権に立ち向かえなかったか、原因を探ってみることにする。

結論を先に言う。朝日は、「権力監視がメディアの役割」と口では常々言ってきた。しかし、権力に対し緊張感が決定的に欠如していた。だから、つけ込まれ、周到に戦略を練って来た相手に、闘う前から負けていた。それがすべての元凶だ。

ジャーナリズムなら、権力と常に一定の距離感を保たなければならない。緊張関係さえ失わなければ、政権の真の狙いが何かは見えて来る。そこに焦点を当て、対抗軸を読者に示せばいい。

でも、緊張感に欠け立ち向かう気力がなければ、一定の安倍批判を展開しつつも、総括的になる。一つ一つの記事に力がなく、報道総体としての連携も欠く。その結果、安保法制の本質・危険性を体系的に読者に伝えることが出来ない。

朝日幹部も記者も、本気で「権力監視が使命」と考えていたのか。なら、紙面も取材ももっと貪欲になれたはずだ。何をもって読者の「知る権利」に重点的に応えるか。私の記者経験から言っても、狙いを定め取材源に切り込めば、自ずと多くの情報を引き出せ、特ダネも連発出来る。

しかし、今回の安保報道では、こうした特ダネが決定的に不足していた。通り一遍、そこそこの論評・安倍批判は出来ても、隠された一つ一つの事実を掘り起こし、事実の力で全体像に切り込み、読者に伝える説得力、力強さに欠けていた。

◇安倍首相との会食

 抽象論はここまでにして、いかに国家権力への警戒心、緊張感が不足していたか。2012年末、安倍政権誕生以来の朝日の軌跡を辿り、具体的に見てみよう。

政権発足間もなくの翌13年1月15日、朝日も加盟する日本新聞協会は、新聞、書籍などに「軽減税率を求める声明」を出した。「首相動静」を見れば、朝日に限らず、読売、産経も含め主要な新聞社幹部が、その前後に安倍氏と相次いで会食しているから、話の内容はだいたい想像はつく。

その時の新聞協会会長は、秋山耿太郎・朝日新聞社会長。政治部の後輩でもある当時の木村伊量社長が幹部二人と連れだって安倍氏と会ったのは2月7日、帝国ホテルの中華料理店だった。その後も何度も朝日編集幹部は、安倍氏と会食を重ねている。もちろん密室での会食だ。安倍氏と朝日幹部が何を話したか、真相は知る由もない。

翌14年8月。朝日は1980年代からの旧日本軍による従軍慰安婦強制連行報道で、根拠の一つとしていた「吉田清治証言に信ぴょう性がなかった」として、証言に基づいて書いた記事を取り消した。

従軍慰安婦問題は、日本軍の強制連行の有無にかかわらず、若い女性が戦争の犠牲者になった点で、日本には重い責任がある。しかし、日本軍に強制連行の根拠として朝日が依拠した吉田証言は、1990年後半には、信ぴょう性のないことは知る人ぞ知る話ではあった。

確かにいつかは訂正しなければならなかった問題かも知れない。でも、それまでほおかぶりしていた朝日が、何故、この時期に突然の訂正なのか。慰安婦問題で日本の責任を追及して来た市民団体などからは、朝日幹部と安倍首相の会食に着目。「朝日は消費税と慰安婦報道を絡め、安倍政権と取引したのではないか」と疑いの目を向けた。

朝日は、1997年にいったん検証はしている。しかし、誤報で自らに責任が及ぶのを何より恐れるのが、官僚化した朝日幹部だ。社内のセクト主義、派閥意識も加わって、それまでうやむやにして来た。だから、この時期の突然の記事取り消しは、詮索されてもやむを得ない面がある。

◇現場記者と幹部のギャップ

一方、この訂正は、安倍氏も含め戦前の日本を美化したい勢力にとっては、格好の朝日攻撃材料だ。その機会をとらえ、従来から安倍政権と気脈を通じて朝日を批判してきた新聞や週刊誌メディアは「事実を捻じ曲げ、日本を貶める反日朝日」と、一斉にすさまじい攻撃を浴びせ続けた。

果たして朝日幹部は、この展開を覚悟して、訂正に踏み切ったのか。外部の方々にはにわかに信じられないことかも知れないが、内部にいた私には、幹部はこうした事態を予期、相手の攻撃に備えて身構え、十分な準備をして踏み切ったとは、到底思えない。

実はこの頃、朝日の後輩から私に1本の電話が入っている。後輩によると、幹部は記者を集めた社内集会で「訂正したのだから、その後にあんなに叩かれるとは思わなかった」と、嘆いていたというのだ。後輩は、「何と脇の甘い幹部か」と誰かに愚痴を聞いてもらいたかったのだろう。

後輩の話を聞いて、「やはり」と思った。実は朝日社内で対権力・取材相手で常に緊張関係を保ち仕事をしていたのは、私のように調査報道に長く携わっていた記者ぐらいのものだ。

調査報道では相手にとっても死活問題。取材に穴があれば、相手に突っ込まれ、訴訟沙汰に発展する。一つでもスキを作った方が負けの真剣勝負。自ずと緊張関係が生まれる。しかし、幹部の多くにそんな取材経験はない。派閥意識の蔓延した社内で遊泳術に長けてはいても、対権力で本当の緊張感を持ち合わせていない。

◇時代の変化に対応できず

実は55年体制の中での朝日は、それでも通用していた面があったのも事実だ。

戦後長く続いてきたこの体制の要諦を一言で言えば、建前としての改憲と護憲、親米と反米。本音はどちらも軽軍備で経済最優先…である。朝日は当時の社会党ともども、9条改憲で重軍備・自衛隊の海外派兵に求める米の過度な軍事要求をかわす歯止め役を担わされていた。

財界も含め権力側にとっても朝日は、余計な軍事費を使わないためにも必要な存在…。調査報道のように自分たちの地位が根底から揺るがされることがない限り、ちょっと進歩的で気の利いた論評なら、「さすが朝日」と持ち上げられ、大した覚悟も緊張感もいらなかった。

こんな旧態依然たる体質にどっふり漬かって育ったのが、幹部の多くだ。記者の取材した記事を止めて、権力者との取引に使おうと発想する幹部が出る土壌も、そんなところにあるのだが、慰安婦報道の訂正でも、緊張感の欠如がもろに出たのではないだろうか。

「日本軍の強制連行」の記事部分で訂正さえ出しておけば、慰安婦問題で旧日本軍の責任を厳しく追及する韓国に苦慮する安倍政権に、むしろ貸しを作れる…。その程度の軽い気持ちだったとしても、何の不思議もない。

しかし、安倍政権はそれを「借り」と感じるような55年体制延長線上の「甘ちゃん」政権ではない。政権の最初からの狙いは、米国と軌を一にした集団的自衛権の容認・憲法改正にある。朝日の護憲主張は、本気で邪魔なのだ。

◇官僚体質の弊害

 もともと多くの反戦報道を展開して来た朝日だ。しかし、吉田証言に頼った慰安婦記事(もちろん慰安婦報道全体ではない)が一番の弱点であることは、反朝日の人たちの間では半ば常識になっていた。別の言い方をすれば、最も朝日を弱体化させたい時期に追及出来るよう、それまで権力側に泳がされていただけとも言える。

ここからは私の想像になる。朝日の弱みを知り尽くしている安倍政権にしてみれば、会食でその話を持ち出せば、消費税もある手前、朝日も何らかの対応をすると踏んだはずだ。案の定、朝日幹部は反応した。

世論操作に長ける安倍政権は、いずれ慰安婦報道で朝日が訂正を出すとの感触を得ると、対朝日攻撃で周到な準備を始めた。政権の最大の課題は、改憲・集団的自衛権容認。やがて審議にかける安保法制。その前に朝日に訂正を出させれば、「反日デッチ上げメディア」のレッテルも張れるし、安保法制制定を阻もうとする朝日の力を大幅に削げる…私の推測は当たらずとも遠からずだと思う。

その後の展開は、読者の皆さんの知る通りである。朝日幹部は権力の本当の恐さも知らず、危機管理、防御の仕方も分かっていないから、安倍政権の罠にまんまとはまった。相変わらずの官僚体質だから、自分たちの責任を何とか軽くしたい一心での言い訳ばかりの訂正会見をしたお粗末ぶりは、多分、安倍政権の「期待」以上だったはずだ。「謝らない朝日」と親安倍政権メディアに容赦なく叩かれ、2度目の謝罪にまで追い込まれ、読者からの信頼感も大幅に失った。

すべては安倍政権の思惑・シナリオ通り。そのスキをついて、予定通り集団的自衛権容認の閣議決定、安保法制の国会審議へと突き進む、朝日は闘う前にすでに負け、護憲勢力全体の隊列まで乱した。

◇山本太郎らの国会質問をどう報じたのか?

朝日は慰安婦報道訂正後、読者の批判に応え「社内改革」を約束、外部委員を招いて再生案をまとめた。しかし、護憲メディアとしての報道体制の再構築は出来たのか。次に朝日の安保法制報道ぶりを検証してみる。

安保国会での見るべき論議は、低調だった衆院では与党推薦も含め3人の憲法学者が、集団的自衛権容認は「憲法違反」と断じたことだろう。この日から世論の潮目は完全に変わった。

しかし、この日の朝日の紙面は、一面脇の目立たない扱い。その後、反対運動の盛り上がりで尻馬に乗り、やっと「憲法違反」を前面に押し立て、立て続けに安倍批判を始めたが、世論の後追い。報道機関として、憲法学者のような矜恃も持たず、ニュースの価値判断すら間違った恥ずかしい話である。

論戦は参院に移り充実、白熱した。その中でも出色は、①民主党白真勲氏の「自衛隊が米軍核弾頭を運搬出来るのか」と質問②生活・山本太郎議員の「安保法制は、第3次アーミテージ・ナイレポートの完コピだ」との指摘③共産党の仁比聡平議員が自衛隊内部文書を入手、「総選挙直後の昨年12月、河野克俊統合幕僚長が訪米、安保法制について『来年夏までに終了する』と、法案成立時期まで内々伝えていた」との暴露質問――だろう。

私から見れば、いずれも安保法制の核心であり、3つの質問とも1面トップで扱うべき問題だったと思える。しかし、朝日はこの時の白議員の質問はそれなりにしても、後は小さくして見逃し、詳しく知っている人すら少ないかも知れない。

何より、こうした事実の指摘・掘り起こしは記者の仕事。記事にして国会論議に反映させてこそ、ジャーナリストの本懐だ。事実指摘で先を越され、国会質問されてからの後追い報道は、ジャーナリズムとしては恥ずかしいことなのだ。

◇米国いいなりの外交

私は名古屋社会部記者時代、手掛けた愛知県警や県庁の裏金報道を止められ、当時、東京本社から来た編集局長と対立したこともあり、長く名古屋暮らしを強いられた。東京本社政治記者に転勤になったのは、40歳を前にしての頃だったが、その頃はまだ、優秀で志の高い記者が何人もいた。

政治に素人の私を心配してくれたそんな先輩から、「政治部に行くならその前に、吉田茂、マッカーサー、それに宮沢喜一氏の回想録だけは読みなさい。それで日本政治の半分は分かる」と、アドバイスを受けた。

私は警察回りの夜討ち朝駆けで眠い目をこすりつつ読んだ記憶がある。お蔭で政治記者として走りまくって、先輩の言ったことが実感として分かるようになった。

日本では政治を動かす政治家、官僚にそれ程独自の政策がある訳ではない。特に外交ではほとんど米国の言いなり。それにどう対応、対処するかで日本の政策が決まっていた。

以来、私は米国が日本に何を要求しているか。実現するため、政権はどんな形で対応しているか。二つの基軸・視点で政治・外交の行方を見て行くと、大きく方向性を見間違うことはなかった。その後も朝日幹部との確執が続き永田町取材から離れたが、その視点から岡目八目で政治を見ると、ますます方向性がよく分かった。

今回も安保法制も、永田町に行かなくても安倍政権の狙い、政策、方向性も見通せた。安倍氏は国家主義者を装って、「自国の防衛は自分でせねば」と発言している。しかし、世界の軍事は悲しいことだが、依然核バランスの上に成り立っている。もし安倍氏か本気で軍事大国を目指すなら、軍事費は今の10倍、核兵器をもたざるを得ない。いくら何でも財政難の日本でそれは不可能。安倍氏発言の裏は何かと疑った。

最初に思い出したのは、安倍氏が尊敬してやまない祖父の岸信介元首相のことだ。岸氏は当時右翼の大物との深い親交があり、やはり国家主義者を装った。しかし、そのころすでに「9条は日本にプレゼントし過ぎた。自衛隊を米軍の世界軍事戦略に組み込みたい」というのが米国の本音だ。

岸氏は、「自主憲法制定」の美名で9条改憲に動いた。しかし、その裏に米国の意向の働いていたのではないかとの見方は、「岸氏がCIAから資金提供を受けていた」とされる米国秘密文書が、最近公開され始めたことから徐々に裏付けが出てきている。安倍氏も岸氏同様、対米要求をすべて受け入れることで政権維持を目指す対米従属主義者でないのか—-それが私の疑念であった。

◇第3次アーミテージ・ナイ・レポート

安倍政権発足前からの米国の対日軍事要求は、いわゆる「2プラス2」、2005年、日米両国の外務・防衛担当の4閣僚が集まる日米安保協議委員会で検討が始まった在日米軍再編計画と自衛隊の参画である。その協議の結果は、山本議員も質問したように、2012年8月にオバマ政権の外交・軍事ブレーン二人によって作成された「第3次アーミテージ・ナイ・レポート」での提案に集約されている。

主な提言は以下の通りである。

「原発再稼働」「シーレーン保護」「TPP交渉参加」「日韓歴史問題の直視」「インド、オーストラリア、フィリピン、台湾等との連携」「日本の領域を超えた情報・監視・偵察活動、平時、緊張、危機、戦時の米軍と自衛隊の全面協力」「日本単独で掃海艇をホルムズ海峡に派遣、米国との共同による南シナ海における監視活動」「国家機密の保全」「国連平和維持活動(PKO)の法的権限の範囲拡大」「共同訓練、兵器の共同開発」「日本防衛産業の技術輸出」。

つまり、提言の大半は安保法制の中身そのもの。安倍政権の政策に反映していないのは、「日韓歴史問題の直視」だけだ。他のすべての項目を実行するため、安倍氏が国家主義者を装う方策と考えれば、すべて合点が行く。

白議員が追及した自衛隊による核弾頭運搬も、安保法制の目的が米軍と自衛隊の一体化にあるなら、戦場で弾薬を米軍から「運べ」と言われたら、何でも運ばなければならない。「核弾頭も弾薬」と言うのが政府見解。核弾頭の運搬を「法文上排除しない」(中谷防衛相)ことにしておくのも、安倍政権にとっては当然のことなのだ。

仁比議員が暴露した河野幕僚長訪米も、自衛隊と米軍一体化を法案成立直後に実行するため、成立時期をあらかじめ米国に伝えるのが目的だ。つまり3人の出色質問は、すべて在日米軍再編に基づく対日要求に120%応える安倍政権の動きを角度を変えて、質問したものである。

◇理想的な報道とは

 私は、集団的自衛権容認に基づく安保法制の狙いが在日米軍再編に合わせた日米軍の一体化ととらえ、フリージャーナリストとして2年前から幾つものブロク記事を書いてきた。今も朝日記者なら、早くから取材の焦点をそこに絞って、多くの記者を配置。まず秘密文書も渡してくれそうな人脈づくりから始め、取材体制を整える。

そうすれば、山本議員が指摘した安保法制とアーミテージレポートの酷似性は、今年早々、法案原案発表直後に簡単に書けた話である。もちろん、核弾頭輸送容認もだ。そうすれば衆院段階から、もっと論議を充実する方向で誘導出来た。

そもそも日米安保協議で決まった内容・密約は、「特定秘密」の固まりだ。仁比議員が入手した自衛隊内部文書は、その交渉経過の一端を明らかにしたものだが、政府には、この程度の文書なら数百枚数千枚、いや、もっと多く眠っているに違いない。

核弾頭運搬も安倍首相は、「法文上出来ても、現実に運ぶことは政府は想定していない」と否定した。しかし、わざわざ安保法制で「出来る」ようにしたのだから、日米協議の合意文書には、どのように運ぶか、その手順を定めたものなどいくつもの密約が含まれているはずだ。

人脈が出来ていたなら、そのうちの何枚かは手に入る。入手した極秘文書を特ダネとして報じれば、安倍氏のウソを暴けたし、国会での展開も別の局面を迎えた。調査報道が力を持つのは、この様な極秘文書を手に入れた時だ。文書に語らせれば、日米軍隊の一体化が法案の狙いであることを体系的、より説得力を持って読者に知らせられる。

今回の朝日報道が迫力不足で平板、連携、説得力に乏しいと感じるのは、早い時期に安倍政権の狙いを絞り切れず、取材体制構築が出来なかった特ダネ不足が原因だ。

もちろん権力が隠している極秘文書を入手すれば、秘密保護法に抵触する。その場合、記者の「報道の自由」を政府が本当に保証するかの試金石にもなるし、もし「記者逮捕第1号」の「栄誉」に浴せば、少なくとも「護憲朝日」を期待する読者からは、拍手喝さい。慰安婦報道で失った信頼の1部でも取り戻すことは出来たはずだ。

◇小手先の改革は無意味

何故、出来なかったか。朝日がまとめた改革案の中身に答がある。前述の通り、慰安婦報道も見ても、朝日の弱点・改革すべき点は「権力監視」を言いつつも緊張感が欠如した幹部を中心とした「ゆるゆるの社内体制」と、吉田証言のウソを察知出来なかったり、事実の本質を見抜けないデスク、記者の取材力量の不足・詰めの甘さにある。またそれは、相互に関連した問題でもある。

しかし、朝日のまとめた改革案は、「読者の意見を聞くパブリックエディター制度の導入」「多様な意見を載せるフォーラム面の新設」「訂正記事を集めるコーナーの新設」など、小手先のものばかり。

肝心の「対権力への緊張関係」を失っている幹部を中心とした社内体質をどう改革するかには、何も触れていない。相変わらず自分たちの体質・責任を正面から問われるのを恐れる幹部が作った外部委員会だから、結論がこの程度になることは、最初から想定出来た話でもあった。

人選された外部委員は朝日の社内体質を知らず、新聞社内の報道現場も経験していない。素人ばかりでは、「権力監視」に緊張感を作り出せる組織のあり方を提言出来るはずもないのだ。

後輩らの話だと改革案以来、「読者の声を反映する」として、朝日ではそれまで以上に編集現場に幹部の介入を強めているという。憲法学者こぞって国会で安保法制違憲を表明する憲政史上初めての異例の展開でも、一面トップ扱いが出来なかったのも、そのなせる業だろう。何故なら総じて対権力でさらに緊張感が欠け、安倍政権に腰が引けているのは、現場編集者より幹部だからだ。

改革案でも、おまけ程度には「調査報道をさまざまな形で充実 」とは提言している。しかし、中身は「見過ごされている問題に光を当て、情報技術も駆使して公表された資料から問題点を分析するデータジャーナリズムなど、デジタル時代に対応した新しい調査報道スタイルも追求」などだ。

しかし、私に言わせれば、この程度の小手先の甘い考えで調査報道は充実しない。権力内部に深く入り込む人脈が作れ、ひた隠しにしている資料を持ち出せる圧倒的な取材力を持つ記者が必要だ。

それだけでない。入手した文書の真贋も徹底的に検証しなければならないし、本物と分かれば、報道全体の中でその文書で何を伝えるか、伝えられるか、深い分析力も欠かせない。そんな記者は一朝一夕では育成出来ない。

幹部は「調査報道の充実」を口では言えても、調査報道の現場は知らない。私も含め大半の調査報道記者は、幹部にへつらわないから飛ばされて朝日を去っている。後輩を育てる先生役も不在だから、真の取材力の強化、調査報道のノウハウも伝わらない。

すべて、ないない尽くし。事態を切り開く決定的な力を持った特ダネが不足したのも当然のことだが、改革案にそのための対策など、何もないのに等しいのだ。

9月26日付の紙面では紙面審議会での発言内容を紹介、安保法制報道の総括をしている。それを見ても、朝日が安倍政権を追い詰めることが出来なかった根本欠陥を掘り下げ、今後、どう立ち向かうか、メディアとしての責任を自ら厳しく問い詰める姿勢、「このままではいけない」との危機感を編集幹部の発言から感じることは出来なかった。

◇「甘え体質」からの脱却を

盛り上がった安保法制反対のデモ。「今のメディアにもう期待出来ない」と、失望の声をよく聞いた。私は、「さもありなん」と思いつつも、朝日OBとしては寂しくも感じた。でも、その人も自分たちのデモが翌日の紙面でどう扱われかをさかんに気にかけ、大きく扱われることを望んでいた。まだ、メディアへの期待がすべてなくなった訳ではない。

今、朝日に求められることは、55年体制の「甘え体質」から一刻でも早く抜け出し、権力との真の緊張関係を取り戻すことだ。精彩を欠いた今回の安保報道。紙面で読者に知らせなければならないことの何が不足し、書けなかった原因はどこにあるのか。責任回避に走る官僚意識を捨て去り、幹部の責任も含めもう一度、一から真摯に組織のあり方を見直して欲しい。

安倍政権が本気で憲法改正に乗り出せば、護憲勢力はどの政党・勢力とか、メディアの区別を言っておれる場合ではない。総がかりで9条を守り抜くためにも、朝日はその一角を占めて力を発揮出来るのか、本気でやるつもりはあるのか。ガン細胞を切らずして、手足に薬を塗るようなおざなり改革をいくら並べても仕方がない。権力への緊張感を絶やさず、根本的な取材力強化―-私が古巣に望む「改革」は、たったその一点である。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。特定秘密保護法違憲訴訟原告。