1. 無手勝流こそ、ジャーナリズムの真骨頂、テレビ朝日の自殺

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2015年04月30日 (木曜日)

無手勝流こそ、ジャーナリズムの真骨頂、テレビ朝日の自殺

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)

テレビ朝日は、「報道ステーション」コメンテーター、古賀茂明氏の発言問題を受け、「コメンテーターとの意思疎通、信頼関係構築の不足」が原因として、4月28日、6人の社内処分を発表した。

自民の呼び出しに、のこのこ出ていったのがテレ朝だ。「コメンテーター室」の新設は、その意向を汲み、コメンテーターの選別・発言に、経営陣の関与を強め、自己規制する狙いが透けて見える。

そもそも権力の手におえない奔放な無手勝流こそ、ジャーナリズムの真骨頂だ。捨てるなら、権力と闘う手段を自ら放棄し、武装解除するジャーナリズムとしての自殺に等しい。この日、テレビ局が時の権力に屈し、「報道の自由」をなくした転換点として長く後世に記録されることを、私は何より恐れる。

◆自民党によるジャーナリズムへの介入

古賀発言を受けて、テレ朝が28日、明らかにした今後の対策は、①コメンテーターと番組スタッフとの意思疎通を強化するコメンテーター室の新設。人選や出演の助言を行う②コメンテーターの発言について、視聴者から意見をもらうシステムの構築③ゲストコメンテーターとの信頼関係の構築。

ゲストコメンテーター出演依頼では、番組内容を理解してもらい、日常的な信頼関係強化に努め、編成やコメント項目について丁寧に説明-の3点だ。

その前の17日、自民党本部では党情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚生労働相)が開かれている。「2つの案件とも真実が曲げられた放送がされた疑いがある」と、放送法を盾に「やらせ」問題でのNHKの堂元光副会長とともに呼び出しを受け、のこのこ出ていったのは、テレビ朝日の福田俊男専務だ。

もともとの自民の狙いは、テレ朝にあったのは、疑いの余地はないだろう。しかし、ジャーナリズムなら番組内容について、説明すべきは視聴者・国民に対してであり、時の権力者ではない。

拒否するのが、本来のジャーナリズムであり、ジャーナリストの気概でもある。万一、出て行ったとしても、自民から何を聞かれ、どう答えたのか。権力を笠にきた圧力めいたものはなかったのか。具体的に視聴者に明らかにしてこそ、最低限のジャーナリズムの責任・見識と言うものだ。

しかし、福田氏は記者に囲まれても、そのような内容を視聴者にほとんど具体的に説明するでもなく、党本部を去った。

◆古賀茂明氏の降板の舞台裏

昨年7月4日の安倍首相の「首相動静」がある。「18時55分 テレビ朝日早河洋会長、吉田慎一社長、幻冬舎の見城徹社長。▽21時4分 私邸着」。つまり、2時間の会食である。

見城氏は、テレ朝の放送番組審議会委員長でもある。社長を務める幻冬舎では「約束の日 安倍晋三試論」を刊行して総裁選前から応援団を務め、安倍氏とはかねてからきわめて親しい関係が伝えられていた人物だ。

報道現場はともかく早河会長体制のテレ朝で、見城氏を番審の委員長に据えた時から、報ステでの古賀氏の排除も、コメンテーターの選別強化も予想された結果ではなかったかと、私には映る。

実は、フリージャーナリストによる特定秘密保護法違憲訴訟原告団では、テレ朝処分発表の前日の28日、古賀氏をメインゲストに招いて講演会を東京で開いた。

原告の一人でもある私は、古賀氏の前座として30分足らず、話す機会を得た。その場で私は、古賀氏がなぜこうまで安倍政権から嫌われ、狙われるかについて触れた。その内容の一部を、ここに紹介する。

◆腐敗の実態を知る古賀茂明氏

理由の一つ目は、安倍政権が進める最大政策課題、集団的自衛権、原発再稼働にとって、最大の障害になる人物の一人であることだ。

古賀氏は、官僚を長く務め、政治家・官僚が、何を秘密にするか、その裏の裏、腐敗の内情をよく知っている。普通、天下りのエサを与え、口封じする。しかし、古賀氏には通じない。集団的自衛権、原発再稼働の裏にうごめく官僚・政治家の手の内、狙い…。それを常々テレビで語られることを、安倍政権がいかに苦々しく感じているか、想像に難くない。
二つ目は、憲法改正を最大目標とする安倍氏にとって、古賀氏は今後の政権戦略にとって、大きな障害になることだ。

古賀氏は 「改革はするが、戦争はしない」と、第4極の勢力出現の必要性を近年口にしている。利権まみれで1000兆円も借金が積み上がったこの国で、腐敗した官僚と既得権を排する、行政改革は多くの国民の支持が集まる。小泉人気、かつての民主党による政権交代、維新・橋下氏の誕生もすべてその流れに乗っている。

◆第4極「改革はするが、戦争をしない」

民主による行革の失速・失敗、失望で誕生した安倍人気もその流れの中にある。しかし、安倍氏は行革を口にしても、本気でやる気は感じられない。政権目標が集団的自衛権容認を憲法改正につなげ、米国と手を携えて、日本を「戦争の出来る国」にすることにある以上、既得権層とも妥協、自民の中の政権基盤確立を優先してきた。実際、防衛予算が増えただけでなく、公共事業予算も大幅増。行革の成果はほとんど上がっていないのが実情だ。

だからこそ、安倍政権は、「既得権層の排除・行革の徹底」と憲法9条改正をセットに訴える「維新」を補完勢力として取り込みを図る。その看板を借りることで、国会で改憲に必要な3分の2の議席を確保、改憲に慎重な「公明」をけん制、両天秤にかけつつ、改憲実現を目指すのが基本的な政権戦略だ。

だが、各種世論調査の結果を冷静に見直してみたい。おしなべて憲法9条の改正には、慎重派の方が賛成派を上回る。行革には依然、国民の強い支持がある。つまり。古賀氏の言う第4極「改革はするが、戦争をしない」との政策を支持する国民が一番多いのが現状だ。

しかし、古賀氏の言う第4極の政策を明確に打ち出す政党が不在なのが、この国の政治にとって最大の不幸なのだ。もはや行革で民主はあてにならないし、改憲か護憲も不明。自民は既得権者との関係は切れない。かといって維新に投票すれば、改憲に拍車がかかる。共産や社民は護憲の受け皿になっても、行革では期待は持てない…。

こんな有権者が多いことが低投票率の原因であり、その低投票率に支えられて、得票が低くても小選挙区制にも助けられ、大幅議席増。相対的自民圧勝で安倍人気が健在なように見えているのが、今の政権の実態である。

もし、「維新」の看板「既得権者のしがらみを持たない行革の推進」を、第4極も明確に打ち出し、改憲反対もセットにすれば、これまでの維新に向かっていた票や、改憲に慎重で棄権していた無党派層が、どれくらい第4極に流れるか。

安倍氏にとって、最大の脅威であり、結果次第で安倍氏の改憲構想は根底から覆る。第4極に有力な候補者が集まり、大きく育つ前に、古賀氏の芽を摘んでおきたい…。安倍氏がそう考えていても、何の不思議もない。

◆久米宏氏と古館伊知郎氏の違い

そもそも、報ステは久米宏氏がキャスターを務めたテレ朝の看板番組「ニュースステーション」を引き継いで、2004年にスタートした。久米氏の頃は、番組でコメンテーターと交わす会話について、一切事前の打ち合わせをしなかったことも知られている。「何を聞かれるか分からない」と、出演者は緊張を強いられた。しかし、その分、その時々に応じた変幻自在、自由な発言が出来た。

丁々発止、久米氏に聞かれてとっさに出る言葉こそ、その人の本音であり、自然に出た新鮮な驚きがあった。時々脱線もするが、そんなドキドキのハプニングもこの「ニュースステーション」の人気を支えていた。

もし、古賀氏が「テレビ朝日の早河会長、古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で私(の出演)は今日が最後」と、番組で発言したら、久米氏なら、どう対応したか。少し想像してみた。

久米「いゃー、困ったな(笑い)。そんなことを今日、古賀さんが突然言い出すとは、思いもしませんでしたよ」

古賀「いつも、この番組は事前の打ち合わせなんか、していないではないですか」

久米「ひゃー…、これはこれは…、古賀さんに1本取られましたね。私も実は、古賀さんが今日限りと言うのは残念だし、何故そうなったのかと…」

古賀「なぜ、そうなったのですか」

この後、久米氏なら、「今日限りになった」理由を多少のオブラートに包みつつも、自分の知る限りのことなら話したと思う。それがジャーナリストとして当然のことであり、久米氏なら、その程度の意地は持っていたはずだ。少なくとも古舘キャスターのように「今の話は承伏できません」とは、言わなかったのではないか。

実はお行儀のいいメディアほど、権力にとって御しやすいものはないのだ。 シナリオのない無手勝流であってこそ、ジャーナリズムは、権力の規制から逃れられる。
視聴者に知らせなければならないものは、もちろん伝える。権力側が文句をつけてくれば、「いゃ、打ち合わせになかったものですから。まあ、この番組はいつも打ち合わせをしていませんから」といけシャーシャー、あるいはのらりくらり…。そうしていれば、相手もまともに追及出来ない。
それでも相手が強権発動してくれば、その時はその時だ。「権力による露骨な報道介入」と、それまでの経過を洗いざらい明らかにして、視聴者・国民を味方につけ闘えばいいのだ。

◆言論統制の行き着く先

戦前も、ジャーナリストの多くはそれなりの意地は持っていた。しかし、戦前の記録を読み返せば、日増しに軍部の監視・検閲が強まり、すべて放送はシナリオを作らせられ、シナリオ一言一句通り読まない限り、放送させてもらえなかった。国民に知らさなければならないものが伝わらず、国民は実相を知らないまま悲惨な戦争へとはまり込んだ。
今回、テレ朝が示した改革案で、コメンテーター室が新設されれば、ますます人選に経営側の関与が強まる。コメント内容についても、「意思疎通」や「信頼関係の構築」「番組内容を理解してもらう」などの名目で、シナリオらしいものが出来上がり、タガがはめられることとなる。

視聴者から意見をもらうシステムの構築も掲げるが、報道内容を細かくチェックしているのが、今の安倍政権だ。ネット右翼によるテレビ局への間断ない苦情攻撃もある。結局、その大きな声に耳を傾けることになりかねない。

「ジャーナリズムの使命は、権力監視である」と、多くのジャーナリストは語る。しかし、安倍首相にきわめて近い見城氏を番組審議会の委員長に据え、一つ一つの番組内容を監視。権力側に傾斜しているのが、今の早河会長-見城番審委員長体制のテレ朝だ。

最初から、「権力監視」をするつもりもなければ、人々の「知る権利」に応えることも念頭にない。自民の意向を斟酌し、経営側を通じ、わざわざ報道現場へ権力の介入のしやすい体制を作ったのが、今回のコメンテーター室の新設と言えるのかもしれない。

テレ朝は、誰の顔を見て、報道するのか。視聴者か。それとも権力者なのか。ジャーナリズム、ジャーナリストなら、依拠すべきは、権力でなく国民のはず。まだまだ、報ステには、ニュースステーション時代からの視聴者の期待も大きい。このままでは、確実に報ステもテレ朝も死ぬ。私はテレ朝の現場関係者に、経営陣の圧力をはねのけるジャーナリストとしての覚悟・自覚を求めたい。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。ブロクは「「MEDIA KOKUSHO」→「吉竹ジャーナル」