1. 朝日は派閥官僚体質の病根を絶て、社長辞任では解決しない朝日の再生

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2014年11月17日 (月曜日)

朝日は派閥官僚体質の病根を絶て、社長辞任では解決しない朝日の再生

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
原発、従軍慰安婦報道批判を受け、朝日新聞社の木村伊量社長の辞任が発表された。しかし、社長辞任で何も解決しない。

今、安倍政権が、特定秘密保護法で人々の「知る権利」を根こそぎ奪いながら、集団的自衛権を容認し、「戦争の出来る国」にひた走っている。的はずれの批判で朝日が委縮。安倍政権に対抗する力を失い、権力監視のための調査報道など本来果たすべきリベラルジャーナリズムの役割まで朝日が放棄すれば、「いつか来た道」である。その時、反撃に出なければならない朝日の姿があまりにも弱々しいことこそ、問題なのだ。

「『報道の自由』を守れとは、朝日社員なら誰でも言います。しかし、『本気で言えば唇寒し』との空気がこの組織に流れて、もうどれほどの時間が経ったのでしょうか。このままにしておけば、やがて取り返しのつかない事態になります」。

私がこの手紙を当時の箱島信一社長に直接送ったのは、今から9年前の2005年。週刊朝日がサラ金会社から「編集協力費」名目で訳の分からないカネを受け取った武富士問題や若い記者による記事盗用など不祥事が表面化する直前のことだった。

「公共事業は諸悪の根源」シリーズを通してお読みの本欄の読者なら、もうとっくにご存知のはずだ。私は朝日から思わぬ記事の差し止めを受け、抗議したら記者職を剥奪、ブラ勤にまでされた。朝日内部で闘い、不当差別訴訟でも争った。だから、朝日のジャーナリズムとしての力が、何故ここまで落ちたかは、一番よく知っている。

でも、バッシング勢力の尻馬に乗るつもりはなかった。この時期は出来る限り、沈黙を守るつもりでもいた。私は木村社長とは、名古屋本社・社会部や東京・政治部でも一緒に仕事をした仲でもある。正直、朝日幹部の中で最も官僚タイプでない彼なら、改革の道筋をつけてくれるのではないか、との淡い期待も描いていた。

◇朝日の病巣とは何か?

しかし、面白おかしく伝えられる社長交代劇のドロドロを読むとき、その真偽は別として、新経営陣の顔ぶれを見ても、私の時と同様、本当に朝日の改革が今後なされるとの期待は、私にはない。

私が口をつぐんでも、朝日が存続の危機に立っている。では、朝日が本当に批判されるべきは何なのか。彼らの攻撃にもびくともしない骨太のジャーナリズムに再生にするには、何をなすべきか。朝日の病巣を誰よりもよく知る者として、言うべきことは、やはり言わなければ…。私がそんな思いでしたため、朝日の「信頼回復と再生のための委員会」に送ったのが本稿と、ほぼ同趣旨の文章だ。

◇「知る権利」よりも内部論理を優先

しかし、委員会からは、今のところ、なしのつぶてである。社長辞任で改革がまたもウヤムヤにされる恐れもある。もう遠慮するものは何もない。以下、改めて、本欄でこの文章を公表することにした。

私は、無駄な公共事業の典型と言われた長良川河口堰取材に長く携わり、無駄を承知しながら、強引に工事を進める当時の建設省のそのウソ・カラクリを完璧に解明した。しかし、記事にしようとした1990年、まともな理由を全く説明されず、上司から記事を止められた。

その後、定年までの18年間は、私にとって「ジャーナリズムでなくなった朝日」との内部での闘いだった。口先と裏腹に読者の「知る権利」にまともに応えず、内部論理を優先、社内言論の自由さえない朝日の体質をいやと言うほど見て来た。

当然、記事になるべき私の原稿が止められたのも、今回の誤報記事がまともに検証されず垂れ流しになり、「謝まれない朝日」に世間の批判を浴びたのも、表裏一体の関係。根っこにあるのは、同じ。組織に巣食う派閥・官僚体質が露呈したに過ぎないと、私には映る。

◇バッシング勢力の餌食に

私は慰安婦報道に関与した経験はなく、専門知識は持たない。それでも朝日の検証記事を読む限りでも、一部に誤報があったと言われても致し方はない。従来の慰安婦報道のすべてを、正当化するつもりもない。

安倍政権になり、改憲路線に掉さす朝日に代表されるリベラルジャーナリズムに対する意図的攻撃が激しさを増した。昔からくすぶっていた慰安婦報道の弱点を突かれると、ひとたまりもなくその体質を露呈。原発報道でも追い打ちを掛けられ、もろくも崩れ、今の危機に至った。

バッシングの背景に、過去の軍部や東電のやった行為の多くを消し去って美化、この国を戦前に戻したり、原発再稼働に動く勢力が見え隠れする。こうした誤報部分があることを知った後も、手をこまねいてみすみすバッシング勢力の餌食になった朝日の体質が何にもまして、私には情けないのだ。

「朝日はどう変わるべきか」。私が人から問われれば、必ずこう答えている。「別に変わる必要はない。朝日には『綱領』があり、それを具体化する『朝日新聞行動規範』が定められている。その通り社内で実行すればいい」。

◇幅をきかせている建前論

では、「行動規範」に、何が定められているか。ここではすべてを書く紙数はない。今回の問題に関連する記述のみ抜粋して見よう。

「高い倫理観をもち、国民の知る権利に応えるため、いかなる権力にも左右されず、言論・表現の自由を貫き、新聞をはじめ多様なメディアを通じて公共的・文化的使命を果たします」
「あらゆる不正行為を追及し、暴力と闘い、より良い市民生活の実現を目指します」

「特定の団体、個人等を正当な理由なく一方的に利したりしません。取材・報道に当たっては人権に常に配慮します」

「取材倫理の徹底を図ります」

「(『綱領』は、)歴史に裏打ちされた社会に対する約束であり、自らを律する基本でもあります。日本新聞協会は2000年に『すべての新聞人は、読者との信頼をゆるぎないものとするために、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない』との新聞倫理綱領を定めています」

――とある。

また、記者には「行動基準」が定められている。

「記者は、真実を追求し、あらゆる権力を監視して不正と闘うとともに、必要な情報を速やかに読者に提供する責務を担う。憲法21条が保障する表現の自由のもと、報道を通じて人々の知る権利にこたえることに記者の存在意義はある」

この規範を朝日幹部はどう裏切って来たか。私のケースについては、拙書「報道弾圧」(東京図書出版)に詳しく書いているが、まず、ここで簡単に触れる。

私の河口堰報道は、数々の建設省極秘資料を入手。「堰がないと、水害の危険がある」とする建設理由が全くのウソ。堰がなくても治水が可能で、「無駄な公共事業」であることを、完璧に証明するものだった。つまり、「真実を追求し、あらゆる権力を監視して不正と闘う」との「記者行動基準」に沿うものだ。

記者には取材で得た「必要な情報を速やかに読者に提供する責務」がある。だから、私は責務を全うするため、記事の掲載を求め続けた。でも、定年までの18年間、記事を止めた理由すら、朝日がまともな答えを返したことは一度もなかった。

「(記事を止めた)部長は異能分子だ。これ以上、批判しないで欲しい」と、編集幹部が私に一度、言って来たことがある。朝日で「異能分子」とは、記者として培った人脈を取材以外の活動に利用する人を指す。私が駆け出しの頃、「『異能分子』が新社屋用地確保のために国有地の払い下げに動いた」と聞いたこともあった。

「異能分子」と呼ばれた部長のバックに当時の経営幹部が見え隠れしていた。私の記事を止めたのも、「異能活動」と関係があったとしたら、朝日が私に真相を語れない余程の後ろめたい理由・背景が、裏にあったのかも知れない。

しかし、朝日幹部は自分たちの行為を棚上げにし、編集局長に異議を唱えた私から記者職を剥奪。苦情処理係の広報室長に5年を超えて留め置いた後、最後は全く仕事のないブラ勤にするなど報復を重ねた。

◇批判を嫌い、臭いものには蓋を

私は朝日の「行動規範」違反を指摘し、社内のコンプライアンス委員会に提訴もした。しかし、幾多のやり取りの後、言葉に窮した朝日は「編集権に関することは、委員会では審議しない」と最終回答し、却下している。「自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない」とする「規範」などどこ吹く風。批判を嫌い、臭いものには蓋をして責任回避ばかりを考える官僚主義に毒された経営陣の姿しか、私には見えなかった。

では、翻って慰安婦や原発報道はどうか。

慰安婦報道では、確かに1990年代初期には朝日に限らず、「慰安婦」と「女子挺身隊」の混同報道が見られたのは事実だろう。しかし、1990年代中ごろから、「誤報ではないか」との朝日に対する批判が出始めた。

「規範」に沿えば、「国民の知る権利に応えるため」の記事は、「正確かつ迅速に提供」しなければならない。誤りがあれば、「高い倫理観」からも「迅速」に正さなければならないのも、また当然の帰結だ。

報道によれば、97年、朝日では内部でそれなりの調査をしている。でも、何故その時に、調査が徹底されなかったのか。私の時と同様、自らに対しての批判を嫌い、責任を取りたくない社内体質からではなかったのだろうか。

私は飛ばされ始めた時期だから、検証作業の実態を深く知る立場にない。後輩から漏れてくる話や、最近の朝日紙面での検証報道、私の社内経験を重ね合わせると、次のようなことではなかったのか。

朝日の慰安婦報道に外部からの抗議も増え批判が出始め、朝日報道が依拠した「日本軍による慰安婦の強制連行があった」とする「吉田証言」の信ぴょう性のついて、当時の朝日は別の記者に報道の検証を命じた。しかし、検証させられる記者こそ、いい迷惑でなのである。

◇社内の風向きを読む記者たち

何故なら、批判を嫌い、責任を取りたくないのが朝日幹部だ。幹部は検証によって「報道に誤りはない」との結論を得て、自らの責任逃れのお墨付きが欲しいだけなのだ。それは、朝日に長くいる記者なら、誰でも分かる。記者はおざなりの「検証まがい」をして見せ、お茶を濁すしかなかっただろう。

万一、「報道に誤り」などの検証結果を出せば、調査した記者の身が危ない。一昔前の流行語を使うなら、社内の風を読めない「K.Y」だ。幹部の怒りを買い、私のようにブラ勤にされてしまうのがオチだからだ。

ちなみに、河口堰記事の差し止めで、私が異議を申立てた名古屋編集局長は、慰安婦記事を出稿した大阪本社で社会部長、編集局長など長く幹部の椅子を占めていた人物でもある。私が記事の復活を願う一心で懸命に書いた文書にも、木で鼻をくくったような返事しか返さず、私がブラ勤に追いやられるきっかけを作っている。

朝日の記者は総じて「賢い」。社内の風向きが分かっていて、敢えて異論を唱える馬鹿は、私を含め極めてごく少数だ。当たり障りのない検証で、「誤報」との結論を出さなかったのは、朝日の内部論理からはごく当然のことなのだ。

8月5日付の慰安婦検証報道で、朝日がきちんとした謝罪の言葉を入れられなかったのも、こうした幹部の無責任体質にあると、私は見る。紙面に「謝罪」の文言を入れれば、当然にして記事掲載当時の編集幹部の責任追及が不可避だ。過去の幹部で、潔く責任を取る人物が見当たらなかったからではないのか。

◇「吉田調書」を政府が一転公開

原発報道も同様である。もともと原発再稼働に強い懸念を示して来たのが朝日だ。とりわけ再稼働の政府方針に同調する新聞や雑誌にしてみれば、当時、原発が大規模メルトダウン寸前だったことを生々しく語る「吉田調書」を朝日に特ダネとして抜かれたのは、癪(しゃく)の種。日々特ダネ競争に明け暮れる他社の記者には、やっかみもあったはずだ。

「吉田調書」の内容が知れ渡り、多くの報道機関の眼に触れるようになると、鵜の目鷹の目で、朝日の記事の誤りを探し始めた。よくよく調書の文面を読めば、「所長命令に違反し、所員が撤退した」とは読めない部分もある。もともと朝日が嫌いで、その論調の影響力を弱めたい新聞や週刊誌が「誤報」と騒ぎ出すのは、時間の問題だった。

裏に政権の意向があったのかも知れない。「非公開」と言って来た「吉田調書」を、政府が一転公開に踏み切ったことに、その臭いを感じる、1990年代はまだ朝日の力は強く、慰安婦報道のように、責任逃れのおざなり検証が何とか長い期間、罷り通って来た。それは朝日幹部の「甘え」であり、「おごり」でもある。

しかし、安倍政権下では通じない。「早く対応しないと朝日が潰される」くらいの危機感を、幹部なら当然この時に持つべきだった。記事に誤りがあるなら、早く訂正・謝罪記事を載せる。責任の所在も明らかにし、傷を最小限に食い止める。それが危機管理である。

しかし、朝日幹部は内部の風を読む達人ではあっても、外部の風は読めない「K.Y」である。外で吹き荒れる逆風に気付かないまま、責任逃れしたい幹部の暗黙の意向を汲んだ記者が、これまで通りの「おざなり検証」し、対応が遅れたのが、今の事態に陥った原因ではないのか。

朝日社内が内部論理でなく、読者との約束でもある「規範」に忠実に従い、「高い倫理観」をもって、「迅速」に対応していれば、これ程の「危機」は回避出来たはずなのだ。検証紙面を読めば読むほど、私にはそうとしか思えない。「違う」との反論があれば、朝日からぜひ聞きたい。

◇派閥人事の弊害

自ら責任を取ろうとしない官僚主義に並ぶ朝日幹部の病巣として、見逃せないのが派閥体質だ。その弊害がもろに出たのも、慰安婦、原発報道である。

朝日は「調査報道が新聞社の命」と読者には高らかに宣伝している。しかし、私のようにブラ勤にまでされるのは極端な例だとしても、実績を積んだ調査報道記者ほど官僚化した幹部には嫌われる。
有名な調査報道記者で局長クラスまで昇進したのは、「派閥の権化」とも言われた当時の朝日の実力者とも親しく、私の記事を止め、「異能分子」と呼ばれた社会部長ぐらいのもの。度重なる派閥人事で大半は編集中枢から遠ざけられ、重要な調査報道のノウハウが若い記者に伝承されていないのだ。

調査報道が最初に脚光を浴びたのは1980年代だ。朝日が先陣を切った「建設談合報道」からである。その頃、朝日の中でもまともに調査報道が出来る資質を備えた記者は10指に満たなかった。私はこうした記者から調査報道の面白さ、厳しさのすべてを教えられ、ノウハウを受け継いで育った。

捜査機関のように証拠を強制的に入手出来ないのが、調査報道だ。記者の手練手管で何とか証拠になる極秘資料を手に入れ、反社会的行為を報道機関の責任において告発して行く。

うまくいけば、読者から拍手喝采を浴びる。しかし、記事の標的になった個人、団体にとっては死活問題。財力、権力を持つ人が大半だから、記事に少しの穴でもあれば、弁護士を立て記事の弱点を突いて反撃に出てくる。訴訟沙汰になることも少なくない。調査報道とは、常にそんな危険と隣り合わせだ。
私が受け継いだノウハウは数多くある。ここではそのすべてを披露する紙数はない。慰安婦、原発誤報に関連することだけを触れておく。

◇真実を見極めるための取材

一つ目は、「一人の証言に頼った原稿は危ない。裏を取るまで書くな」だった。
記者は記事にしたいテーマの取材を進めると、狙いにぴったりの証言をしてくれる人に出くわす時もある。苦労して人脈を作り、やっと出会った証言者だ。すぐにでも記事にしたい衝動に駆られるのも、記者なら無理からぬところだ。

でも、先輩はそんな記事を絶対に許してはくれなかった。証言者が記者に話す狙い、動機は何か。その人は、本当に証言内容を知る立場にいたのか。経歴、その人の評判はどうなのか。物証はあるのか。その人の周辺で証言内容と同じことを知っている人はいないのか、など…。数多くの裏付けが求められ、証言の信ぴょう性に疑問がなくなるまで、記事にはしてくれなかった。

私には「せっかくいい証言が取れた。裏付けに時間をかければ、証言者の心証も悪くなるし、他紙に先に書かれないか」と焦る気持ちはもちろんあった。それを必死で抑えつつ、記事にするまでに1か月以上かけたこともある。

虚言癖がある人もいる。虚言とまで言えなくても、尾ひれの付いた話もある。反社会的組織に属する人なら、罪を悔いての発言なら使えるが、そうでないと、憚れることも多々ある。例え証言が真実でも、証言により社会的生命を奪われる人は強大だ。圧力をかけられて証言が翻されると、誤報にされかねない。

一人の証言に頼ることはそれほど危ないことなのだ。先輩は、「証言がなくても、記事の骨格が真実と信じうる要件を備えているか」の検証を常に求めていたのだ。私はそれを励行し、何度か「この人の証言は危ない」と気付き、報道を踏みとどまったこともある。

◇資料を精読する重要さ

もう一つのノウハウも紹介しよう。「入手した資料は、穴が開くほど読み返せ。周辺取材も欠かさず、原稿は腹8分。絶対に筆を滑られるな」である。

調査報道記者は一つの極秘資料を手に入れるために、気の遠くなるほどの努力をする。だから、資料が入れば、気持ちも高揚する。資料に基づきそれまで思い描いていた記事を出来るだけ早く、大きく載せたくもなる。

だが、落とし穴がある。資料を斜め読みし、自分の思い描く記事に使える文面を拾い出して、記事にすると、後から逆の記述も見つかり、そうとばかりは解釈出来ないケースは多々ある。私は教えに沿い、資料が手に入るとコピーして重要記述に赤線を入れて何度も何度も読み返した。

その結果、ほぼ思い描く記事が書けるのでは、と思えることもある。しかし、少し引っかかる箇所もある。そんな時には一旦、頭を空にする。入手した資料のみを見つめ、どこまでの原稿が書けるかを考える。相手から万一ねじ込まれても、十分に対抗出来る表現に留め、無理な踏み込み、表現を避ける。

もう一歩、どうしても踏み込んで書かなくては、読者に記者の伝えたい真相が伝わらないケースもある。そんな時には、書けるだけの資料、証言がさらに取れるまで周辺人物に当たり、裏付け取材を重ねた。

◇多くの調査報道記者が編集中枢から外された

このノウハウが朝日の若い記者や中堅のデスクにきちんと継承されていたら、慰安婦、原発の誤報は防げたはずなのだ。実際、私は社会部デスク時代、記者のはやる気持ちは痛い程分かるから、もう一度自分で資料を検討し、記者の勇み足表現を幾つも削った経験もある。しかし、私はそれ以来飛ばされ、編集現場にいることさえ出来なかった。

何故、私にノウハウを教えてくれた先輩も含め、多くの調査報道記者が編集中枢から外されたのか。実は前述の通り、誤報の検証が徹底しない朝日社内力学を思い起こしてもらえば、根は同じ。新聞社とはいわず、サラリーマン経験のある人なら、自分の会社体験と重ね合わせてもらえば、すぐ分かる話だ。

私がもし、97年に慰安婦報道の検証を命じらていれば、先の教えに沿って記事を見直す。記事は一人の証言に頼って書かれたものだ。その人の経歴も調べ、周辺証言も取って証言の信ぴょう性についての疑義を指摘。当然のこととして編集幹部に誤報の可能性を上申する。しかし、責任回避しか頭にない幹部は、それでは困るのだ。

だいたい調査報道をまともにやろうとする記者は反権力意識も強い。記者としての実績に誇りも持っている。大した特ダネも書かず、上の顔色ばかりを見て昇進した上司を、もともと快く思っていない。上司の意向に素直に従わないし,ズケズケものを言う。上司にとっては使いづらい部下なのだ。

しかし、残念ながら人事権を持つのは、上司の方だ。幹部は自分の責任逃れに協力してくれそうな記者を探して検証させる。自分に都合のいい結論を出してくれた部下は誰でも可愛い。後々も役に立ってくれそうだ。登用して自分の派閥に取り込み、反抗しそうな記者はどんどん外していく…、との構図だ。

◇朝日の新改革案

こんな派閥人事を長年繰り返した結果が、今の朝日だ。イエスマンの幹部ばかりが社内にはびこり、骨太のジャーナリスト精神を持ち合わせず、内外の批判を恐れる小心者の組織になってしまった。時として「傲慢」に見えるのは、小心者だから、外からの批判に鷹揚に構えられないからである。

そうした朝日幹部の典型が、ごく当たり前のジャーナリズムの掟を書いたに過ぎない池上彰氏のコラムの掲載を一旦拒絶した当時の編集担当ではなかったか…。9月11日の原発記事の誤報会見の一部始終を見て、私にはそう思えた。

朝日は、ジャーナリズムとしての生き残りをかけ、新編集担当の下に「信頼回復と再生のための委員会」を立ち上げ、改革案を作り上げるとしている。しかし、私はそれにも懐疑的だ。
朝日では抜本的な改革を求められ、過去にも役員クラスによる「編集改革委員会」、その下に中堅、若手社員も参加する「信頼される報道のために委員会」が設立したことがある。サラ金企業から週刊朝日が「編集協力費」名目で意味不明のカネを受け取ったことや、若い記者による記事盗用、ニセメモ事件が相次いだ2005年のことだ。

この時、私は「ジャーナリズムではありえない背信行為」として、河口堰報道を止めた朝日の編集権行使の在り方についても、「規範」に照らし審議するように求めた。改革案作りに多くの社員の意見を集めるため、社内ネットに「信頼フォーラム」というチャットも作られていたので、提訴がウヤムヤにされるのを恐れ、提訴概要を「フォーラム」にも書き込み、全社員に知らせようとした。

しかし、フォーラムの書き込みは翌日には削除された。委員会で私の問題は審議されることもなく、当たり障りのない改革提言をしただけで、お茶を濁している。その結果が今の事態に繋がった。私には今回の「再生委員会」でも、朝日は本当に耳の痛い話は聞かず、前回の二の舞になる気がする。

◇対朝日の民事訴訟

私の朝日相手の訴訟結果についても触れておかねばならない。実は私はこの裁判で敗訴している。

私が「河口堰報道を止め、異議を唱えた記者をブラ勤にしたのは、朝日の編集権、人事権の濫用」と、損害賠償を求め提訴したのは、定年直後の2008年だった。
1審の名古屋地裁は一切の事実審理はおろか、私の法廷での陳述さえ拒否し、早々と結審させた。判決に事実に関するものはなく、朝日の主張を鵜呑みにし、「編集権は新聞経営者にある。記者の書いた原稿を記事として掲載するか否かは、経営者の裁量権。記者には何の権利もない」と言うものだった。

私は当然、「経営者に人事を含め裁量権はあっても、濫用は不法行為。その有無を事実に基づいて判断するのが、労働訴訟の基礎である最高裁判例『不利益変更法理』。一審は判例違反」と控訴した。

しかし、高裁も一審同様、事実調べをせず、即日結審。ところが判決文で突然、事実認定に踏み込み、「記者は1990年6月、社会部長から補足取材の指示を受けながら、その指示を埋めることが出来なかった。記事にならなかった原因は、記者の取材不足であり、朝日に濫用・不法行為はない」としている。

しかし、私が判決にある「部長指示」を受けたのは90年4月である。「6月」までにさらに数々の極秘資料を入手。部長指示以上の事実まで掘り起こす完璧な取材に基づき、部長に記事の掲載を求めた。だが、その原稿を止め、記事にならなかったのが真実だ。それを証明する数々の証拠も提出している。

つまり、高裁はこうした証拠も無視。部長指示の時期を勝手に「4月」から「6月」に入れ替えて時系列を逆転させ、あたかも私に「取材不足」があったかのような事実無根のデッチ上げで、強引に私を敗訴に導いたのが実態だ。

高裁が全く事実認定をしていなければ、私は「最高裁判例違反」で上告するから、最高裁は審理せざるを得ない。しかし、民事訴訟法では、「事実誤認」を上告理由として認めていない。高裁は、証拠にも基づかない無茶なデッチ上げ・意図的な事実誤認判決を出しても、最高裁は「事実誤認は上告理由でない」として却下、この判決が確定出来ると踏んだはずだ。

最高裁は案の定、「判決理由の食い違いを上告理由として主張するが、実質は事実誤認の主張であり、上告理由に該当しない」として、高裁の思惑通り、却下している。

現行憲法、民事訴訟法下でも、その規定を悪用、地裁から最高裁までグルになれば、実はいかなる事実と正反対のデッチ上げ判決も可能なのだ。私は司法記者経験もある。だが不覚にも、私に判決が出て、初めてそのカラクリ、司法の奥の手に気付いた。

◇司法の大罪

戦前、国家権力・軍部に異論を唱えた人は、特高によってデッチ上げられた虚偽の事実により、「国賊」の汚名を着せられ、社会から葬り去られた。戦後の今も、国家権力のウソを暴こうとした記者であった私は、司法によって「自分の取材不足を棚に上げ、記事にせよと騒いだ不良記者」との汚名をかぶせるデッチ上げ判決で、朝日によって剥奪された記者生命が司法によって二重に奪われた。

特高がデッチ上げた戦前より、裁判官が直接デッチ上げ判決を出す今の方が、余程悪質・危険。戦前回帰・反動化は、安倍政権以上に司法の方が先行している。

司法・国家権力がこんな奥の手まで繰り出して、デッチ上げで私を敗訴にしたかったのは、私の主張が「記者には自社の編集方針に沿い、記事として成立する裏付け十分な原稿を書いたなら、その掲載を求める権利がある」と言うものだったからだろう。

戦前も記者は、軍部の圧力に抗し、権力監視する記事を書こうした。しかし、軍部に弱い経営者によって、記事は陽の目を見なかった。もし、司法が私の権利を認めてしまうなら、記者は経営者から記事を止められると、この判例を持ち出して訴訟を起こす。

国家権力にしてみれば、権力監視し、その恥部を暴こうとするのは、「悪い記者」。その記事を止めたのは「いい経営者」だ。戦前同様、「いい経営者」を抑えて記事を差し止める余地を残すには、「編集権は経営者にあり、記者には何の権利もない」とする朝日の裁判での主張ほど、都合のいいものはない。

国家権力の僕(しもべ)である司法が、戦前の報道弾圧社会の再来を望んでいるとしたら、私の記者としての権利を司法が認めることなど、もともとなかったのだ。

司法・国家権力は、朝日の主張を丸呑みしたいがために、デッチ上げ判決で私を敗訴にし、戦前同様の報道弾圧権をまんまと手に入れた。この訴訟の真の勝者は朝日ではなく、戦前社会への回帰に道を開いた国家権力なのは、ジャーナリストなら誰でも分かりそうなものだ。

◇司法こそが最大の監視対象

朝日が「権力監視」が使命の「ジャーナリズム」を本当に標榜するなら、たとえ自分に都合が悪くても、最大権力の司法こそ、最大の監視対象であり、戦前より悪質とも言えるデッチ上げ判決の危険を読者に知らせる必要があったはずだ。しかし、朝日は勝訴を手放しで喜び、「自分たちの主張が認められた」との脳天気な談話まで出している。

慰安婦、原発誤報問題では、朝日を潰したい勢力は、訴訟準備を進めているとも聞く。慰安婦、原発報道での誤報問題は、私のケースとは違う。今度、司法は、容赦なく朝日の経営者を指弾するだろう。

でも、こうした攻撃で戦後メディアの中で、一定の役割を果たして来た朝日が、本当に消えてなくなっていいのか。派手な朝日バッシングに惑わされることなく、改めて今回の朝日の誤報を冷静に見極め、整理してみたい。

慰安婦報道では、「慰安婦」と「女子挺身隊」の混同がある。「強制連行」については、証言者の言葉に裏付けが取れず、虚偽発言だった可能性も高い。早い時期に訂正する機会を逃し、海外にまで発信してしまった朝日の責任は軽くない。

だが、それをもって朝日の戦争報道のすべてが否定されるものではない。先の戦争では、数えきれないほどの若く貴い命が散り、民間の戦争犠牲者も数知れない。アジアの民衆にも、多くの死者を出し、多大な迷惑をかけた。

慰安婦も強制的に連れて行かれたかどうかは別として、日本軍が深くかかわった戦争という異常事態に若い女性が翻弄され、その意に反して悲しい体験を味わったことに何ら変わりはない。

朝日のこれまでの戦争報道は、民衆には制御不能なまでに強大化した軍部によって引き起こされた悲劇の数々を一つずつ掘り起し、後世に伝えることで、「二度と過ちを繰り返さない」との誓いを新たにするものだった。これまで多くの報道で伝えてきた膨大な事実は、一つの誤報によっても覆るものではない。

一方で、過去の戦争を美化し、軍備の強化を通じてこの国を戦前に戻したい勢力は、今回の慰安婦誤報をもって、朝日の戦争報道のすべてを否定すべく動いている。当面の狙いは、憲法9条改憲、解釈改憲での集団的自衛権容認に強い懸念を示す朝日の影響力を削ぐことにあるのだろう。

◇「吉田調書」を詳細に読めば・・・

朝日の原発報道では、事故当時の模様を何より生々しく語る歴史の証言である極秘の「吉田調書」を独自に入手した。そして公開にまで導いた取材は、何より評価できる。

しかし、内容の精査では手落ちがある。「所長命令に違反し、所員が撤退した」との記事は、前後の段落を合わせて読む限り、そうとは読めない部分もある。混乱した現場の中で所長命令が伝わらなかった可能性がある。私は取材記者にバッシング勢力が言うような「東電社員を恣意的に貶める意図」があったとは思わない。しかし、何より脇を固めるべき調査報道記者として筆の走り過ぎは否めない。

原発再稼働を求める勢力は、これを奇禍に、「事故拡大を防ぐため、命懸けで働いて来た現場の東電社員を恣意的に貶めるもので、東電のやって来たことに間違いはない」と、美化する。

それは「日本を守るため、英霊は尊い命を捧げた」と、戦争そのものを美化する論理に通じる。この論法を多用する勢力も多くは重なっていて、安倍政権による原発維持・再稼働の動きを後押ししようとしているように見える。

でも、吉田所長を含め、東電の原発現場社員をそこまで褒め称えていいのか。現場にいる責任者や社員ならなおさら、津波が襲ったり、何らかの原因で電源喪失状態に陥った時の危険は肌身で感じていたはずだ。普段から手を打ち、東電首脳にも対策の必要性を訴えておかなければならない。それを怠り、重大事故を招いた責任は軽くない。

「吉田調書」を詳細に読めば、それ以上に社長など東電首脳の右往左往ぶりが目に見える。もう少しで、東日本全体に人の住めない恐れすらある大量の放射能をまき散らす制御不能の重大事態だった。にもかかわらず、政府への情報伝達も十分でなく、危機対応がほとんど出来ず、手をこまねいたことが伝わってくる。

大規模メルトダウンで原子炉全体が吹き飛び、ベントとは比較にならないほどの大量の放射能が飛び散る事態が避けられたのは、吉田所長はじめとした現場の努力と言うより、未だに原因さえ解明されていない「不幸中の幸い」と言うしかない。菅氏ならずとも、国民の命を預かる首相なら苛立つ気持ちはよく分かる。

朝日の原発報道は、「吉田調書」に独自入手により、こんな東電幹部の実態を浮き彫りにし、この程度の人が主導する原発再稼働に警鐘を鳴らしている。ほかにも、原発利権、除染に伴う不明朗工事など、朝日が多くの特ダネを発していること合わせて考えれば、一つの誤報で朝日の原発報道の功績のすべてがなくなるものではない。

◇言論バランスの崩壊

私はOBの欲目からではなく、朝日の原発報道を出来る限り公平に見てみても、「負」より「正」の部分が大きいと判断する。非難されるべきは、記者よりも調査報道のノウハウ伝承を怠って来た歴代朝日幹部である。

派閥人事でジャーナリズムの原点が忘れられ、責任逃れの官僚体質から誤報に対して早い時期での対応を怠り、読者の信頼を失ったからである。朝日にジャーナリストがいないのではなく、幹部にあまりにもジャーナリストが少ないのが、問題なのだ。

朝日バッシング勢力は、こんな「ジャーナリズムでなくなった朝日」の弱点を巧みにつき、朝日のみならず、戦後民主主義に依拠する「リベラルジャーナリズム」を丸ごと壊滅させようとたくらむ。その勢いは激しさを増しても当面、終息することはないだろう。

バッシング勢力が、朝日批判に乗じ菅氏批判をこの時期に再び蒸し返したのも、脱原発勢力の発言権を低下させることにあったはずだ。原発事故の責任は、たまたま震災時、政権の座にいた民主にあったのか。それとも地域にばらまかれる利権も目当てに、一旦事故が起きれば人智では制御不能の原発推進をして来た自民にあるのか。冷静に考えれば、自明のはずだ。

もし、朝日に筆の走り過ぎがなく、「吉田調書」が公開されていたとするなら、原発の極めて危険な事態が社会に再認識され、これまで原発を推進し、さらに原発再稼働に動く安倍政権の方針が改めて問われたはずだ。この時期の朝日や菅氏へのことさら声高のバッシングは、そうした矛先をそらそうとする目くらましの意図があることも見逃す訳には行かない。

彼らが朝日批判に乗じ「河野談話」潰しに動くのも、自民にも残る集団的自衛権への危惧を持つリベラル派の力を削ぐことにあるのだろう。朝日以外のリベラルジャーナリズムにも攻撃を仕掛けるのも、時間の問題だ。

彼等には特定の意図があり、朝日がどんにないい特ダネを連発しても、彼らにとって標的ではあっても、評価の対象ではない。歴代の朝日幹部が蒔いた種とはいえ、この勢力に屈すれば、この国で長く続いて来た言論バランスが崩れ、片肺飛行になることを私は一番恐れる。

◇派閥・官僚主義の一掃が必要

今回の問題で朝日批判をするメディアの論調・手口がどこも似通っていることからも、バックに世論操作に極めて長けた統一した司令塔が存在する可能性もある。このままでは、朝日はまた彼らの餌食になり、リベラルジャーナリズムの足を引っ張り続けるだけだろう。

今、朝日は何をなすべきなのか。

この国には戦前の軍国主義国家をもう一度再興したい勢力は、常に一定程度いる。しかし、戦前の軍国主義を反省。憲法9条を守り、平和国家の道を歩みたいと考える人たちも同じ程度は存在する。

朝日は、派閥・官僚主義に侵され、ジャーナリズムとしての内実が空洞化。本来なら朝日の応援団になってくれるこのような人々の期待を、裏切り続けて来たことこそ、問題なのだ。

もし、朝日がバッシング勢力に対しては、時には「傲慢」に見えるほど、力強い骨太のジャーナリズムとして再生するなら、再び応援団を引き受けてくれる人も出て来るだろう。何よりこの人にたちに支えてもらえる朝日でなくては、崩壊する。

まだ朝日には、ジャーナリストとしてやる気を持つ多くの若い記者もいる。派閥・官僚主義を排し、それに毒された管理職は一掃。本気でジャーナリズムに再生する朝日の決意を、身をもって世間に知らせる根本的改革しか残っていない。これまで派閥・官僚体質に染まった歴代旧経営陣から見出された幹部として育ってきた新経営陣にそれを担えるのか。改めて新経営陣は過去のしがらみを断ち切り、派閥官僚体質を一掃する覚悟を求めたい。

朝日が誤報を生み、謝罪も出来ない官僚化した体質になったかは、拙書「報道弾圧」(東京図書出版)で詳しく書いていますが、ダイジェスト版は、ブロク「MEDIA KOKUSHO」で連載中の「公共事業は諸悪の根源」①でも読めます。ぜひ、ご覧下さい。

《筆者紹介》 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリfージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。