1. 公共事業は諸悪の根源⑮ デッチ上げまでした司法 その1【後編】

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2014年06月24日 (火曜日)

公共事業は諸悪の根源⑮ デッチ上げまでした司法 その1【後編】

 吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

この経過について、二つの法理を座標軸に整理してみます。 朝日は、苦し紛れに1993年、私の取材のほんの一部を記事にしたことをもって、朝日は自らの正当性の根拠にしました。「真実性の法理」は、報道機関の実務の基本です。取材の裏付けが不十分なものは、記事になりません。しかし、朝日が私の取材の一部でも記事にしたことで自らの正当性を主張するなら、私の取材は裏付け十分で、記事になるべき「真実性の法理」を満たしていたことを、朝日自身が明確に認めたことを意味します。

一方、「不利益変更法理」では、雇用主の「裁量権・人事権」の発動が、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」には、「濫用」に当たるとしています。雇用者の労働条件を不利益なものに変更する場合、この条件に照らして「高度な説明責任」を雇用主に課し、雇用者に納得のいく説明義務を果たしていない場合も、「不法行為・債務不履行」が成立します。

まず、私がしようとした河口堰報道は、目的の「公共・公益性」があります。何より「権力監視」が使命の朝日が、記者に課す「仕事の目標」にそうものです。その一部が記事になったことをもって、朝日が自らの「正当性」を主張したことで、私の取材に「真実性の法理」があることは、朝日、私双方ですでに争いのない事実です。

なら、その報道の大半を止めた朝日の編集権・裁量権の発動は、自らの「使命」にも背き、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」に該当、「濫用」になります。

少なくとも、私に「信頼回復」を求め記者職を剥奪。人事・待遇で差別したのは、朝日による「不利益変更行為」です。私に対し納得のいく「高度な説明責任」があります。しかし、何も答えずと言うより、答えられなかったことで、「不法行為・債務不履行」の成立は免れません。

◇新聞経営者の「行動規範」と記者の「行動基準」

私は、この論理の組立てで訴状や準備書面を作って行きました。裁判では、それを立証する証拠も必要です。

前回のこの欄でも書いたように、朝日の経営者が編集権・裁量権を行使するに当たり守らなければならないのは、「朝日新聞社行動規範」です。一方、私が果たさなければならない役割は、「朝日新聞記者行動基準」です。

「行動規範」では、「国民の知る権利に応えるため、いかなる権力にも左右されず、言論・表現の自由を貫き」「市民生活に必要とされる情報を正確かつ迅速に提供」「あらゆる不正行為を追及」「特定の団体、個人等を正当な理由なく一方的に利したり、害したりする報道はしません」「言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない」としています。

「記者行動基準」では、「記者の責務」として、「記者は、真実を追求し、あらゆる権力を監視して不正と闘うとともに、必要な情報を速やかに読者に提供する責務を担う。憲法21条が保障する表現の自由のもと、報道を通じて人々の知る権利にこたえることに記者の存在意義はある」と定めています。

これを証拠として提出すれば、逸脱したのは朝日の経営者か、それとも私かは、どんな裁判官にも歴然と分かるはずです。朝日の社内ホームページにあったこの各規定・規則をコピーし、訴状に添付することにしました。

また、「記者行動基準」では「記者は自らの職務に誇りをもち、特定の個人や勢力のために取材・報道をするなど独立性や中立性に疑問を持たれるような行動をとらない。公正で正確な報道に努め、いかなる勢力からの圧力にも屈せず、干渉を排して、公共の利益のために取材・報道を行う」と、記者の「独立と公正」を保証しています。トナミ訴訟の論理構成に沿えば、この目的に沿う私の河口堰報道とそれをした私の記者としての身分は、朝日の社内法規に照らし「法的保護」の対象になることも付け加えておきました。

さらに、朝日が私に「高度な説明責任」を果たしていない証拠も添えました。私が「信頼回復」を求められて以降のうんざりするほどの朝日とのやり取りの文書です。定年まで延々と続きましたので、結局、私が朝日に出した質問、申し入れ書の類は34本。朝日から私への回答文は、15本もあります。

もともと裁判になっても証拠になるように続けて来た文書でのやり取りです。大量コピーは大変でした。でも、証拠としては十分過ぎるほどの量です。

◇「記者には、報道実現権がある」

ここまで書いていくうち、私の頭の中も整理出来ました。組織が明示している社内規定・編集方針に合致、取材不足のない原稿・記事なら、新聞経営者が記者に求める仕事の目的・成果そのものです。「真実性の法理」、「不利益変更法理」に基づけば、労働契約上、記者は経営者・上司に「仕事の成果」である記事を載せることを求めることが出来、その「成果」をもって適正な評価を受けられることになります。

私は、この権利を記者の「報道実現権」と名付けることにしました。何も、記者が特別な職業と思い上がって、この権利を唱えたのではありません。職業に貴賎の区別などあろうはずもありません。

企業の多くは、職種別に採用しています。その試験に合格し、職に就いた雇用者を合理的な理由もなく、みだりにその職種から外されないことを保証しているのが、「不利益変更法理」です。どの職種の雇用者も自らの職に誇り、生きがいを感じて仕事をしています。

組織・会社から明示された仕事の目標の実現に真摯に努力し、成果を出したなら、公正・公平に評価され、人事・待遇に反映されるのも、「不利益変更法理」上、当然の帰結です。

教師として採用された人には「教育実現権」があり、バスの運転手には「運転実現権」、裁判官には、「判決実現権」があります。雇用者に共通する「仕事目的実現権」を、記者という雇用者に当てはめただけの話です。記者の仕事は記事を書くこと、報道だから、「報道実現権」と言い表したのです。

なぜ、こんな命名をしたのかと問われれば、新聞経営者が報道弾圧に再び手を染めれば、記者がいちいち「○○訴訟の○○判決によれば」と言うより、「記者には、報道実現権がある」と言う方が、何かと便利で、対抗し易くなります。

私が勝訴したら、新聞の見出しにもなり、「キーワード」にして、パソコン入れれば、判例検索も出来ます。私の訴訟は金ではなく、二度と報道弾圧を起こさせないのが目的です。私は勝訴を信じていました。後々のことを考えると、この方がベターとその時は簡単に考えていたのです。

◇弁護士にアドバイスを受ける

もちろん私は、記者に「報道実現権」があるからと言って、「記者が書いたものを何でも載せろ」などと、無茶なことを主張した訳ではありません。新聞経営者にも「編集権」があります。記者の「報道実現権」と対等な存在だと、私は主張しました。

裁判所に出す文書は、小難しく法的に表現しなければなりません。「どちらがどちらに優先・優越するとかという抽象的な議論にはなじまない。双方が報道機関の目的を自覚し、真摯に努力する限り、意見・見解が根本から対立する関係にはなく、もともと協調的である。

対立が顕在化するのは、どちらかに不当な恣意・邪心が存在するからであり、どちらに正当性があるかは、憲法、労働に関するものなど各種法令・判例、社内規則、職場慣行などに照らし、個別具体的に検討しなければならない」と、私は主張しました。

何も特別な主張ではありません。雇用者には「労働権」、雇用主には「裁量権」があります。本来対等で、対立する場合は「不利益変更法理」に照らし、どちらに濫用があるか、具体的事実に照らし法廷で審理する。この定着した労働訴訟の判例・流れを私の訴訟にも適用すべきだと、主張したに過ぎません。

こうして出来上がった私の原文を、弁護士に見せました。すると、「裁判所は保守的だ。『報道実現権』という言葉を使ったばかりに腰が引け、定着した判例に基づく主張でも、認めない可能性がある」として、次のようなアドバイスをくれました。

「君が人事・査定・昇給・昇格で差別を受けながら、朝日は『高度』どころか、何の説明責任も果たしていない。これだけで『不利益変更法理』上、朝日の不法行為・債務不履行が成立する」。「コンプライアンス委員会が審査を拒否したことは、提訴権の侵害であることも明白」。

「朝日はあなたをブラ勤にして社内にさらし者にした行為は、公衆の面前であなたの社会的評価をおとしめたことになり、名誉毀損が成立する」。「ありもしない紛争処理ルートを『ある』と、君をルール無視の不良社員であるかにように社内ネットに載せて、全社員に公開したのだから、『虚偽の事実の公表』であり、やはり名誉毀損だ」。

その上で、「これらは『報道実現権』の成否に関係なく、朝日の違法性になる。万一、『報道実現権』を裁判官が認めなくても共倒れしないよう、それぞれ独立した『不法行為・債務不履行』『名誉毀損』として構成する方がいい」ということでした。

私は司法記者の経験から、裁判官が記者同様、職業的情熱・良心に溢れた人ばかりの集団でないことも知っていました。法律書の丸覚えで難関の司法試験を受かっても、世間常識に疎い人もいれば、たちどころに何でも理解出来る頭のいい人ばかりの集まりでもありません。記者と同じく上昇志向が強く、上の意向ばかり気にする「ヒラメ」も増えていました。弁護士の言われたことには、なるほど一理あります。

さらに弁護士は、六法全書を取り出し、民法413条を指差しました。契約関係上、一方が当然受け取らなければならない債務を恣意的に受け取らず、相手に不利益が生じれば、「受領遅滞」として、責任を負わなければならないとする条文です。

なるほど労働契約も、一つの民法上の契約です。雇用主は、明示した目標に合致した「労働成果」を従業員が出したなら、遅滞なく受け取る。つまり、仕事の成果を実現させる義務があり、恣意的に受け取らず、雇用者に不利益が生じれば、「受領遅滞」として雇用主の不法行為が成立するという法的論理の組み立てなのです。

これは、とても司法記者レベルでは、思いつかない構成です。弁護士は、「これを書面に盛り込めば、裁判官も素人の書いた文章とは思わないだろう。弁護士が法廷に出ない本人訴訟だからと言って、裁判官になめられることもない」と言い、ニヤリとしました。

 ◇17年の人事・昇格・昇格・査定の差別

あれやこれやの弁護士の忠告を加えた書面は長文になりました。しかし最後に、私にとっては気の重い作業が一つ残っていました。「カネの問題ではない」と思っていても、訴訟をする以上、損害賠償として金銭的な要求を朝日にしなければ、裁判として成り立ちません。

でも、プロの選手は、自らの選手としてのプライドをかけて実績や実力を主張して年俸交渉します。私もプロの記者だった以上、きちんと金銭的請求をすべき時は、する必要があると思い直しました。

改めて、1990年の報道弾圧を起点に、2008年の定年まで17年余にわたる人事、昇格・昇給・査定での差別額の算出に取りかかりました。

書面には算出根拠を詳しく書きました。ここでは省略しますが、少なくとも同期22人のほとんどが最低でも私より2階級上の2級、あるいは1級に昇格、取締役になったのも2人います。

それに3級はみなし管理職のようなものです。準2級より上に昇格して、初めて急カーブで給与が上がるのが朝日のシステムです。私のように3級に長く留められたら、「記者手当」と称し、打ち切りで時間外手当相当分か支給される4級の記者より、給与は低くなります。

朝日が社員に公表している標準的な昇給カーブと私の賃金カーブをパソコンに入れ、その差額を損害額を積み上げていきました。すると、河口堰報道を止められ、豊田支局に左遷された時期を境に私の賃金カーブは標準と比べてもガクンと下がっています。二つのカープを重ね合わせると、それが歴然としました。

標準的なカーブは右肩上がり。しかし、私のカーブはその頃からほとんど上がらず、記者職を剥奪され、広報室長就任以降は、急激に下がっています。その結果、17年間の累積です。差別累計はゆうに1億円を超えていました。なるほど、私が最初描いた賃金カーブで組んだ住宅ローンの支払いに窮したはずです。「武士は食わねど」とやせ我慢して来ましたが、ますます腹が立ってきました。

さらに、大半の同期は取締役にはならずとも、定年後も朝日天下り人事でテレビ局を始め、グループ会社の社長や取締役に就任、それなりの収入を得ている人が大半です。記者時代の実績で、評論家や大学教授に転身した人もいます。もし、河口堰報道が日の目を見ていたら、「無駄な公共事業・財政再建」は今日的課題です。早くから着目し、取り組んできた記者として、私の活躍の場はいくらでもあったはずです。

しかし実質10数年、記者職から外され、ブランクのある私は、定年後もブラブラするしかありません。こうした逸失利益や慰謝料、利子まで加えていくと、本来の請求額はその数倍になるはずです。取りあえず内金とし3000万円を請求することにしました。

◇判例をベースにした完璧な訴訟

もちろん、私の目的は、「カネの問題」ではありません。「長良川河口堰報道で、記事にしようとした記者に対して、報道弾圧し続けた事実を認め、読者、原告(私)に謝罪するとともに、組織による透明性のある検証を行い、内容を朝日新聞紙上に掲載。再発防止策を講じよ」との謝罪措置を、まず第一に求めることにしました。

記者の権利を守るためにも負けてはならない大事な裁判です。弁護士の添削も受けた訴状、準備書面を何度も読み返しました。私の主張は、定着した判例に基づくものです。司法記者に戻ったつもりで、出来る限り客観的に読んだつもりですが、どう考えても負ける要素は見つかりませんでした。

記者の勘で判決予想もしてみました。まともな裁判官なら、私の「報道実現権」を認めるはずです。国家権力に弱いヒラメなら、弁護士も危惧したように、判決文に「『報道実現権』を認める」という文言は盛り込まないかも知れません。その点では5分5分です。

しかし、労働訴訟で「不利益変更法理」は動かし難い判例です。私が記者の職を剥奪され、昇格・昇給でも不利益を受けました。朝日はその人事に正当性があるか否かについても、私に何らの説明責任を果たしていません。これは覆しようなない不法行為です。コンプライアンス委員会への提訴権の侵害や名誉毀損も証拠上も明白です。

これらは、裁判所も私の主張を認めざるを得ないでしょう。どんな形にせよ私が勝訴さえすれば、朝日の経営陣はこんな明々白々な報道弾圧は、今後出来ません。どう転んでも、私の裁判の目的は果たせると判断しました。

◇心がやっと解放された

これが、定年後一旦立ち止まり冷静に考えたつもりの私が、裁判に踏み切った理由です。やっとこれで、大衆の面前で朝日との本当の「決着」が出来ます。私を押し止めるものは、もう何も残っていませんでした。

昔、私が司法記者として仕事をしていたのが名古屋地裁です。「記者」の肩書きを失った私が久しぶりに訪れ、訴状を提出したのは2008年7月はじめのことでした。

その時、長年味わったこともない何ともすかすがしい思いがしたことだけは、はっきり覚えています。振り返れば、長良川河口堰報道を最初に止められたのは、1990年です。それ以来18年間、私は重い石を抱え込んだままでした。その心がやっと解放された瞬間だったのです。

ここで、今回の紙数も尽きました。以降は次回に譲りたいと思います。実は、ここから裁判は私の思い描いたのとは、全く別の方向に進んで行きます。次回以降も、我慢してお読み戴ければ、幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり) フリージャーナリスト。

元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。