1. 公共事業は諸悪の根源⑮ デッチ上げまでした司法 その1 【前編】

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2014年06月23日 (月曜日)

公共事業は諸悪の根源⑮ デッチ上げまでした司法 その1 【前編】

吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

「官僚も、ジャーナリズムも、そして裁判所までが! 無駄な公共事業を追及し続けた記者の見たものは、そのすべてが壊れたこの国の姿だった」。私の著書「報道弾圧」(東京図書出版)の帯に書いた文章です。

「公共事業は諸悪の根源」シリーズは、そのダイジェスト版です。現行憲法15条で、官僚・政治家は、「国民全体の奉仕者」と定めています。しかし、シリーズ①―④「長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ」では、官僚・政治家が利権に目がくらみ、「国民全体の奉仕者」には程遠く、いかに壊れていたかを報告しました。

ジャーナリズムは、21条で定める「表現の自由」を国民に発揮してもらうため、情報提供する「奉仕者」、21条の担い手です。しかし、⑤―⑭「ジャーナリズムでなくなった朝日」で報告したように、派閥腐敗で壊れていました。自浄作用が働かないまま、「人々の知る権利」に応えず、「権力監視」という基本的な責務さえ放棄したのです。

この国が何故、1000兆円もの借金を抱え、超高齢化社会の中で身動きが取れなくなったのか。もう読者の皆さんは、嫌と言うほどの具体的事実をもって原因をお分かり戴けたのではないかと思います。

今回から、私が朝日に対して不当差別で訴えた損害賠償訴訟の成り行きについて、報告して行きます。結論を先に言えば、この裁判で私は敗訴しました。判決では、「取材不足があったから、記事にならず、朝日に不当性はない」と言うものでした。

◇絶望的な日本の裁判所

しかし、あれだけ証拠で固めた取材です。「取材不足」など、あろうはずがありません。どうしてこんな判決が出されたか。これから始まる「デッチ上げまでした司法」シリーズは、その具体的な経過報告です。

政治家・官僚、ジャーナリズムがこの国で果たさなければならない憲法上の役割・使命は、前述の通りです。では、司法、裁判所・裁判官の役割・使命とは、何でしょう。当然、14条「法の下の平等」により、国民に等しく「基本的人権」を保証し、32条で認められた国民の「裁判を受ける権利」を守ることにあるはずです。

審理を尽くすことで事実を公正・公平に見極める。侵害が明らかなものは、速かに権利の回復を図る…。司法に課せられた社会的役割です。しかし、今の司法、裁判所は国家権力への従属を強め、その基本的な機能が壊れ、裁判官の職業的倫理観・良心さえ失せてしまっているのです。

戦前、治安維持法の下、この国には人々の思想まで取り締まる特別高等警察(特高)が作られました。権力者・軍部に異論を唱える人々を、「デッチ上げ」で「国賊」に仕立て上げ、社会から追放したのも特高です。牢獄での過酷な生活で、命を落とした人も少なくありません。当時の司法・裁判所は特高の活動を追認する罪を犯しました。

戦後司法は、その反省から出発したはずです。しかし、私の訴訟では、裁判官自らのデッチ上げで私を敗訴にしました。官僚・政治家、ジャーナリズム同様、司法にも戦前の反省などさらさらなかったのです。むしろ、特高でなく裁判官自ら率先してデッチ上げに手を染めたことで、戦前よりはるかに悪質になっています。

裁判官による「デッチ上げ」は、いくらなんでも…。私が敗訴になったのには、実は別の要因があったのではないか。素直な方の中にはそう思われ、にわかに信じられない人も、おられるかも知れません。

でも、①―⑭を連続して読んで戴いたこの欄の読者は、「官僚の際限ないウソ」も、「ジャーナリズムでなくなった朝日」も、もう十分具体的事実をもって認識されたと思います。司法についても、私の報告を読み進めて戴ければ、いかに司法が壊れているか、具体的事実をもってお分かり戴けるはずです。

◇権力監視の高い壁

これから報告するのは、中世の暗黒裁判を彷彿させるあまりに露骨な裁判官自身によるデッチ上げ判決の実態です。地裁、高裁、最高裁がグルになってやったとしか、私には思えません。権力の腐敗を暴くのは、悪い記者。その活動を止め、政権になびく新聞経営者なら、何としても擁護する…。そんな国家権力の意志が働いたのかも知れません。

皆さんにとっても他人事ではないはずです。権力者の意向に逆らい、まともに権力を監視しようと思えば、私と同じ仕打ちに遭うことになるからです。もはや裁判所は人々の人権を守る最後の砦ではありません。守ってくれるどころか、権力の手先になり、皆さんを排斥する側に回ります。

そのため、権力者を恐れて「良心の自由」さえ行使出来ず、沈黙を守る人たちが増えれば、ジャーナリズムの権力監視機能はますます衰退します。「憲法の番人」であるはずの司法が壊れるとは、権力者の思うままに社会が操られ、ブレーキ役不在の社会になることを意味します。

さて、いつも言っているように、ジャーナリストは論ではなく事実の伝達者です。今回の前置きはこれくらいにして、裁判官はどんなデッチ上げをしたか。私の裁判経過を具体的に報告して行きたいと思います。

◇名古屋地裁に朝日を提訴

私は定年前、「もはや、裁判で決着する以外にない」と何度も朝日に言い続けたことは、前回までに書きました。好き好んで裁判に訴える訴訟マニアでないことも、これまでの経過から理解して戴けていると思います。私が実際に名古屋地裁に訴えたのは、定年から半年経った2008年7月のことでした。

サラリーマンは会社を離れて、初めて見えてくるものもあります。ジャーナリストたる者が、国家機関である裁判所に判断を仰ぐのは邪道…。これも私自身が一番良く認識していたことでした。少し頭を冷やし、本当に裁判以外に方法はないか、考えてみる余裕も欲しかったのです。

それに私には、司法記者経験があると言っても、所詮、裁判には素人です。真剣に取材活動をするジャーナリストの権利を守り、メディア経営者に二度と人々の「知る権利」を侵害させない…。訴訟沙汰にする以上、絶対に負ける訳にはいかない大事な裁判です。

幸い私には。司法記者時代から、親しくしていた弁護士も大勢いました。法曹の知識・ノウハウも借り、法律的な枠組みを、時間をかけてきちんと組み立てておく必要もあったのです。

ジャーナリストは、政治的中立性が求められます。誤解を受けないために、私がこの訴訟で助言をお願いしたのは、政党色もなく理論家としても知られるある高名な弁護士でした。

「最近の裁判官は肝っ玉が小さい。君が憲法論を振り回すと、裁判官は最高裁の顔色を見て、出る判決も出ない。出来るだけ裁判官を恐れさせないよう、これまでの最高裁判例を踏襲。当たり前に勝てる論理を組み立てよう」。これがその弁護士からのアドバイスでした。

◇名誉毀損認定のプロセスとは?

前回までは河川工学の難解な話を書いてきました。今度も大変恐縮です。皆さんに法学の世界に付き合って戴こうと思います。

私は司法試験の勉強などしたこともありません。しかし、報道と労働に関するものでは、私のような頭の悪い司法記者レベルでも常識に属する二つの定着した最高裁判例があります。報道で最も一般的に知られているのは、1966年の最高裁判例です。

「民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である」

何とも分かりにくい文章です。整理すれば、メディアが報道しようとする内容に「事実の公共性」「目的の公益性」があり、「事実が真実と証明された時」(「真実性」)や真実の証明まで出来なくても取材の経過から、「事実と信じられる相当の理由」(「真実相当性」)で裏付けられているならば、原則、名誉毀損などの違法性を問われないとしています。3要件をまとめて、「真実性の法理」とも呼ばれています。

いくら「報道の自由」があると言っても、この基準・法理を満たさない報道は、取材相手から訴訟を起こされます。報道機関でも「真実性の法理」を満たすか否かで、記者の取材を記事にするかどうか判断しています。つまり、報道機関の実務上の基本・基準にもなっている最も基礎的で、重要な判例です。ジャーナリストでなくても、ご存知の方も多いのではないかと思います。

◇何を根拠に「不当配転」を認定するのか?

労働訴訟では、経営者の人事発令が「不当配転」か、否かについて争われた「東亜ペイント事件」判例がよく知られています。最高裁は1986年、この事件の判決で、憲法27条「労働権」、労働基準法3条「均等待遇」を基に、次のような判断を示しています。

「雇用主には雇用者に対し、人事、査定などの裁量権が存在する」。しかし、「業務上の必要性が存しない場合」「他の不当な動機・目的をもってなされたとき」「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」には、雇用主の「裁量権の濫用」に当たる、と言うものです。

さらに、雇用主が雇用者の労働条件を不利益なものに変更する場合、この3条件に照らして抵触していないか、「高度な説明責任」を雇用主に課しています。つまり、雇用主が行った人事・査定について合理性があるか否か、雇用者側に納得のいく説明義務を果たしていなければ、やはり「不法行為・債務不履行が成立する」との判断です。

「不利益変更法理」とも称され、労働法の世界では、最も基礎的で有名な判例です。雇用主が持つ裁量権をもって行った人事・査定が不当か否かで争われる労働訴訟では、常にこの概念が基礎となり、様々な形に応用されて適用されています。経営者の人事権・裁量権に逸脱・濫用がないかを判断する基本的な尺度と言ってもいいでしょう。

◇トナミ運輸内部告発訴訟の判例

弁護士から法律的なヒントさえもらえば、取材し論理を組み立てるのは、記者の得意分野です。調べていくと、二つの判例・法理を組み合わせ、私のケースにぴったりの判例が見つかりました。富山地裁が2005年に出した「トナミ運輸内部告発訴訟判決」です。

運輸業界の闇カルテルを、新聞社、国会、公正取引委員会などに内部告発したトナミ社員がその後30年間、会社から報復として個室に隔離されたり、雑務しか与えられず、低賃金に据え置かれことが発端です。社員は、雇用者としての権利回復を求め、トナミ運輸に損害賠償訴訟を起こしました。

判決では、社員の告発について、報道に適用される「真実性の法理」を念頭に、「告発した内容に『真実性、公益性、目的の公益性』がある。内部告発は正当な行為で、告発までに十分な内部努力をしなかったとしても無理からぬところであり、法的保護に値する」と認定しました。

その上で、「不利益変更法理」の考え方に沿い、「雇用者は、仕事・能力に応じ、正当・公平に評価を受ける『期待的利益』を有している。会社の措置は、『合理的な裁量の範囲内で人事権を行使すべき義務』に違反した『濫用』に当たる」として、トナミは社員に対し、逸失利益と慰謝料として多額の損害賠償をするよう命じています。

この判決がきっかけとなり、内部告発者を法的に保護する「公益通報者保護法」が作られ、朝日に限らず、コンプライアンス委員会が各企業に設けられたことでも知られる有名な判例です。何より朝日自身が、いつも通りの高邁な論調で、この判決を紙面で高く評価しています。

◇訴因は、「ブラ勤」と人事・査定・昇格・昇給の差別

私のケースとは、「内部告発」が「報道弾圧に対する会社への異議申立て」に入れ替わっただけ。ブラ勤を命じられ、人事・査定・昇格・昇給で差別されたことまで、ほぼそっくりです。

敢えて違いを言えば、トナミは運送会社です。社員にとって、「内部告発」は「仕事の目的」とまでは言えません。だから「告発行為」そのものをもって、「仕事上の成果」としての「期待的利益」を求めることは出来ません。

しかし、ジャーナリズムである朝日の使命は、「権力監視」です。記者には、それを「仕事の目標」として課しています。私の長良川河口堰取材は、治水上、堰を建設する必要もないのにも、権力者である官僚がウソを重ね着工に漕ぎ着けたことを幾多の極秘資料を入手し、余すところなく裏付けるものです。

つまり、私の取材は、朝日が記者に求めている「仕事の目標」そのものなのです。上司が私の記事を止めなければ、確実に「権力監視」が成就。無駄な公共事業はストップし、税金をドブに捨てるようなこともありませんでした。本来は雇用主である朝日が求めている仕事で「成果」を出せば、その分評価を受ける「期待的利益」が付け加わって当然です。

しかも私は、編集局長、社長、コンプライアンス委員会にも実名で訴え、ジャーナリズム本来の使命におとる行為を是正するため、「十分な内部努力」もしています。ですから私は、少なくともトナミ社員以上に、正当に評価されるべき「期待的利益」があり、朝日に多額の損害賠償を求めることが出来ることになります。

◇トナミ訴訟を下敷きに書面を作成

「名誉毀損」については、最高裁は、1986年の判決で、「人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害すること」と、定義付けています。つまり、「不名誉なこと」を相手から社会に公表され、社会的評価を下げられた場合に成立します。

私は司法記者時代、訴状、準備書面は飽きるほど多く読んできました。「真実性の法理」「不利益変更法理」「名誉毀損」の定義を踏まえ、トナミ訴訟を下敷きにすれば、司法に半素人でも、自分で訴状を書き上げる作業は、そう困難なことではありません。というより、書き始めてみると、私が朝日のコンプライアンス委員会に出した提訴状をパソコンから取り出し、裁判用に少し手直ししていくだけで十分でした。

もう一度、このシリーズ①―⑭、長良川河口堰取材で私が解明した事実と、朝日が記事を止め、その後私が受けた人事・待遇差別と朝日の説明を想い出してみて下さい。

1962年 建設省は、治水ための必要浚渫量を「1300万トン」、利水からの必要量を「3200万トン」と算出。極秘の「長良川河口堰調査報告書」を作成。

 1968年 建設省は「治水」、「利水」を区別することなく、「治水・利水に必要な浚渫量は3200万トン」として、閣議決定に持ち込む。

1972年 「河口堰建設事業」の一環の長良川川底の土砂を浚渫する事業開始(1990年までに900万トンの浚渫と地盤沈下で300万トンの同様効果)。

 1976年 安八水害発生。建設省は水余りの中、「治水のために、堰建設は不可欠」と大宣伝を始める。

1984年 安八水害のデータから、コンサルタント会社に依頼して、長良川の最新の現況粗度係数を算出。マニュアルではこの値で直ちに治水計算しなければならない。しかし結果は、最大大水時の水位は完全に安全ラインを下回り、「治水のためには堰不要」との結論になる。公表せず、ひた隠しにした。

1988年 木曽三川の改修100年記念事業として『木曽三川~その流域と河川技術』を発刊。頭隠して、尻隠さずで、安八水害のデータで算出した本物の「長良川の現況粗度係数」を掲載。

1989年 岐阜県は、建設省から渡された72年の河床データと「計画粗度」で計算した水位シミューレーションをパネルにして県庁正面に掲げ、「堰を造らないと、洪水の心配がある」と、住民を説得。

1990年2月 建設省が記者会見。計算根拠を明らかにしないまま、「現況の長良川は最大大水時、水位は安全ラインを1メートル弱上回り、洪水の危険がある。治水のためにあと1500万トン以上の浚渫が必要で、堰は不可欠」と説明。

1990年3月 私たちが取材で、『河床年報』を要求。「不等流計算」され、結果が露見するのを恐れた建設省は、さらなる取材対策のために、新しい「粗度係数」の算出にとりかかる。

1990年4月 新しい「粗度係数」の値を作り上げる。「4.9」の日付でペーパーを作成。この係数で計算すると、安全ラインを上回り、「堰必要」との結論にひっくり返る。

1990年6月 私たちが取材。建設省は「待ってました」とばかり、新しく算出した「粗度係数」のペーパーを示し、「この係数が正しい」として、堰建設の論拠とする。

◇朝日・名古屋本社社会部長が原稿を没に

――以上が、1990年4月、「学者一人の計算に頼って大丈夫か。建設省も役所である以上、無茶なウソをつくとは思えない。もう一度、建設省がどのような計算をし、記者発表をしたのか、これまでのルートを通じて、内情をさらに深く探れないか」との社会部長の指示に基づき、同年6月末までの補強取材で私が解明した「建設省記者会見の手の内」です。つまり、記者の取材でウソがばれそうになると、新たなウソを積み重ねる官僚の「際限ないウソの系譜」です。私が記事にしようしたのは、この内容です。

しかし、当時の私の上司、朝日・名古屋本社社会部長は、私が書いた原稿をボツにしました。建設省極秘資料により完全に裏付けの取れている取材です。ジャーナリズムの基本原則、日常業務に照らして部長がこの原稿を使わないまともな理由など説明出来る訳もありません。

とっくの昔から内定していた東京・政治部への転勤をいいことに、「おめぃは転勤だから、後任に引き継げ」と言っただけ。どこに取材の欠陥があり、記事に出来ないのか。その理由は一切説明していません。

東京でも記事を止められた後、私は1992年、豊田支局に左遷されました。支局在任中、名古屋・編集局長に記事の掲載を求める異議申し立てをした時も、局長は「社会部長やデスクを説得しろ。私は知らない」と逃げ回っただけです。

名古屋・社会部長が代わった1993年末、やっと私の取材のほんの一部が記事になりました。しかし、この時も前述のウソの系譜を書いた大半の続報は、記事にならないままでした。「何故、続報が記事にならないのか」と、担当デスクに聞いても、下を向いて肩を震わすだけだったのも、この欄の読者ならとっくにご承知だと思います。

一方、豊田支局左遷以降、人事・待遇差別も始まりました。通常3、4年、最低でも5年に次の級に昇格、給料も上がります。しかし、私は5級に8年滞留。記者職も剥奪され、1999年から5年間、来る日も来る日も読者から山のように寄せられる苦情を処理する名古屋・広報室長に留め置かれました。

◇「その話は時効だ。時効」

2004年には、名古屋本社代表に「ヒラでいいから」と記者への復帰を願い出ました。しかし、「記者に戻りたいなら、編集局に信頼回復せよ」と拒絶され、その後、2008年まで全く仕事のないブラ勤。1999年から2008年定年までの8年間も3級滞留が続き、年俸大幅ダウンの連続です。

報道弾圧をめぐり、私と朝日との第2ラウンドが始まったのも、この「信頼回復」との言葉が引き金でした。名古屋代表の説明では、私が長良川河口堰報道を復活するよう1992年、当時の編集局長に異議申し立てた行為が、「信頼回復」を求められ、記者に復帰出来ない理由だと言うことです。

当然、記事になるべきものをしなかったのは、朝日の方です。私は「読者に信頼回復すべきは、私か朝日か」と問いました。しかし、代表は答えに窮し、最後に返って来た言葉は、「その話は時効だ。時効」だけでした。

不祥事続きの2005年、私は株主総会質問をちらつかせて改めて社長に回答を求めました。やっとやって来た社長側近は、1993年に私の取材のほんの一部が記事になったことを捉え、「君は記事を止められたと言うが、記事になっている。もう決着済みの問題だ」と、子供だましの回答が返って来ました。

この朝日の言い分は2006年、私がコンプライアンス委員会に提訴した時も、同じでした。私はその度に、「記事にしたことで、朝日が正当性を主張するなら、記事にならなかった期間、私が記事にするよう異議申し立てした行為も正当と言うことになる。

何故、この申し立てをもって記者職を剥奪されるのか」「私が『信頼回復』を求められる『決着』とは、いかなる『決着』か」と、理由を問い続けました。しかし、定年までたったの一度のその答えは、朝日から返って来ていません。【後編へ】