公共事業は諸悪の根源 ジャーナリズムでなくなった朝日 その10 【後編】
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
私はその年の5月、コンプライアンス委員会に「調査申立書」を提出しました。外部委員もいるから、これまでの経過をまず、詳しく記しました。その上で問題点を、「報道弾圧があったか否か」「人格権、記者の基本的権利の侵害、人事、経済的差別」「質問に対して、なしのつぶてにされていること」「真の信頼関係」など各項目に分けて整理したのです。私の求めた審査がどんなものかは、読者にはもう十分お分かりと思いますので、ここでは省略します。
◇「会って、直接話をしたい」
委員会事務局から、5月22日、「受理」のメールがありました。ところが6月9日に「事務局レベルで事前審査をしております」と、意味不明のメールが届いた頃から、雲行きが怪しくなりました。ある人物が私に、「委員会にあまり期待しないで下さい」とも伝えて来ました。
委員会規定では、「事務局は、通報を受けた日から20日以内に、通報者に対し、コンプライアンス違反行為に関する調査を行う旨の通知を、または要件を満たさないことが明白な場合は当該調査を行わない旨の通知をする」と定めています。
その期間をとっくに過ぎた7月7日になって、委員会事務局長が突然、「会って、直接話をしたい」と、名古屋に私を訪ねて来たのです。「社内では……」と、近くの喫茶店に入りました。私の質問に事務局長は口ごもりながら、次のような話をしました。
?――名古屋までわざわざ、ご苦労なことです。ここまで時間はたっぷりあったのだから、調査は終わったのですか?それとも私に対する聴取ですか?
「ある程度、調査はしました。事実関係は、大筋においてはそんなに間違っていません。ただ、『処遇』に関するものです。委員会の対象ではないので、却下したい」
――事実関係が間違っていないなら、当時の名古屋本社幹部による報道弾圧は明らかです。私が異議を唱えたことへの報復・人事差別も含め、行動規範違反だから申し立てました。どの行為がどの項目に違反するか、規約に照らし詳細に指摘したはずです。
「とにかく、『処遇』に関するものだから……」
――組織の側が報道弾圧する時や、異議を申し立てた者に対する報復を行う時は、人事・給料などでの差別・冷遇、つまり「処遇」の問題が絡むのは、むしろ当然ではないですか。例えば、「上司のセクハラ行為を非難したら、人事・処遇まで嫌がらせを受けた」として委員会に提起があったら、「処遇の問題」として、訴えを却下するのですか?
「それはともかく……。この問題は『処遇』に関するものだ。審査出来ないとしか、言いようがない」
――規範違反は審査対象と明記されている。何のための行動規範、何のための委員会か?
「何のためかと言われても……」
――「却下」理由に当たるかどうかは、外部委員の意見を踏まえ、委員会本体で結論を出す問題です。事務局で勝手に判断するなら、「握りつぶし」ということになる。再検討してはどうですか?
「とにかく、委員会として、結論が出ている問題だから……」
事務局長は、名古屋本社で一緒に仕事をした旧知の間柄、好人物でもありました。もともと口ごもっている相手に、これ以上強く攻め立て、答えを求めても酷です。しばらく雑談の後。私はこの人物に助け舟を出すつもりで、こんな提案をしました。
――話を聞いていても、あなたの手の届かないところで決まったことのようですね。会社としての結論が出ているなら、私に何らかの回答文を届けに来たということではないのですか?
「ええ、『却下通知』の文書を用意はして来ました」
――結論が変わらないなら、貴方の立場もあろうから受け取りましょうか?ただ、その場合は、裁判で決着させる以外にありません。それは承知して戴きたい。
「それは……。そこまでは私も……」
――事務局長一人の判断に余ることかも知れません。それなら担当役員もいることだから、渡すかどうかは、私の反論を伝えて、社として判断してからでも遅くないのでは…。
「……」
――受け取れと言うなら、受け取ります。どうしますか?
「とりあえず……、今日はこれで……」
事務局長は、文書をカバンから出したり、引っ込めたり。結局、文書をカバンにしまい込み、東京に帰って行きました。
私はこの問題で、何人もの朝日社員とやりとりして来ました。もともとジャーナリストとしての片鱗すら持ち合わせない人物は、何を言っても蛙の面に小便でした。しかし、その片鱗が大きければ大きいほど、伏目がちになり、口ごもったのです。事務局長もそんな一人だったと記憶しています。
この後、事務局長から何の連絡もありませんでした。「『却下通知』を渡したい」と再び言って来ない限り、私の反論が通り、委員会でそれなりの審査が始まっているのだろうと思ってもいました。
?◇朝日の官僚主義
年が明け、2007年。正月生まれの私は、いよいよ定年まで、あと1年になっていました。その年、秋山社長は、社報で「本当の危機は、社内にはびこる『官僚主義』」と題した「年頭所感」発表しました。
「一連の不祥事をめぐって、社内外から様々な見方が示されました。『要員の削減など、経営合理化の視点が強すぎたひずみではないか』『いや、ふつうの会社論で編集部門のモチベーションが下がっているのではないか』など。そのいずれも部分的には正しいように見えるし、また、表面的な見方であるようにも思えます。本当の危機は、社内にはびこる『官僚主義』にあるのではないか、と私は感じております。
それこそが朝日新聞の病弊であり、『制度疲労』といわれる根源ではないでしょうか。前例踏襲、安全運転、横並び主義、責任転嫁、本音と建前の使い分け、『引き算』ばかりの減点主義、そして指示待ち症候群……。行き着いた先に、倫理的な退廃が起こっているのではないでしょうか」「論評は得意だが、自分ではリスクを取らないこと。一度決めたことは、筋が通らなくても方針転換したがらないこと……。
これらは朝日新聞ではありえないことだと、胸を張って言い切れるでしょうか」「小手先の制度改革や組織改革で、お茶を濁そうとするなら、危機は深まり、読者から決定的に見放されてしまうでしょう」「私を含めて経営陣が、保身に走らず、守旧に陥らず、ただひたすら、読者の視線のみを意識して改革を断行できるかどうか」。
朝日の病巣はまさに、秋山氏が指摘した通りです。「官僚主義」に「派閥腐敗」が加わっているというのが、私の見立てです。長い付き合いを通し、私は秋山氏が誠実な人柄であることは承知していました。こんな事態になった後も年賀状程度のやり取りはあり、秋山氏は末尾に必ず自筆の短い書き添えで、私を心配してくれてもいました。
◇必要悪か、「異能分子」?
「所感」は、秋山社長の本音の発露、私へのメッセージだったのかも知れません。しかし、これだけ社内腐敗の原因が分かっていたのなら、「官僚主義」の幹部に囲まれていたとはいえ、秋山氏は私の問題に対処出来ないはずはありません。身動き出来なかったのは、私の報道を止めた裏で働いていた計り知れない背景・力学にあったのではないかと、私は改めて思い返してもいました。
以前のこの欄でも書きました。豊田支局に飛ばされていた1993年、私が編集局幹部に、名古屋本社近くの寿司屋に呼び出された時のことです。「君が批判する部長は、我が社では得がたい異能分子だ。これからも役に立ってもらわなければならない。処遇はしていく」と、告げられた時のことです。
もちろん、この部長が本当に「異能分子」だったかどうか、私に確証はありません。しかし、幹部の言う通りなら、部長が記事を止めた裏に何がったのか。この検証は、「異能活動」の実態解明と不可分の関係になります。
「異能分子」と幹部が称した当時の部長本人が居直ったり、関係者の誰かが私さえ知らない真相に口を開けば、裏でうごめいた派閥力学も含め、私の問題よりはるかに深刻な朝日の大スキャンダルが明るみに出ます。私の問題は、組織を守る立場の社長には,絶対に開けてはならない「パンドラの箱」だったのでしょう。
しかし、だからと言って私の「精神基盤」からは、許容していいことと、してはならないことがあります。私は定年まで残された1年、気は重くても、秋山社長との全面対決を予感していました。
◇差別人事を全面否定の朝日新聞社
3月、私にとって最後の成績査定自己申告書の提出の季節になりました。私は、申告不能の理由を、例年通り書くとともに、「処遇問題で『所定のルート』があるなら、その『ルート』で審査せよ」と、求めました。管理本部は「『ルート』はなかった」とする一方、相変わらずブラ勤の実績申告を私に求める回答をして来ました。
コンプライアンス委員会からも何の音沙汰もありません。4月、私は「調査状況照会書」を事務局に出すと、回答が届きました
「申し立ての件につきましては、昨年7月7日に『コンプライアンス委員会の調査・審議の対象には当たらない』ことを、委員会事務局から、あなたに口頭でお伝えしております。さらに、この結論は、昨年9月29日のコンプライアンス委員会で、確認されております。
あなたの昨年5月16日付けの『調査申立書』による通報は、?長良川河口堰問題を巡って社内で報道弾圧に遭った?それに疑義をはさんだことに対して人事・待遇で差別的な扱いを受けている、というものです。委員会事務局は申し立てを受けて改めて事前調べをした結果、一昨年5月に会社側が『時間のズレは生じたが、記事はしかるべく紙面化されており、報道弾圧というべき実態はなかった』『従って報道弾圧を基点とする差別人事が続いてきた、とも考えない』との基本認識をあなたに伝えた内容を覆す事実や証言は得られませんでした。
コンプライアンス違反行為は存しないという判断です。また、個人の不利益救済の求めは、朝日新聞社公益通報制度になじむものではありません。ご理解ください」。
何をか況(いわん)やです。前年7月の事務局長と私とのやり取りは、前述の通りです。規則では、委員会の結論が出たら提起者に速やかに伝達されることになっています。しかし、「昨年9月」に出たと言う「報道弾圧というべき実態はなかった」「差別人事が続いてきたとも考えない」との委員会の「基本認識」さえ、全く私は聞いていません。
それに第一、「一昨年5月」の「基本認識」で、「時間のズレは生じた」を認めたのなら、「ズレ」の3年間、つまり当時の社会部長が記事を止めた「報道弾圧」も朝日は認めたことになります。
「記事はしかるべく紙面化」されたことで朝日を正当化するなら、「記事化」を求め、編集局長に異議を申し立てた私の行為も、もちろん「正当」なはずです。異議申し立てをもって朝日が私に「信頼回復」を求めたのは、不当な「報道弾圧を基点とする差別人事」そのものであるはずです。
この時、「基本認識」と同じ内容を伝えに来た箱島社長側近の取締役は、私のこの反論に答えを返せず、そのまま東京に帰って行ったことは、以前のこの欄でも書きました。覚えておられる読者も多いと思います。コンプライアンス委員会は、この見解を繰り返したのに過ぎないのです。
◇検証のプロセスを示せない回答
もちろん、私は「記者の取材で、一般企業に反社会的行為が見つかったとします。具体的に指摘しても、企業が満足な説明もせず、『反社会的行為とは考えない』と抽象的な答えをするなら、記者は引き下がりますか」などとして、即座に再調査・再回答を求めました 。
これに対する10月3日付けの回答は次の通りです。
?「各委員には、吉竹さんが事務局に送付された『反論並びに要請書』全文を事務局の報告資料とともに事前に配付しました。委員会の議論は、長良川河口堰問題の記事化あるいは、記事不掲載にあたって、コンプライアンス違反に当たるような行為があったと判断出来るのかどうか、また、当事務局による案件処理に問題はなかったのかどうか、に多くの時間が割かれました。記事化については、『記事にする際、ニュースかニュースでないかという価値判断があり、さらに、取材が十分かどうかという判断がある。
その結果、記事にならないケースは多々あるが、そうしたケースは、コンプライアンス委員会になじまない』などの認識が示されました。こうした認識を基にして、通報案件に、編集権の範囲を越える、コンプライアンス違反行為があったと言えるのかどうか、について議論がありました。
次に、この案件についての事務局の判断、処理の是非について議論がありました。これらの点については、事務局が、本案件についての会社見解(2005年5月に当時の社長室長が吉竹さんに会って伝えたもの)を、機械的に適用することなく、疑いを持ちうる要素があるのかどうかを調べた上で、『報道弾圧はなかった』とする会社見解を覆す事実や証言は得られなかった。
従って、コンプライアンス違反は存しないと判断される』とする結論を出しており、適正だった、などの指摘がありました。結論として、コンプライアンス委員会は、当事務局の判断、案件処理にコンプライアンス違反はなく、適正だったとすることで一致しました」
◇取材内容を検証しない朝日のコンプライアンス委員会
まさに「何じゃこれ」です。もって回った表現といい、さっぱり意味不明です。改めて、どんな調査に基づいて何が言いたいのか尋ねる「異議申立書」を書きました。委員会からの最終回答は、以下です。
「『朝日新聞社公益通報制度に関する規定』には、再調査・審議の規定はありませんが、今回、特に対応を検討しました。あなたは、『改めて審査を求める』にあたって、『取材内容の検証をせずに、このような結論を導き出されたこと自体、記者とその取材に対する明白な冒涜、名誉毀損、人格権の侵害』であると指摘しています。しかし、編集権にかかわる取材内容を検証することは、コンプライアンス委員会の役割ではありません」
たった、これだけです。「編集権」は、ジャーナリズムの根幹です。「朝日とは、どんな事業を展開する会社なのか、それは何を目標にしているのか、そのためにはどんな精神基盤が必要とされているのか」の認識に基づき、組織の根本である「報道の使命・規範」に基づいて発動されるものです。「規範」違反は、委員会の審査対象と規則で明記もしています。
委員会は、私に対するごまかし回答のネタも尽き、ついに「編集権にかかわる取材内容を検証することは、委員会の役割ではありません」と居直ったと言うしかありません。これでは食品会社が「食の安全にかかわる検証は、コンプライアンス委員会の役割ではありません」と言い切ったのに等しいのです。
「編集権」の発動方法の適正について調査・検証しないなら、朝日は何のために、委員会を立ち上げたのでしょうか。回答には、ジャーナリズムにとって最も大切にすべき言葉に対する責任感、重みと言ったものの一片も感じられません。朝日が何故、社会の中でその存在感を失いつつあるのか。私はここに根本的な原因があるのではないかとも思っています。
◇朝日新聞社を退職する
2008年正月の定年まで1か月を残した頃のことです。私は、こうして長良川河口堰報道が何故、陽の目を見なかったのか。私が何故、記者職を剥奪され、プラ勤にされなければならなかったのか。そのことさえ、まともな説明を一切受けることも出来ず、朝日を去ることになったのです。
私は「記者」と言う職業に未練がなかったと言えばウソになります。しかし、「言行一致」、ジャーナリズムの最低限の規範すら失った朝日に、もう何の未練もありませんでした。
最後の出社日となった2007年12月28日、私はひと通り、社内で挨拶回りを済ませました。事情を知っている人には、裁判で決着させる覚悟も伝えたつもりです。しかし、多くの人は下を向いたままでした。こうして私は、長年通い慣れた朝日・名古屋本社を後にしたのです。
心は当初考えていたより、はるかに穏やかでした。諦めでも、悟りでも、居直りと言うのでもありません。河口堰報道に取り組んで以降、私はジャーナリストらしい活動を何も出来ませんでした。でも、ジャーナリストとして言うべきことは言ったつもりです。
ジャーナリズムを蝕む人たちと闘わずして、去って良かったとも思いません。それでも朝日は浄化作用を働かせませんでした。ならば、仕方ない。そんな感情だった気がしています。もちろん、裁判に持ち込めば、自ずと私の正当性も認められる。そんな思いも支えになっていたのです。
私が何故、このシリーズで「ジャーナリズムでなくなった朝日」と題したか、これでお分かり戴けたと思います。「5.3」、憲法記念日は、私たちジャーナリストにとり、建前ではなく、改めて憲法21条「表現の自由」を重く噛みしめ、自ら発した言葉に対する責任の自覚、「言行一致」の覚悟を示す日にしていかなければならないと思う昨今です。
次回から、朝日相手に起こした私の訴訟について報告して行きたいと思います。「裁判編」についても、ぜひご愛読、よろしくお願い致します。
≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。