1. 公共事業は諸悪の根源 ジャーナリズムでなくなった朝日 その6(後編)

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2013年12月30日 (月曜日)

公共事業は諸悪の根源 ジャーナリズムでなくなった朝日 その6(後編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

私は94年4月、名古屋本社に転勤。地方版デスクの傍ら、「93年版河床年報」の入手に走り回りました。地方版編集は夕方から深夜にかけての仕事が大半。午前中は時間がありますから、やはり名古屋にいた方がはるかに動きやすくはありました 。 でも建設省は3年前に懲りてか、年報の管理を格段に厳しくしていました。手に入るまで想像以上の苦労がありました。でも、狙った獲物は外さないが私の信条です。やっとのことで手に入れ、計算が完成したのは、その年も夏の終わりに近づいた頃でした。

計算結果は、想像していた通りです。87年河床データに基づき、建設省の言い分通りの言い訳粗度係数で計算し、「61センチオーバー」だった最も「危険な地点」でも、「23センチオーバー」まで、40センチ近く下がっていました。

しかも、河口から26キロまでは、安全ライン以下です。超えるのは、29キロ地点を中心にわずかな区間に過ぎず、マニュアル本来の堤防余裕高「1.5メートル」で見れば、安全ラインより水位は、さらに「27センチ」下回ることになります。

これで狙い通りの原稿が書けます。二の矢、三の矢の続報も予定通りで使えます。「思った通り、堰がなくても、マニュアル本来の安全基準を満たしている」と、私はすぐに記事にするようデスクに頼みました。

しかし、続報を含め、93年河床データに基づく記事なら掲載を約束していたはずのデスクは、またまた「補助の記者を人選するので待って欲しい」などと、一寸伸ばしを続けたのです。

◇約束したはずの続報が没に

秋に入り、私を擁護してくれていた部長は東京社会部長に転勤。新部長に代わり、翌春の統一地方選の準備で、私は地方版デスクから、選挙本部事務局長に異動しました。選挙報道システムの管理・運営が仕事。

またも報道に直接関われる部署ではありません。「選挙準備を優先して欲しい」と言われ、報道延期の理由にもされました。

ただこの間、政官癒着の元凶だった長年の自民党一党支配が崩れ、新生党の細川政権が誕生。堰の本格運用の決断が先延ばしになっていたことも、私には救いでした。

でも、その細川政権も崩壊。自民、社会の連立政権が生まれ、雲行きは怪しくなってきていました。連立の一方の立役者である社会党の野坂浩賢氏が建設相に就任。その言動からも、自然の潮止めになっている「マウンド」と呼ばれる河床の高くなっている部分を削り、いつ堰の本格運用を決断してもおかしくなかったのです。

マウンドがなくなれば、海水の逆流を防ぐ堰は必要です。もう長良川は本州で唯一ダムのない「自然の川」には戻りません。

1995年が明け、私はやっと「社会部デスク」の肩書きがつき、4級にも昇格しました。しかし、仕事は相変わらず選挙本部事務局長のまま。配下の記者を指揮し、河口堰報道を出来る立場にはなれません。桜の季節も過ぎ、長い準備をしてきた統一選もやっと終わりました。

もういくら何でも、待てません。これ以上、優柔不断なデスクを相手にしていても始まりませんから、「選挙も無事終わったので、デスクが約束した河口堰報道を始めさせてほしい」と、部長に直訴しました。

その勢いか、部長は、「載せる」と、決断はしてくれました。しかし、5月15日付けで載ったのは、私が今回の突破口と考えた「23センチオーバー」の1本だけ。それも申し訳程度の社会面の目立たない4段記事だけでした。掲載を約束したはずの続報はまたもボツ。これでは、前回同様、読者の理解が深まる訳はありません。

官僚的な幹部の責任忌避体質だけでは、もう説明がつきません。何としてでも、私の河口堰取材をまともに記事にしない……。そんなもっと強い、どす黒い力が朝日社内の中で働いていたとしか思えません。

権力者の誰かと、朝日幹部の誰かと間で何らかの約束でも出来ているのか。そんなことを推測しました。傍証はいくつかありました。しかし、残念ながら私の調査能力では、真相に迫る直接証拠に辿りつくことは出来ませんでした。

いずれにしても、腐り切った朝日にもう何の期待も持てません。人々の「知る権利」に応え、記者としての職責を果たす…。これ以上、続報を記事にする見通しが立たない以上、ウソで固められた長良川河口堰の真相を暴いて運用を止めるには、もう個人で動く以外、手段はなかったのです。

◇社会党・野坂浩賢議員、「もう遅い・・」

それから数日。私は休みの日を待ちかね、名古屋駅から新幹線に飛び乗り、東京に向かいました。カバンには、「最大出水でも堤防安全」と遠慮がちに小さく載った私の記事とバックデータになる資料も詰め込んであります。

当時の建設相、野坂浩賢氏に直接会いに行くためでした。政治記者時代のツテで親しい社会党議員に頼み、忙しい野坂氏に30分の時間を無理やり空けてもらっていました。

少ない時間です。私は野坂氏に会うと早速、記事とデータを示しました。「現在の長良川は、堰がなくても治水上安全だ。改めてデータを精査し、堰の本格運用は待って欲しい」と、説得を続けました。

野坂氏は苦しそうに、答えました。「君、これだけのことを知っているなら、なぜ、もっと早く、たくさんの記事にしなかったのかね。もう遅い……。遅い……」

朝日社内が腐敗していなかったら、もちろん記事になりました。私は、記事を止め続けられた真相をぶちまけたい衝動にも駆られました。しかし、どの党の所属であれ、記者から見れば政治家はすべて権力者です。権力者の前で、ジャーナリズムは正義の味方を装わなければなりません。

確かに不純な動機で政治家に接近する方法はいくらでもあります。しかし、記者が本気で権力者である政治家と渡り合うには、世論を味方に社会正義を振りかざす以外にありません。間違っても、正義の味方であるはずのジャーナリズムの裏の顔、弱みは見せる訳にはいかないのです。

ジャーナリズムを操縦する誘惑に常に駆られているのが、権力者です。弱みを知られてしまっては、何に利用されるか分かりません。喉から飛び出そうとする言葉を必死に飲み込み、私はただただ、あいまいな答えを繰り返す以外にありませんでした。

◇堰の本格運用にゴーサイン

それからまもなくの5月22日です。野坂建設相は記者会見を開き、堰本格運用のゴーサインを発表しました。野坂氏は会見で「環境も大切だが、安全が第一だ」「国家が国民の血税を使って行う公共事業に間違いはない」とまで、言い切りました。私と交わした話など、おくびにも出さなかったのです。

社会党と自民党との連立政権の仕掛け人でもあったのが野坂氏です。それまでは堰の建設に否定的で、国会議員として建設一時中止を求める署名にも応じていました。それだけに堰反対派は、野坂氏に一縷の望みをかけていたのです。それが、見事に裏切られました。

「与党になった途端、同僚議員からは、あれもこれも地元の公共事業を推進して欲しいとの陳情ばかり。同僚も選挙で苦労している。政治資金もいれば、票も欲しい。事情は分かる。むげにも断れないから、官僚には借りを作るばかりだ。とても自分の思っていた政策などは押し進められない」。

私は別の社会党大臣経験者から、こんな愚痴も聞かされていました。野坂氏も同様だったのでしょう。

情報とカネ・権限を握る官僚。政治家に取り、黙っていても利権・票を与えて くれる有難い存在です。社会党大臣と言っても官僚に囲まれれば、その力と誘惑に抗するのは難しいことです。しかし、市民の期待を裏切った社会党は、この後急速に解体の道を歩むことになります。

ただ私は、野坂氏を責める資格などありませんでした。野坂氏の言う通り、「これだけのこと」を知りながら、十分な記事が書けていなかったのは事実です。「十分」というより、前述通り、ほとんどの記事が止められていました。野坂氏から、「もう、遅い」と言われれば、私にはどうすることも出来ません。

処分も覚悟し、匿名で他のメディアに書くことも考えない訳ではなかったのです。しかし、「朝日の記者としては、朝日の紙面で書くことが本来の姿だ」との私の倫理観が、それを許しませんでした。

私は野坂氏の会見を、統一地方選選挙事務の後始末をしながら、むなしい思いで聞きました。会見を受けた社会面の原稿は、当時の河口堰担当記者が書き、私は1行も書けません。「デスク」の肩書きはあっても、紙面に口出し出来る立場ではなかったからです。ただただ、全身から力が抜けていくのを感じました。

◇偽装ジャーナリスト

私は腐敗し切った朝日社内で、可能な限り闘ってきたという、少しばかりの自負はあります。しかし、そうだからと言って、社会で免罪されるものではないことも承知しているつもりです。その点は、卒直に読者にお詫びするしかありません。

「ジャーナリズム」と称する組織が、最低限の規範・規律、方向性を失い、「ジャーナリズム」たりえない時、つまり「偽装ジャーナリズム」に成り下がれば、組織に所属する「企業ジャーナリスト」は、本来の意味の「ジャーナリスト」たりえません。

どんなに頑張り、もがき、抵抗してみても、「偽装ジャーナリスト」と言われても仕方ないのです。後から考えてみれば、私はこの時点で朝日を辞め、ジャーナリストとしての責任を全うすべきだったのでしょう。

言い訳をすれば、ズルズル引っ張ってきた経過が、私の決断を鈍らせた面はあります。朝日社内にも、「もう少し我慢せよ」「組織もそのうち目が覚める」と、なだめてくれる人も数多くいました。でも、その言葉で私は朝日を辞めなかったのか。そうではなかったのかも知れません。

「朝日を去る勇気がなかっただけだろう」と批判されれば、率直に受け入れます。正直、私には「記者」と言う職業に未練がありました。先輩・同僚の慰めの言葉を理由付けに、私は机の下に忍ばせ続けた辞表をたたきつけもせず、ずるずると「偽装ジャーナリスト」を続けていただけかも知れません。ただその時は無力感にうちひしがれ、辞表をたたきつけるエネルギーすら私に残っていなかったのは、事実でした。

◇国会議員に対する説明を封じられて

その後、とにかくエネルギュシュな河口堰反対運動のリーダー、天野礼子さんの目に「最大出水でも堤防安全」との私の記事がとまりました。その尽力で一部の国会議員が着目。「詳しい説明が欲しい」と、名古屋社会部に担当記者の出席要請が舞い込んだことがありました。

もちろん、執筆記者は私です。行けば、「今回、私は天野さんの紹介で参りました。でもせっかくですが、天野さんの側から、お話する訳にはいきません。建設省の立場に立ち、話を進めたい」から始め、「建設省のマニュアルに忠実に沿えば、堰建設は不要の結論になる」と、説明するつもりだったのです。 しかし社内の検討で、「国会議員の要請でも、記事の説明の範囲なら記者が出掛けるのは問題ない。ただ、吉竹を出すといろいろ支障がある。現在の河口堰担当の若い記者を行かせる」ということになりました。

もちろん、詳しい取材内容を知らない記者にまともな話が出来るはずもありません。中途半端に終わってしまったようです。私は筆ばかりでなく、口までも朝日によってもがれていました。こうして私の取材内容を世間に知らせる最後の機会さえなくなってしまいました。

正義感ぶるつもりはありません。この選択でよかったとも思っていません。読者を裏切っている張本人は、実は私ではないか。そんな思いをずっと持ち続けてきたことだけは、事実です。

◇公共事業で増え続ける借金

申し訳ありません。ここまで書いて来たところで、今回も、紙数が尽きました。また難解な内容になってしまったかも知れません。今年はこれで筆納めとし、来年はこの続きから始めます。

秘密保護法が成立した後も、年末のどさくさに紛れ、さらなる公共事業と防衛費の増額を盛り込んだ来年度予算案が決定しました。この国の民が、なけなしのカネをはたいて消費税の増税に応じた分まで、長良川河口堰など無駄な公共事業でこれまで溜めに溜めた国の借金をまともに返すことさえに使わず、さらなる利権拡大に使おうと言うのです。

挙句に、安倍首相の靖国参拝です。私は以前のこの欄で「アべノミックスのリスクは、安倍首相自身にある」と書いたことがありました。今、まさにそうなりつつあります。韓国は「安倍首相のオウンゴール」とはしゃぎ、これまでヒンシュクを買ってきた国際社会で、反転攻勢に出るつもりのようです。ますます、東アジアはきな臭さが漂って来ています。

来年、この国が「いつか来た道」にこれ以上、のめり込まないよう、私なりにもう一頑張りしなければと、決意を固めているところです。次回は朝日が私に対し、逆恨み。さらに迫害を加えて来たことから始めます。これに懲りず、ぜひ来年もこの欄をご愛読頂ければ幸いです。

世間は厳しさを増しても、皆様、いいお年をお迎えください。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

?フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。