1. 公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その5 (前編)

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2013年12月02日 (月曜日)

公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その5 (前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

憲法で保障されているはずの国民の「知る権利」が、根こそぎ奪われるのではないか。そんな懸念のある特定秘密保護法案が衆院で強行採決されました。秘密の対象が防衛機密だけに限定されるかどうかも、実のところ、確かではありません。

東北大震災の復興税がどう、流用されたか。それを想い出すだけで十分です。この国の政治家・官僚はどこまでも悪知恵を働かせます。何しろ何が「秘密」か、国民に分からないまま、権力者の思うままに「秘密」が指定され、漏らした人が罪に問われる法案です。

いかに官僚・政治家は、国民に平気でウソを言い、事業を進めるものか。私が取材した長良川河口堰の例を見ても、明らかです。防衛秘密以外でも、自分たちに都合の悪い情報が暴かれそうになったら、どうにでも屁理屈をつけて、この法律を盾に自分たちを守るに違いありません。

逆に、この法律で警察などから拘束されるのは、国家・政治家・官僚の悪を世間に知らせ、国民の「知る権利」に貢献しようとする善意の人々です。

戦前のこの国には、治安維持法がありました。軍部の暴走、戦争にひた走る権力者に対し、異議を唱えた人、真実を語ろうとした人は、この法律違反に問われ、次々と牢屋にぶちこまれました。失意のうちに亡くなった人も少なくありません。秘密保護法が治安維持法の再来にならない保証は何処にもないのです。

何しろ、この欄で詳しく報告してきている通り、今のメディアには腐敗があります。現状でも危ないのに、この法律が施行されれば、メディアは本気で人々の「知る権利」を守ろうとするでしょうか。私は、メディアがますます権力者に迎合する道を歩んでいくことを危惧します。その結果、この国の行き着く先は…、「いつか来た道」ではないのでしょうか。

◇「異能分子」の社会部長

「公共事業は諸悪の根源」、今回で、もう9回目になりました。私が報告して来たのは、長良川河口堰での官僚の際限ないウソです。その結果、利権目当ての無駄な公共事業が際限なく続き、この国は途方もない借金を積み上げました。

本当に朝日が人々の「知る権利」に奉仕していたなら、官僚のウソは暴かれ、この国の借金はここまで膨れ上がらなかったはずです。「知る権利」が侵されることが、いかに恐ろしいことか。この事実からも、お分かり戴けると思います。

このシリーズは、それを具体的に知ってもらうことにあります。国民の「知る権利」が侵された長良川河口堰報道の実例からも、秘密保護法の危険性を改めて認識し、反対の声を挙げていってもらいたいと、切に願う次第です。

また、前置きが長くなりました。今回は、1993年夏、私の長良川河口堰報道を止め続けた社会部長が、異動で名古屋社会部からいなくなった後から話を始めます。編集局次長が「異能分子」と呼んでいたのがこの社会部長です。「編集以外の局に異動させる」との私との約束は、一応守られた形です。

◇編集局長と新社会部長のあいだで火花

後任の部長は、東京本社社会部の部長代理からの異動でした。私と親しく、東京でこの報道のことで相談もし、記事を潰された内情も一番よく知る当事者の一人です。私のような「一応キャリアの端くれ」というタイプではありません。キャリアの中でも毛並み、人柄も良ければ、評価も高い。早くから将来の社長候補の一人と目されていたエリートです。

河口堰で私が何を取材して、何を記事にしようとしているか、すべて承知です。私と改めて話をするまでもなく、すぐに報道開始にゴーサインを出し、担当デスクも指名してくれました。ただ、「今は、豊田支局長だ。立場を踏まえ、周りから、河口堰にかまけて『職場放棄』と言われないように」と、クギは刺されました。

指名された担当デスクは、かつて私と一緒に警察回りをした仲です。ただ、性格は私と正反対。人柄は良いが、「あくまで慎重」が持ち味です。

私を支持し、河口堰報道に積極的な社会部長。超エリートですから、「何故、この人が」と周囲から人事に疑問が出ていた局長程度は恐くなく、臆することなくズケズケ直言します。編集局長はこれまでの態度からも消極的なのは、明白です。昔から反りの合わなかった二人の間で激しい火花が飛んでいました。もともと小心のデスクは、どちらにつくか、右往左往しているように見えました。

地方採用だったデスクにとっては、ここが正念場、登竜門なのです。どちらに睨まれても、将来はありません。ますます慎重にならざるを得なかったのでしょう。

部長の許可をもらい、報道開始を強く求める私に、「豊田での仕事を……」「補助する記者の人繰りがつかない」と、一寸延ばしにしていました。デスクにしてみれば、定期採用で上に向かいガンガンと言う私のようなタイプは、「気楽な身分」としか映っていなかったのかも知れません。

◇取材の許可は下りたが・・・・

もう、紅葉の季節が近づいていました。河口堰の工事スケジュールを考えると、これ以上引き延ばされると、どんな記事を書いても工事を止められなくなります。いくら親しくても、デスクの優柔不断をこれ以上許しておく訳にはいかなかったのです。強い言葉で迫ると、やっと私を補佐する記者をつけ、「取材だけは」と、許可してくれました。

1990年の取材で、建設省のウソを立証するデータは完璧に揃っています。その点は何も心配していませんでした。でも、3年のブランクがあります。建設省にしてみれば、「何で今更、昔の取材を蒸し返したのか」としか見ないはずです。私はともかく、朝日総体から見れば、「痛くもない腹」とは言えません。

それに3年前なら、「建設省は朝日が取材した直後に粗度係数の値を変え、偽装工作をした」と、最初の皮切りになる記事が書けました。しかし、この時期に至っては、そうも書けません。

まさか、「建設省は、朝日新聞が取材した直後の3年前、粗度係数の値を変更した。しかし、当時の社会部長に止められ、記事には出来なかったが……」と、正直に紙面に書くわけにもいきません。読者にどう取り繕い、いかに不自然さのない記事を書くか…。その点でも、頭を悩ますしかなかったのです。

3年前の取材で建設省や河川学者から取った相手の失言も含めた言質も、そのまま使う訳には行きません。もう一度、一から取り直しです。今度は、相手も私の出方は知り尽くしています。不用意な失言をせず、うまい言い訳を考え出すなど相当準備はして来るはずです。

それより何より、部長はともかく編集局長の態度を見れば、朝日の腹もまだ固まったとは言えません。前回同様、記事に出来ると思い、せっかく言質をとっても、ストップがかかれば、またシナリオに大幅な狂いが生じます。まさに、内憂外患でした。

◇血税で編集した「取材対策本」

もう一度、建設省の出方を探ろうと 予備取材から始めました。私が豊田に赴任したあとの1992年4月、建設省は、『長良川河口堰に関する技術報告』、7月には土木学会の学者を動員して、その言い分を補強する『長良川河口堰にかかわる治水計画の技術評価』という冊子を作っていました。

中身は前回、私の取材攻勢でメロメロになったことに対する反論、まさに私に対する「取材対策本」でした。これにも多額の血税が使われたと思うと、無性に腹が立ちました。でもお蔭で、私の取材にどう答えるか、相手の手の内が読めました。

安八洪水の「4波目」水位データから作ったとするデッチ上げ言い訳粗度係数を使った学者論文も中にありました。私の取材の焦点です。論文では、この係数値を使い、パソコンから打ち出したシミュレーションを記載。これを根拠に「現状の長良川は、治水上危険」と、建設省と同じ主張をしていました。

建設省の言い分通りの係数値を使い不等流計算させれば、建設省や学者のみならず、まさに「誰がやっても同じ」。私がこの係数をパソコンに入力して描き出しても、最大大水時の水位は、安全ライン(計画高水位)を61センチ余り上回ります。

ただ、論文を詳細に読んでみても、4波目の係数値は流量の実測値がなく、推測値から導いたものであることには、何ら触れられていませんでした。建設省から与えられた値を何の疑問もはさまず、単に計算に使っただけの話です。

建設省が4波目の流量を「5800トン」と少なく見積もった推定根拠、そこから導いた係数値が本当に正しく、治水計算に使っていい水準なのか否か。学者なら、当然しなければならない検証さえしていなかったのです。

◇報道再開の準備が整う

論文を執筆した学者に取材しました。すると、計算に使った係数値の算出根拠が「推定流量」であることさえ、建設省から知らされていなかったようです。その点を聞くと、あいまいな答えに終始。誠実そうな学者から、「建設省に利用された」との表情がありありと見て取れました。

しかし、それ以上、私は追及しませんでした。私は何も学者に恥をかかすことが、取材の目的ではありません。学者が役所から多額の原稿料をもらって書く論文は、大体この程度のものが多いのです。

先に冊子を、私の「取材対策本」と書きました。しかし、もし万一、建設省や学者の言い分の方が正しく、長良川で洪水が起きたら、住民の命と財産に関わる話です。冊子に書かれている建設省や学者の主張に耳を傾けるべきものが一つでもあるか否か。それさえ、検証出来れば十分だったのです。

拙書「報道弾圧」には、詳しく書きましたが、そんなこんな…で、冊子に論文を寄せた学者にも当たり尽くしました。その結果、建設省が言っている「長良川に河口堰を造らない限り、水害の危険はある」は、やはりウソとの確信が、ますます強まりました。少なくとも、この冊子に書かれている建設省や学者の言い分に、改めて耳を傾けるべきものは一つもなかったのです。

冊子に執筆した学者は、私の取材の洗礼を受けています。これで私が実際に記事を書き始めても、もう表立って記事に異論を唱え、建設省の言い分を支持するはずもありません。私は、建設省のウソ・カラクリを暴いた3年前の取材・データの完璧さをますます確信しました。

3年前に続報として用意した関係者の言質も改めて取り直し、報道を開始出来れば、いつ使っても構わない程度までに準備を整えました。

◇「何でこんな苦労をさせられるのか」

でも最大の懸案、最初の口火になる1本目の記事をどう書くかが残っています。当初の構想は、前述通り、「建設省、朝日の取材直前に粗度係数変更」との記事から書き始めることでした。次に「その係数が怪しい」との続報を様々な角度で幾つも書きます。

苦しい言い訳を繰り返す建設省の言質を取り、袋小路に追い詰めたところで、最後の最後に河口堰工事を断念させる決め手となる記事へと繋いでいくと言うシナリオでした。しかし、「3年前」では、そうは行きません。別の形で知恵を絞るしかなかったのです。

それに、朝日社内の腰がまだふらついています。社会部長はともかく、最大権限を持つ編集局長が消極的な以上、これまで何回も経験してきたように、何処で突然また、記事に「待った」がかからないとも限りません。編集局長の関門を潜り抜けるには、建設省が「参った」と、一発で認めざるを得ない点を最初に指摘する以外になかったのです。

「何でこんな苦労をさせられるのか。建設省は根拠もないことを、こうもぬけぬけと言っているのに……」と天を仰ぎました。その瞬間、「根拠」という言葉がヒントになり、一つのアイデアが頭に浮かびました。まさに「コロンブスの卵」でした。

◇突破口がひらめく

もう一度、「長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ  公共事業は諸悪の根源?」http://www.kokusyo.jp/?p=3168を読み返してみて下さい。「堰を造らない限り、洪水の心配がある」と、建設省が言い訳に使っている「4波目」の粗度係数は、私の取材に慌て、1990年4月に急遽、算出した数字です。

建設省は、作成日の日付の入ったペーパーをうっかり私に渡しました。その時は何とか回収はしたものの問い詰められ、「作成日は、1990年4月9日ないし、その近辺」と答えたことがお分かり戴けると思います。3年前の私の取材テープにもしっかり録音されていますから、建設省は否定しようがないのです。

しかし、河口堰の着工は、1988年です。この時、建設省が内部で算出していた粗度係数は、『木曽三川』の記念誌に掲載されている「1波目」の値だけしかなかったのがキーポイントです。

この値を使い長良川で想定される最大大水、毎秒7500トンが流れた時の水位を計算すれば、建設省が「堰がなければ、危険」と主張しているすべての地点で、堤防より2メートル下の安全水位を下回ります。つまり、建設省自ら定めた行政マニュアル「河川砂防技術基準」に沿えば、「堰がなくても安全」との結論しか持っていないのです。

建設省がいくら頑張っても、マニュアルに照らし「洪水の危険がある」と言える根拠は、「4波目から導いた」とするごまかし粗度係数の値でシミュレーションした90年4月以降です。88年の着工時に建設省は、「堰がなくても安全」とのデータ・根拠しか持ち合わせていない。しかし、それをひた隠し。「堰がなくては危険」と根拠のないウソを反対派住民に言い続けて来た…。これは、否定しようがない事実です。

では、「着工時の88年、何を『根拠』に建設省は『危険』と言っていたのか」。そこを突けば、建設省は答えに窮すると、私は踏んだのです。

私は数多くの調査報道をしてきました。相手は、十中八九、様々な工作で隠蔽・言い訳を考えます。でも、真実を隠せば、必ず歪み・矛盾が出るものです。探し出して、逆手に取る。取材極意の一つです。

これなら「3年前に係数値を改ざん」などと、ややこしい記事を書かなくて済みます。「着工時の88年、建設省は『堰がなければ、水害の危険』の根拠を持ち合わせていないのに、ウソの主張」と書けばいいのです。

これなら読者も違和感なく伝えられます。これで勝負です。私は、豊田支局での地方版の仕事を早々と済ましました。「これから河口堰の取材をします」と本社に連絡を入れ、名古屋市にある建設省中部地建に向かいました。

◇建設省中部地建を取材

「建設省は、『4波目』の係数が正しいとあくまでも言われるのですね」。私は中部地建に着くと、担当者にその確認から始めました。

「建設省はこの係数で計算したシミュレーションを『根拠』に、長良川は堰がないと治水上、危険と言って来たのですね」とも尋ね、再確認もしました。出来るだけゆっくりしたペースで、何度も何度も角度を変え、同じ趣旨の質問をし、同じ言質を取り続けたのです。

うまい切り口を見つけたと喜ぶあまり、「着工時の88年には、『水害の危険がある』とする根拠はないはずだ」と短刀直入に質問するのは、調査報道記者としては、ど素人です。こちらの質問意図を知れば相手は構え、簡単に認めるものまで認めなくなります。

ちょっとましな記者なら、そんなヘマはしません。こちらの意図は悟られないよう用心し、これまで相手が認めて来た言質を、この場でもう一度言わせて再確認します。相手の逃げ道を先回りして塞いでおくのです。

政治部から戻り、久しぶりに中部地建への私の本格取材です。「何故、豊田から」と首をかしげつつも半ば固まっていた担当者は、私の繰り返しの質問に、今回はさすがに攻めあぐねていると思ったのでしょう。小1時間もこんなやり取りを続けていると、相手はいささかうんざりした様子です。「何を今更」と余裕を取り戻し、冗談も出始めました。

しばらくそれにも付き合いました。相手に侮らせ、安心させたところで、一気に急所を突く。相手の頭を真っ白のパニックに陥らせ、動かぬ言質を取る。これも調査報道の極意です。ここからが本番。私は蓄積したノウハウ・経験のすべてをここに注ぎ込みました。腹から声を出し、トーンを一段低くしました。語調を変え、ドスも効かせたのです。

――それじゃ、お聞きします。88年の着工時、建設省は「堰がなければ、治水上危険」と言って、着工しましたね。88年の時点では、何を「根拠」に「危険」と言えたのですか?

「えっ?88年の時点とは、どういう意味ですか?」

――「『危険』とする根拠は、『4波目』の出水データで見直した粗度係数で出したシミュレーション」と、今、確かにあなたは言いこの場で何度も確認もしましたね?

「ええ、言いました。もちろん、その通りです。それが何かおかしいですか?」

相手は、まだ私の質問の狙いを理解していなかったようでした。でも、私の声の変化で、担当者は異変を悟り、いぶかしがりました。しかし、次の「タイムマシン」という言葉で、やっと私の質問の意図を知ると、青ざめたです。

――4波係数は、90年に算出したことも何度も確認しました。建設省が「洪水の危険」を言う根拠も、この係数による水位計算からなのも、今も確認したはずです。では、建設省は88年の堰着工時点では、90年算出の係数値を持っていないのに、「危険」と言えたのはいかなる根拠からか。建設省は88年に、タイムマシンに乗って90年に飛び、この係数の値を聞いて来たのか?

「えっ?タイムマシン? いゃー88年……。タイムマシンとは、どういう意味ですか……」

――着工時の88年には4波目の係数は、算出されていない。建設省は88年に、タイムマシンを持っていない限り、90年算出係数の値を知ることは出来ないし、「堰がない限り、洪水の危険がある」と主張する根拠もなかったはずだ。

「いや、そんなことでは……。タイムマシンと言われてましても……」 ――そんなことでなかったら、どんなことか。タイムマシンを持っていなかったとすれば、88年の時点での「危険」としていた「根拠」は何か。ここではっきりさせてもらいましょう!

「『根拠』と言われましても……」

――やはりタイムマシンで90年に行って、聞いてきたのか?

「そんな訳では……」

――では、88年に建設省が「洪水の危険」と言えた根拠があるのか、ないのか、答えは一つ。あるなら、ここで明らかにしなさい!

「それは……」

――建設省は、タイムマシンを持っていたのか、持っていなかったのか?

「いゃ……。タイムマシンなど持っていません」

――では、着工時の88年には、「洪水の危険がある」とする根拠は、「ない」ということですね?

「……。なかったということです」

――「なかった」と、はっきり認めるのですね?

「はい、認めます」

◇取材で最後の止めを刺す

畳み込む私の質問に、担当者はもう観念した様子でした。私には長い河口堰取材経験があります。でも、建設省が批判された時、これまで「認める」と言ったことは、一度もありません。他社の記者に対してもそうでした。理屈にならない屁理屈を並べ、何とか平行線に持ち込むのが常です。しかし今回、か細い声ながら、「認める」と言わしたことは、それだけで大きな意味があります。

ただ、ここで「言質は取れた。翻されないうちに」と、喜び勇んで帰るようでは、調査報道記者として、まだ半人前です。建設省にとって公共事業は、天下りはじめとした利権の源泉です。それを止めるか止めないかは、彼らにとって死活問題なのです。

建設省の本庁も介入し、こんなことを認めた担当者は厳しく叱責されます。前言を翻し、後で「言った」「言わない」で必ずもめます。録音していてさえ、「真意はそうでなかった」などと言い出すのは目に見えています。

もちろん私は、百も承知。その時に備えた詰めは、私の昔からの得意分野でもありました。一刻でも早く本社に戻り、記事を書きたいとはやる気持ちを抑え、何をどう認めるのか。「根拠」とは何を指し、「根拠がない」とは、何を意味するのか。角度を変え言質を取り続けました。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者