1. ブレーキ役不在のこの国 年の瀬に思う

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2012年12月31日 (月曜日)

ブレーキ役不在のこの国 年の瀬に思う

 ◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

この秋から掲載を始めさせて戴いたこの欄。あっという間に10回を数え、新しい年を迎えようとしている。既成メディアや司法の劣化にも触れた。私はこの国がまともなブレーキ役を失いつつあるのではないかと思っているからだ。その結果が、「壊れたこの国の姿」である。

民意はどうあれ、年末選挙で自民は圧倒的多数の議席を得た。この国は来年、どんな軌跡を描こうとしているのか。改めて志しを持つ強力なブレーキ役の出現を期待する年の瀬である。

◆「壁耳」による取材

突然だが、政治記者の伝統的な取材手法に「壁耳」というのがあるのをご存知だろうか。何のことはない。壁に耳を当て、部屋の中でどんな話が交わされているか、盗み聞きする、あれである。壁耳は昔から政治記者に許されてきた取材手法である。

盗聴器などハイテク機材を使うのはご法度。それなのに、何故、壁耳が許されているのか。読者はきっと不思議に思われるはずだ。理由は、壁耳なら記者が聞き耳を立てて取材しているのが、周りで見ていて、一目瞭然だからだ。

政治家や官僚には公式の記者会見などでは話せない本音がある。しかし、何とか記者に知らせ、記事にしてもらいたいこともある。そんな時には、記者が壁耳していることを承知で、部屋の外にも聞こえるくらいの大声で話す。記者はそれを聞いて、記事にする。

だから、本当に記者に内緒で話したいことがあれば、壁耳している記者に、「今日は、壁耳は駄目」と、その場から排除する。注意されない限り、壁に耳を当てて漏れてくる話を聞き、記事にすることは、半ば慣習的に公認されていると言う訳である。 壁耳している記者に会話を聞かせた政治家や官僚は、その内容が漏れて記事になり、万一、世間で物議をかもしても、素知らぬ顔。「そんな話をした覚えはない。記者が勝手に書いたか、聞き間違ったのでは」と、すっとぼけられる。政治報道とは、記者と政治家・官僚とのそんなゲーム感覚で成り立っているとも言えるのだ。

◆ブレーキ役の後藤田

前にもこの欄で書いた。私は40歳を前にして、右も左も分からないいまま、この政治取材の世界に放り込まれた。1990年秋、イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機・戦争の真っ最中だった。イラク制裁のために、米国など多国籍軍が編成され、自衛隊を中東に派遣するか否か、国内で熱い憲法論争が展開されていた。

私は海部首相番として、首相官邸の中で記者クラブに詰め、仕事をすることになった。そこには朝日だけで10人の記者がいた。ある日のことだ。政治記者経験は私より長いが、年若のある官邸記者が内閣法制局に取材に行き、部屋の前で壁耳していた。

法制局は、憲法上、自衛隊の海外派兵は、憲法9条に照らして認められないとの立場だった。しかし、米国から外圧もあり、海外派遣に道を開くような解釈変更を迫る政治的圧力が強まっていた。法制局幹部はそれに対抗するために、派兵を体を張って止めた後藤田氏のことを改めて記者に知って貰い、記事になることを期待したのだろう。次のような話を外で壁耳している記者にも聞こえるほどの声で話し始めた、と言う。

「前回のイラン・イラク戦争では、当時の中曽根首相は自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣しようとした。でも、後藤田官房長官は『憲法上認められない』と閣議決定の署名をせず、体を張って止めた」

「後藤田さんが言っている通り、海外派遣は憲法上、疑義がある。後藤田さんはきちっと法制局の見解を踏まえてくれた」。

ざっとこんな会話だった、と言う。

もちろん、私たちはこの話をヒントに取材を進めた。法制局として自衛隊の海外派遣には、憲法解釈上問題がある事や、イラク・イラン戦争で中曽根政権当時、一時、海外派遣を決めかけた。でも、法制局からも疑義が出て、後藤田氏がブレーキ役となり、中東への自衛隊派遣が見送られたことなどを改めて報じた。その上で、イ・イ戦争で派遣出来ないものが、どうして湾岸戦争で派遣出来ることになるのかとの疑問も呈した。

元警察庁長官。もともとタカ派のイメージが強かった後藤田氏だ。実は筋金入りのハト派だとの世間の認知が広がり始めたのも、この頃からだったと思う。

その後私は、自衛隊海外派遣を巡る連載班に組み込まれ、後藤田氏に直接取材する機会にも恵まれた。後藤田氏は「私は何も中曽根さんのための官房長官をやっていた訳ではない。国民のための官房長官として仕事をしている。憲法解釈では、中曽根さんは危ない。私は官房長官として、当たり前のことを言ったまでだ」と、当時のいきさつも含め、包み隠さず話してくれた。

後藤田氏は、戦前、旧内務省官僚として軍部の暴走を見て来た。官僚として、それを止められない無力、兵器を持つ軍が一人歩きしていく怖さを身をもって知っている一人だ。そのため、憲法論でも、防衛論でもその見識は人一倍だった。

首相の決断を官房長官が覆すなど前代未聞だ。でも、中曽根氏は後藤田氏に一目置き、その方針に従ったのは、そんなところにあったのだろう。こんな強力なブレーキ役を得た中曽根政権だ。だから長続きしたと、私はその時、改めて思った。

◆メディアの劣化

私は、何故、この話を披露したか。それは今の世の中,後藤田氏のような見識・経験を踏まえた本物のブレーキ役がいなくなっているのではないかと、深く危惧するからに他ならない。

過去の中選挙区時代は、自民党の中にも、それぞれ色合いの違う各派閥があり、その綱引きの中で方針が決まっていた。だから、それなりに党内議論が深まる余地はあった。

しかし、小選挙区になり、党幹部に反逆すれば干され、場合によっては党かに公認すらもらえないケースもある。後藤田氏まではいかなくても、少しは勉強し、自分なりのきちんとした見識を持つ若手がいればいい。

でも、ポスト欲しさに、深く考えないまま、党の方針に追従する若い翼賛議員も数多くいるのが現状ではないだろうか。

その中で4割の得票を得ただけで、8割の議席を占められる小選挙区制度の追い風を受けた自民が、ブレーキ役を持たないまま暴走を始めれば、どうなるのか。早速、安倍政権は、国債の大量発行を示唆。政・官・業の癒着はさらに加速し、借金頼みの公共事業の大復活は目前だ。来年、参議院選の結果次第では、憲法改正も政治日程に上がってくるだろう。

私は、調査報道を通じ、利権・天下りにしか頭にない官僚の節操、倫理観の欠如をさんざん見て来た。政治もブレーキ役不在なら、その代替えを果たすとしたら、メディアと司法である。でも、その劣化も、政治に負けず劣らず激しいと言わざるを得ない。

◆戦前回帰の危険性

拙書「報道弾圧」で詳しく書いたように、「無駄な公共事業の典型」と言われた長良川河口堰で、当時の建設省が建設理由としていた「治水上不可欠」は全くウソであることを、私は入手した数々の極秘資料により解明し、記事にしようとした。しかし、朝日は私の記事を止めたことに何の反省もなく、編集局長に異議を申し立てた私から、「記者職」を剥奪したのは、劣化の一例だ。

読売も、押し紙批判報道を続ける黒薮哲哉氏の口を塞ぐため、訴訟を次々提訴した。そこには、ペンにはペンで対抗する。そんなジャーナリズムの基本すら忘れられ、司法と一体となって、「表現・報道の自由」を縛る側に回るメディアの姿がある。

朝日や読売の中に、ジャーナリストとしてのきちんとした見識を持つブレーキ役がいたなら、こんな行為は止めたと思う。

私が、この欄で書くきっかけになったのは、その中で孤軍奮闘する黒薮氏を何とか応援したいためだったことは以前にも触れた。書き始めてすぐ、iPS細胞臨床応用報道の誤報、尼崎連続変死事件顔写真の取り替え、橋下出自差別報道…と、メディアの不祥事が相次いた。

私の記者経験から原因の深層を探り、この欄に書いた。官僚と同様、利権組織になったメディア。そんな中での幹部の劣化が、若い記者にも伝染。ジャーナリズム・ジャーナリストとして最も必要な素肌感覚での座標軸を欠如してしまっているのではないかが、私の結論でもあった。

「誤報を防ぎ、『人々の知る権利』に応えることに、いかに真剣になるか」「弱い人の側に立ち、いかに権力を監視するか」。ジャーナリズム・ジャーナリストなら当たり前に持たなければならない使命感だ。ブレーキ役不在で、社内事情が優先する中、既成メディアのジャーナリストの多くが、それを見失っているのだ。

司法についても、「報道・表現の自由」を強引に縛ろうとする戦前回帰の危険な体質を、私と黒薮氏の裁判実例で書いた。

司法の基本は、真実を解明することにいかに真剣になれるか、である。また、憲法で保障する「表現の自由」と、人々の「人権・名誉」。その相克の中で、いかに両立を目指す判決を書くことに真摯になれるかでもある。

しかし、私の訴訟で、裁判官は一切の事実審理を拒否し、真実を解明しないままに事実と正反対のデッチ上げ判決で、人々の「知る権利」を妨害した朝日を勝訴させ、最高裁までそれを支持した。

黒薮氏の裁判では、言葉尻の事実誤認を捉え、最高裁は逆転判決を出してまで「名誉毀損」の成立を認めた。それが「表現・報道の自由」を縛ることになり、結局、人々の「知る権利」を侵害することになる事にはお構いなしだ。

両判決とも、最高裁に司法としてのきちんとした見識を持つブレーキ役が不在であることの何よりの証明だろう。

つまり、人々の「知る権利」に応えることに真剣になれないメディアと「知る権利」を縛ることに熱心な司法の姿……。その下で、「ブレーキ役」不在のこの国はどこへ暴走するか分からない危険ゾーンに突入しているのである。

小選挙区制度で議席だけ増やした安倍バブル。お札を刷って、景気対策する安倍バブル…。バブル、バブルで株も上がり、世間が浮かれている間も、ブレーキ役不在で早くも原発が再稼働に向け動き出し、八ツ場ダムも建設再開に向け、大きく舵を切り始めている。でも、そんなバブルが長続きするはずもない。後藤田氏が生きていたら、どう言うかと、考える年の瀬である。

◆安部バブル

今年のこの欄は、これで終わる。来年、多くの心配を抱えてこの国は船出することになるが、どうか読者の皆さんは、いい年をお迎えください。私は、微力でもこの欄で、少しばかりのブレーキの役割を果たしていきたいと思っています。ぜひ、来年もお読み戴ければ幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。