1. 選挙で政治家を見抜くノウハウ 上半身より下半身を見よう

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2012年12月13日 (木曜日)

選挙で政治家を見抜くノウハウ 上半身より下半身を見よう

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

「今度は、実現可能なマニフェストにしなければ…」。民主の言い訳には、正直、笑ってしまった。なぜ、民主が「公約」から「マニフェスト」にしたのか。選挙の度に大風呂敷を広げる「公約」では、結局、何も国民に約束しないことに等しい。

「実現可能なマニフェストでなければ」と言い出したのが民主のはずである。結局、「公約」でも「マニフェスト」でも、選挙目当ての美辞麗句を信じていれば、国民は騙されるだけ。これが政権交代からの3年間、人々が得た唯一の教訓だったのかも知れない。「公約」も「マニフェスト」も信じられなければ、国民は何を見て、政治家を選べばいいのか。私は、政治家の「上半身」より、「下半身」を見て品定めすることを何より薦めたい。

◆資金源、支持層、票田

別に下世話な話ではない。「上半身」とは、政治家の口である。いかに口がうまいか。これが政治家の条件だ。その時、その時の状況に応じ、どう自分の利益・立場に都合よく結び付ける論理を導き出すか。政治討論を見ていても、口のうまさに舌を巻かれた人も多いだろう。

ただ、その時の思いつき、我田引水だから、後から冷静に考えれば論理は支離滅裂。1か月前の言動との違いに気づくことも多いはずだ。

では、「下半身」とは何か。政治家個人の資金源、支持層・票田のことである。政治家は選挙に落ちればただの人。何より大事なのは選挙である。選挙に必要なのは、カネと票。人手も出し、票をかき集めてくれる支持組織ほど有難いものはない。だから政治家は、カネと人手・票を出してくれる有力な支持組織は絶対裏切れないのだ。

口で何を言っても、結局、政治家はこんな支持組織に束縛される。政治家を見抜こうとしたら、資金源・支持組織を見れば、口で言っていることの裏が読める。つまり、口に騙されず、政治家を品定めするには、「下半身」を見るのが一番早い。

◆破綻した民主党のマニフェスト

「聖域なき行政改革」「ゼロベースからの見直し」を掲げた民主のマニフェストが何故破たんしたか。決して「もう削るところがない」ではなかったはずだ。それが証拠に、中央官庁の出先機関の整理はほとんど手付かず。「脱官僚」のはずなのに、元国交省官僚を大臣に据え、整備新幹線の復活、八ツ場ダム中止方針の撤回…。あげればきりがない。

3年前の選挙。私は、「政治を変える」と言って立候補した民主議員の「下半身」を見た。これでは、民主が政権を取ってもマニフェストが実現するはずはないだろうと予想した。結果は、その通りだった。

なぜなら、民主は様々な資金源・支持団体をバックに持った人の寄せ集めだ。支援組織の延命、利権擁護のために、民主が政権与党になることを見越して、自民からちゃっかり鞍替えした人も少なくなかった。

政権交代で国民が民主に一番期待したのは、「事業仕分け」だろう。でも、既得権益を守りたい支持組織の意を受けた議員は、口利きで官僚に借りも作っている。政権の座につき、「行革」・「事業仕分け」が各論に入ると、こんな議員は、支持組織の既得権に踏み込まれるのを恐れ、陰に陽に既得権を守ってくれる官庁・官僚の応援団に変身。行革・予算削減を妨害する方に回るのは必然だったのだ。

◆民主の支持母体は?

テレビで放送される「仕分け」現場。そこで流れる政治家の格好いい発言にころりと騙された人がいたかもしれない。でも、「最初から裏では異論が噴出していた。与党が一枚岩でないのだから、官僚に対抗出来るはずもない。仕分けがまともに実現するなんて、あり得るはずもなかった」と、ある事情通は私に打ち明けてくれた。

せっかく「仕分け」で無駄な事業の廃止を盛り込んでも、省庁にはこんな議員応援団がいる。「仕分け」結果を無視し、中止にすべき事業を堂々と予算に計上出来たのも、そのためだ。実は、仕分けに始まる前に裏で潰され、遡上にすら上がらないものの方が多かった、と言う。

一方、こうした議員たちは与党になったのをいいことに、支持母体の既得権益のさらなる拡大を省庁に働きかけた。民主議員は前述の通り、いろんな党からの寄せ集めだ。

支持母体は、従来の自民系支持組織の建設などの業界団体、農協や医師会など。元社会や民社系議員が持つ公務員労組や東電などの大企業労組、各種福祉団体まで加わるのだから、何とも幅広い。その支持母体の要望を一つずつ聞いていれば、行革どころでなくなり、予算がどんどん膨らんでいったのも当然の成り行きだったのだろう。

「上半身」より「下半身」で見る政治家透視術。その術で民主議員を「下半身」から見ていけば、この通り、すべてが分かるのだ。党内はバラバラ。痛みを伴う改革・重要政策ではまとまらなかった理由も、「決められない政治」、分裂した訳も、彼らの「下半身」にその原因がある。行革を進めるどころか、自民以上に予算を膨らませただけで、政権の終焉を迎えようとしている姿は、何ともむなしい。

一方の自民。政権の座を追われ、これまでの自民手法を取る民主議員に建設業界からのカネと票も奪われかけていた。「200兆円の公共事業」を打ち出した背景を「下半身」から透視すれば、従来のお得意先である建設業界からのカネと票を再び取り戻し、自らの「下半身」を盤石にすることにあることも見て取れる。

◆政治資金収支報告書の解析

私が政治家を「下半身」から見てみようと思い立ったのには、一つの理由がある。以前にも書いたことがあるが、私は、政治記者になるまで名古屋本社社会部記者として異動もせず、10年以上過ごした。その間のほとんどを、警察、司法、調査報道を担当、東京政治部の記者になったのは、40歳を前にしてのことだった。

なぜ、私が名古屋に長居することになったか。愛知県警の裏金資料を、「警察取材の取り引きに使え」と露骨に言ったり、愛知県庁の裏金報道を持ち場替えでやらせなかった時の名古屋本社最高幹部とぶつかったこと…などが影響したと思っている。

政治記者は、10年も20年もかけて政治家との人脈を作り、彼らから情報が自由に取れるようになって、やっと一人前と認められる世界だ。40歳を前にして、初めて国会の中をお上りさん(http://zokugo-dict.com/05o/onoborisan.htm)のように回る私は、「1人前の政治記者」にはとても見てもらえない。

でも、こんな経過で政治記者に転身した私だ。ジャーナリストの風上にも置けないこの幹部への意地もあった。名古屋で積み重ねた記者経験を無駄にせず、何とか政治記者の取材で生かせる道がないか探った。

幸い私は、長く調査報道をしてきた。政治家の政治資金収支報告書(以下、資金報告書)の分析は得意分野でもある。長く政治記者の経験を積んだ同僚記者に一つぐらい勝る能力を持つなら、この資金報告書の活用だと思いついたのだ。

だから私は、政治家に取材の約束を取り付けると、必ず調査報道で鍛えた能力で、その人物の資金報告書を見て分析。つまり、政治家の「下半身」の品定めを終えてから行くことを心掛けた。そうすると、政治家の発言の裏にあるものが驚くほど良く見えた。私の政治記者時代に親しくなったある自民党の代議士から、こんな嘆きを聞いたこともある。

「自民も長い単独政権から連立政権への移行を余儀なくされた。小渕政権の頃は、人のいい小渕さんは連立与党議員の陳情をよく聞いたから、予算は膨らんだ。でも、あまり借金が増えてはとの躊躇があの人にはあった。議員のおねだりは半分に値切ったから、実は予算の伸びはそれほどでもなかった。でも、森政権になって、連立する議員の陳情を値切らず予算をつけたから、歯止めなく膨らんだ。3党連立なら、おねだり予算は3倍になる理屈だ」

なぜ、この国はバブル崩壊以降、借金が1000兆円になるまで急速に膨れ上がったのか。謎を解くカギはここにある。単独政権から連立政権に移行。党ごとに性格の違う議員の「下半身」からの要求に応える予算を組んだからに他ならない。「下半身」がバラバラな議員の寄せ集め。党内だけで連立政権的様相を持っていた民主政権は、森政権の二の前をやったと、私は思っている。

◆政治家人脈の是非

新聞の政治記事は、権力闘争を追うだけ。政治の大きな流れにより、自分たちの生活はどうなるのかといった政策の問題が見えない。こんな読者からの不満を、私は朝日の在社中にしばしば聞いた。私もそう思う。

長く政治記者をしていると、政治家との人脈が自分の財産だと、知らず知らずに思い込む。そんな政治家が自分にだけ漏らしてくれた言葉なら、それを特ダネで記事にすることが重要だと考える習性がこびりつく。結局、その人の言動から、「政治情勢」を占う記事が溢れてしまう原因になっているのだろう。

しかし、その政治家の「上半身」は常に見ていても、「下半身」をあまり見ていないから、政策も大きな政治の方向性も見えてこない。「自分にだけ漏らしてくれた言葉」の裏の意図も読めないから、結局、政治家の術中にはまり、都合よく踊らされてしまっていることも少なくないのだ。

私のわずかながらの自負心から言えば、人脈作りで政治家の「上半身」の言動取材に終始する既成政治記者より、「下半身」で判断していた私の方が政治の流れをより読めていた部分もあったような気もしている。

◆ほんとうの第三極の体質

世論調査を見る限り、自民が圧倒的優位に立っている。そこからは、政治家の「下半身」を支える従来の既得権団体に所属する支持層が雪崩をうって自民返りしている様相が見て取れる。もう民主が政権を継続する可能性は少ないかも知れない。

それを見越してか、自らの当選とバックの支持母体の延命を求める人たちの駆け込み寺は、前回の民主から今回は第三極に移ったようでもある。私が何より恐ろしいと思っているのは、「下半身」で動くこんな政治家たちが、深い考えも定見もないままに付和雷同、「毒を食らわば皿まで」と「駆け込み寺」にした第三極の路線に安易に乗り、「改憲路線」を突っ走ることである。

ただ、世論調査をもう少し詳しく読むと、優勢を伝えられる自民も政党支持率では低いまま。投票間近のこの時期になってさえ、まだ半数程度の人が態度を決めかねているのも、これまでの選挙になかった傾向だ。「無党派層」は、「改憲」を主張する自民や「戦争の覚悟」、「核兵器保有の検討」まで口にする党首を頂く第3極を無条件に支持することに、いまだ躊躇があるのかも知れない。

そんな中で、投票日が刻々迫ってきた。「態度を決めかねている」無党派層が最後にどう動くか。それも勝敗の行方に大きな影響を持つだろう。でも何より、政治家の「下半身」が候補者の勢力地図に大きな変化をもたらしたのも、今度の選挙の特徴だ。

どの政党が政権を握っても、この国の行く末を決める重要政策を決定する際には、「無党派層の躊躇」がなぜだったのかを考え、数の力に頼るだけでなく、もう一度立ち止まり、国民にじっくり考える機会を与えて欲しいと私は思う。

自分たちが提示した政策のすべてが国民に支持されたと思い込むべきではない。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。