元国労名古屋地本委員長の遺言 総選挙を前に平和運動の担い手の空洞化を憂う
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
何とも心のはずまない総選挙だ。まだしも前の選挙は、少しは政治が変わるとの期待もあった。でも、「戦争の覚悟」を言い出す爺さんもいれば、「200兆円の公共事業」と旧態依然の政策を唱え、先祖返りする党もある。一方で、これまで土建業界などからの資金で選挙をしていた人たちが、国民受けする「脱原発」で厚化粧…。
こんな選挙で国民に「政治が変わる」との期待感を持てと言う方が無理だろう。まともな選択肢がない中で、選挙を境にこの国は、「いつか来た道」にますます迷い込んでしまうのではないか。むしろ私は、それを恐れる。
今回から少し「政治」について語ろうと思う。政治記者時代の経験を披露する前に、皆さんにどうしても聞いてもらいたい話がある。今の政治状況を25年以上も前に予見していた人がいるからだ。
◆国鉄民営化の取材の中で
1986年から87年、私が名古屋本社社会部での国鉄民営化取材で出会った、当時の国労名古屋地方本部委員長だ。その人が私へ語った「遺言」が、今でも私の脳裏に深く刻まれている。
委員長は、私が取材を始めた頃、すでに末期の肝臓がんだった。国鉄民営化を前に、死期を覚悟しながらも入院を拒み、国労組織を何とか守ろうと奔走していた。
その頃の国鉄は、政治家が選挙目当てに作った赤字路線など様々な利権に翻弄され、借金が巨額に積み上がっていた。毎年のように繰り返される運賃値上げ。職員のモラル低下も著しく、国労への世間の風当たりも強かった。
当時の中曽根政権は国鉄経営が行き詰る中、こんな世論を巧みに利用し、民営化とともに戦後の労働運動の大きな担い手だった国労の解体も同時に目論んでいた。委員長は、病気を押してでも、そうした政権の思惑に少しでも抵抗したいとの思いだったと思う。
◆社会党と共産党を分断
委員長と親しくなった私は、フリーパスで部屋に入れた。取材に行くと委員長は、どんな重要な電話をしていても私を横のソファに座るよう手招きしてくれた。だから、委員長が国労中央の幹部らとどのような話をしているか、脇で聞いていて手に取るように分かった。
「革新」を標榜、戦後労働・平和護憲運動を担って来た総評。国労はその主力部隊でもあった。中曽根政権の狙いは、国労の主流派とされる社会党勢力と反主流派の共産党勢力を切り離し、連合を中心とする労働運動に再編することにあったのは確かだろう。
狙いを察知した委員長は、「国労の分裂を出来るだけ避けたい」との名古屋地本の方針を中央本部に伝え、説得していた。
しかし、世間の国鉄への強い批判が国労批判に向く中、主流派勢力の温存のためには、国労の分裂はやむを得ないと考え始めていた中央。何とかその流れを止めたいと思っていた委員長。意見の隔たりは大きくなるばかりだった。委員長は苦しい息の中でも、時には大きな声も出し、激論を交わしていた姿が何より印象的だった。
結局、大勢に抗せず、国鉄は民営化。国労分裂の流れも決定的になった時、委員長は「もはやこれまで」と私に言い残し、入院を決断した。余程、それまで苦しい体を我慢していたのだろう。すぐに重篤に陥り、面会謝絶になった。
◆利権の巣窟になった国鉄
私は、何とか委員長に最後の見舞いだけはしておきたいと思い、国労幹部を介してお願いした。家族を通じて委員長から、「君にはぜひ会いたい」との返事が来て、面会が許された。
病室に入ると、委員長は点滴などの多くの管が繋がれていて、もう起きることさえままならなかった。か細い声で私に話し始めた。
「君にはどうしても言い残しておきたいことがあった。だから来てもらった。いろいろ君とは話してきた。でも立場上、未だに話していない国労運動の神髄がある。それは何だと思う」
私が委員長の話す真意が分からず、答えに戸惑った。すると、委員長はこう続けた。
「少なくとも私たち国労主流派は、どんなに言葉では激しく当局に迫っても実は、国鉄キャリア官僚の利権の聖域には踏み込まなかった。『主流派』が『主流派』でいられた理由もそこにある。だから官僚は、私たち労働者の『権利』にも、踏み込まなかった。官僚は自らの『利権』を守るために、国労・労働者の『権利』にも手を付けないという構図だ」
「その結果として利権の巣窟になり、ボロボロになった国鉄の現状がある。私たちが労働者の『権利』と言って来たものの中にも、今から思うと、実は『労働者利権』と言われても仕方ないものもある。世間の国労批判もそこにあるのだろう。君たちの厳しい国労批判報道も甘んじて受けなければならない面もあることも否定しない。だから私は君にも真摯に対応してきたつもりだ」
そこまで話すと、委員長は、最後の力を振り絞り、「だが」と続けた。
「戦後の平和運動を主力部隊として担ってきたのも、私たち国鉄の労組と炭鉱労組だ。先の事情もあって、国鉄キャリアが私たちの組合運動に干渉してこなかったから、団結も守られ、平和運動に資金も人も思う存分投入出来た。しかし、三池労組も解体した今、国労まで実質潰されたら、この国の平和運動は誰が担っていくのか」
「君たちが国労をどんなに批判してもいい。でも、平和運動を担って来た国労の役割だけは、ぜひ忘れないでもらいたい。多くの労組員はこの国を二度と戦争の惨禍にさらしてはならないと、純粋に平和を願う気持ちで運動に参加した。そこだけは分かって欲しい」
「ここで国労が事実上解体されると、この国の平和運動は資金的にも動員力でも大きな痛手となる。保守勢力が憲法9条の改憲を持ち出したら、それに対抗する国民運動が構築出来るのか。その結果、この国が『いつか来た道』にもう一度、入り込むことがないのか。もう君たち記者に、これまで国労の果たして来たブレーキの役割を期待するしかない」
◆「労組利権」に固執する民主党
委員長はその数日後に、息を引き取った。まもなく国労も総評も分裂。労働運動は「連合」が主流となり、平和運動に参加する労組員の姿はめっきり減った。
私は、「労働者利権」を厳しく追及した以上、「政治家・官僚利権」にはそれ以上に厳しく対処したいと、無駄な公共事業の典型「長良川河口堰報道」に取り組んだ。でも、朝日にその記事を止められた。記者の職まで剥奪されたので、委員長から託された「記者の役割」を果たすことが出来なかった。そのことを、大変申し訳なく思っている。
それから25年余り。国鉄とともに郵政は何とか民営化された。だが、民主政権になっても、震災復興費までつまみ食いする官僚利権政治はますますはびこり、国の借金は1000兆円近くにまで積み上がった。
公務員労組を抱える「連合」を有力な支持母体とする民主は、その既得権益になかなか踏み込もうせず、行政改革や公約した公務員の削減はほとんど実現していない。寄合世帯では、「改憲」か「護憲」かの態度すら、あいまいなままだ。
一方、この総選挙では、先祖返りして「200兆円の公共事業」を売り物に、「改憲」や「国防軍」の設置を主張する自民の優勢が伝えられる。「行政改革」「利権政治の打破」を主張する有力な第3極は、セットで憲法9条の改憲をおおっぴらに唱える。「護憲」を唱える社会や共産は、広範な労働者のバックを失い、その声はか細くなるばかりである。
「利権」か否かは議論があっても、少なくとも「労働者の権利」を主張した勢力と、「平和・護憲勢力」が一体化していた過去の歴史を考えれば、「平和・護憲」を唱える勢力から、「行政改革」「小さな政府」を主張する勢力が出にくい事情はそこにあるのだろう。
まさに委員長が予言した通りの政治情勢が、今ここにある。その中で展開される今度の総選挙。官僚・公務員利権を排した「小さな政府」を望みつつ、「改憲」も嫌と言う人たちは、どうすればいいのか。
その結果、委員長が危惧した通りのブレーキ役を失った改憲勢力片肺政治が現実となると、この国は何処へ行くのか。私はぜひもう一度、「委員長の遺言」を多くの人に噛みしめてもらいたいと思うのだ。
≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴え『報道弾圧』(東京図書出版)著者。