酔っ払い先輩記者の教えたものは? 橋下出自報道「お詫び」の背景を考える
◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
緊急連載「ハシシタ 奴の本性」での「お詫び」が、週刊朝日11月2日号に掲載されている。河畠大四編集長の言葉は、朝日に居た私にはむしろ痛々しく聞こえる。
◇河畠編集長の謝罪
「同和地区を特定するなど極めて不適切な記述を複数掲載してしまいました。 タイトルも適切ではありませんでした。この記事を掲載した全責任は編集部にあります」と、河畠氏は陳謝する。さぞ、朝日グループの中でも、四面楚歌なのだろう。
だが、「記事の作成にあたっては、表現方法や内容などについて、編集部の検討だけではなく、社内の関係部署のチェック、指摘も受けながら進めました。しかし、最終的に、私の判断で第一回の記事を決定しました」とも書いている。
組織人である以上、河畠氏は全責任を引き受けざるを得ない。でも、この言葉に精一杯の抵抗も感じるのだ。
差別報道がいかに人を傷つけるか。ジャーナリズムにとって、絶対にあってはならない記事である。このことは前回、この欄で私は書いた。若い記者の体質にも触れた。それに対して、「記者教育、問題のフィードバックが朝日社内で十分ではないのでは」との意見も、私へのツィッターなどで寄せられている。
しかし、私が在社当時、広報に寄せられた苦情・抗議など読者の声は、口が酸っぱくなるほど朝日グルーブ各部門に伝えていた。差別に対する記者教育もあった。今もそうだと思う。だが、それが朝日グループ全体で身になっていないのが問題なのだ。
だからこそ、河畠氏が言うように、「社内の関係部署のチェック、指摘も受けながら」、こんな出自記事が素通りしてしまったのだろう。
◇酔っ払い記者が社内を闊歩
私は、1973年に朝日に入社した。長良川河口堰報道を止められたのは1990年だった。拙書『報道弾圧』にある通り、それに異議を唱えたのを発端に記者職を剥奪され、ブラ勤に至ったが、少なくともそれまでは、仕事は厳しくても、充実した記者生活を送れたのを懐かしく思っている。
その頃、天衣無縫の酔っ払い記者が朝日社内を闊歩していた。そんな記者は、酒の勢いも手伝って気に入らない上司には誰かれとなく、噛みついていた。自分のポケットマネーをはたいて、若い記者を呑みに連れ出してもいた。私もその頃、よく連れて行かれた一人だった。
呑みだすと、すぐ説教が始まる。
「記者と言うものは、権力者に媚びてはいかん。徹底的にあいつらの化けの皮を剥げ」
「世の中には、虐げられた人は一杯いる。記者はその人の身になって考えるんだ。人の痛みが分からんようでは記者じゃない」。
確かに、酔っ払いの話はしつこい。繰り返し、繰り返し聞かされると、少々うんざりはする。説教を嫌う若い記者の中には、酔っ払いを避ける人も増えていた。
一方、罵声を浴びせられる上司も、昔は苦笑いして聞き流す人が多かった。だが、そのうち露骨に嫌な顔をする人も出て来た。ジャーナリストなら、上にへつらって昇進することに何らかのためらいはある。それを口汚く罵る酔っ払いは、そんな上司にとり、逆に目の上のたんこぶに映っていたからだろう。
そんなこんなで、酔っ払い記者は転勤などで分断され、組織から遠ざけられていった。ジャーナリズムの気概、記者の在り方を熱っぽく語る酔っ払い説教文化は朝日から徐々に消え、代わりに大手を振って歩き出したのが、ジャーナリズム倫理より、上司にゴマをすって上昇していく派閥人事文化、内向きの経営論理だった。
◇建前で考え、本音で語れない体質
週刊朝日の橋下出自差別報道に話を戻せば、第3極のリーダーシップを執る橋下氏への権力監視は、ジャーナリズム本来の仕事・目的だ。だが、心無い差別を受ける人たちをも巻き込む出自報道は、決して許されるものではない。私が酔っ払いの先輩記者から、夜な夜な体で教えられて来たのは、振り返ればそんなジャーナリズムが当然に持たなければならない座標軸であったと思う。
今、朝日グループの記者・編集者たちもこの座標軸は、もちろん座学では学んでいる。でも、体で教えられていない。
ツイッターでは、「『差別報道はいかん』と言うのは、朝日の『建前』で、『本音』ではないのでは」との意見もあった。だが、多くの朝日グループの記者・編集者は、「差別報道はいかん」と、頭では「本音」で考えていると思う。だから、問われれば、「建前」としてすらすら語れる。ても、体が覚えていないのだ。
今、読者の活字離れによる部数減で、新聞、雑誌の経営も厳しい。週刊朝日が朝日本体から切り離され、分社化されたのもそのためだ。社内で、経営の論理がますます力を増している。
河畠氏は、「お詫び」の中で、「今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証をすすめます」としている以上、橋下出自報道がなぜ、「編集部の検討だけではなく、社内の関係部署のチェック」をすり抜けたかは、その検証結果を待つしかない。
◇原稿をボツにすれば、誌面に穴が開く?
でも、私の在社経験からは、「チェック」が効かなかった事情はごく単純なことではなかったかと、想像している。
「連載は、編集部がノンフィクション作家・佐野眞一氏に出筆を依頼しました。今年9月に『日本維新の会』を結成してその代表になり、第三極として台風の目になるとも言われる政治家・橋下徹氏の人物像に迫ることが狙いでした」とお詫び文にある通り、編集者は、権力者・橋下氏を監視しようとしても原稿を佐野氏に依頼したことにウソはないだろう。
ところが出てきたのは、出自報道だった。「えっ」との思いは、編集者にもあったかも知れない。でも、台所事情が厳しい週刊朝日としては、部数も伸ばしたい。もしこの原稿をボツにしてしまえば、誌面に穴が開く。誌面に載せない。
なら、佐野氏に支払う取材費や原稿料の約束はどうするかの思いも、編集者なら、頭をよぎったはずだ。
◇皮膚感覚としての記者倫理の欠落
「差別報道はいかん」を、頭ではともかく体で覚えていない編集者だと、原稿を通した方が気が楽と考えても、おかしくないのだ。この欄で私は先に、読売のiPS細胞臨床応用誤報問題で、「書く勇気」より、特オチを恐れない「書かない勇気」の方がよほど難しいことに触れた。差別報道を踏み留まるには、体で覚えた皮膚感覚としての記者倫理がなければならない。
残念ながら、今の朝日グループには、この編集者に限らず、こうした体で覚えたジャーナリズムの座標軸が失われてきているのではないか、と私には思えるのだ。編集者が座標軸を意識した上で、何か特別の考え・編集方針に基づき、敢えて原稿を載せることに踏み切ったとしたら、まだ救いがある。だが、「お詫び」の文章を読む限りそうした、断固とした方針があったことは伝わってこない。
実は、その方が今の朝日グループにとって、よほど深刻なことなのだ。何故なら、特定の編集者による特定の原因・考えなら、回復は早い。しかし、全身に拡がったガン細胞による免疫低下のような症状なら、よほどの名医でないと治せないからだ。
私の記事の報道弾圧の時もそうだった。誰かが権力者と取引でもしていない限り、読者の「知る権利」を踏みにじる記事の差し止めは起こらない。しかし、みんなが見て見ぬふりして、こうした記事をボツにすることを組織全体として容認した。
今回の問題は、河畠氏の処分によるトカゲのしっぽ切りや、若い記者の座学の強化でお茶を濁してはならないと、私は言いたい。昔、酔っ払い記者が熱っぽく語っていた記者の気概。それを鼻であしらうような組織では、また、マスコミ倫理を根本から踏み外すどんな問題が起きても不思議でない。
この出自差別報道を生んだ朝日グルーブの体質は、長年積み重なった組織上層部の派閥支配、それに伴う派閥人事・組織腐敗の深化にある。その是正に根本から踏み込み、ジャーナリズム・ジャーナリストの座標軸をしっかり再構築していかない限り、治しようのない問題だと、私には思えるからである。
?≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり) フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)の著者。