1. 週刊朝日、差別連載記事の土壌 「橋下出自報道」を考える

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2012年10月21日 (日曜日)

週刊朝日、差別連載記事の土壌 「橋下出自報道」を考える

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

週刊朝日の橋下徹大阪市長の出自を巡る「ハシシタ 奴の本性」との連載記事。週刊朝日はやっと重い腰を上げ、おっとり刀で謝罪のコメントを発表した。

しかし、差別報道がいかに人を傷つけるか。筆者は論外として、その痛みが週刊朝日編集者に分かっていたとは思えない。橋下氏が市長の立場で、朝日記者の質問拒否という手段に出たことが適当かは、議論がある。でも、怒りはよく理解出来る。改めて、この報道を生んだ朝日の土壌を考えてみたい。

権力者に対してはタブーを作らず丸裸にし、その人物像をあますところなく報道する。メディア本来の役割でもある。権力基盤を明らかにし、権力の暴走を止めるには、権力者の実像報道は不可欠だ。

この意見に、私は諸手を挙げて賛成する。しかし、いくら権力者相手でも、出自を巡る差別報道だけは違う。

◇差別の解消に逆行

何故なら、今でも出自に対して、いわれなき差別に苦しんでいる人は多い。今回の週刊朝日記事は、橋下氏やその家族に不快な思いをさせただけではない。こうした差別を助長し、差別に苦しむ一般の多くの人を否応なく巻き込んだ。少しづつでも差別の解消に向かって、これまで積み重ねて来た人々・社会の努力、営みも台無しにした。

もともとこの差別は、この国の遠い過去の身分制度に起因するとされる。本人に何の問題もない。にも拘わらず、生まれだけで区別・差別され、長年、人々の偏見が続いた。

しかし、最近はこうした地区にもマンションが建つなど、新住民との混住が進んだ。差別解消を求める運動とも相まり、地区を特定するような社会の意識も少しずつではあるが、解消して来ていると言っていいだろう。

確かに、「忘れ去ることだけでいいのか」は、人によって意見の違うところだ。だが、この週刊朝日報道は、差別問題があることさえ知らない若者にまで、改めて何の根拠もない差別の存在を知らしめた。忘れかけて暮らそうとしていた多くの若い被差別者をも、傷つけてしまった。その罪はあまりにも大きい。

◇知識・認識の欠落が根底に

実は、朝日では、これまでも無神経な差別記事で人々を傷つけ、相手や被差別団体から抗議を受けたことは少なからずあった。多くの場合は、故意と言うより、差別問題での知識・認識に乏しい若い記者が、不注意で何気なく書いた記事が問題となるケースが多い。

拙書「報道弾圧」で詳しく書いたように、私は、無駄な公共事業の典型・長良川河口堰報道で、官僚のウソを暴く報道を理不尽にも止められた。編集局長に異議を申し立てたところ、報復で記者職を剥奪。5年以上、名古屋本社の広報室長を務めていた。

広報室長とは、読者の苦情を一手に引き受けるトラブル処理係だ。被差別団体からの抗議は、厳しい。書いた若い記者を表に出すと、相手も激高し、火に油を注ぐ。非は書いた方にある。

このような差別記事の抗議は、私が平身低頭し、体を張って対処するしかなかった。正直辛いものはあったが、抗議してくる人の気持ちはよく分かっていたつもりだ。

◇無責任体質と「苦情処理」係り

しかし、記事を書いた当の記者が、それをどこまで深刻に受け止めていたかは分からない。私は、編集局長への異議申し立てで左遷され、飛ばされたように、広報は窓際族のポストでもある。

社会部長など直接の上司にはへつらっても、抗議への対処は、「窓際のおっさん」に任しておけばいい、としか考えない若い記者が多かったような気がする。

私が何とか相手の納得を得て席に戻っても、礼はおろか、結果さえまともに聞いてこないことが大半だったのだ。上司も大騒ぎになれば、自分の責任になる。広報が穏便に解決してくれたら、それでいいとしか思っていない人も少なからずいた。

もちろん、抗議に同席する真面目な上司もいるにはいた。でも、多くは逃げてしまい、広報任せだったのだ。

これで若い記者に、差別された者の本当の痛みが実感として植えつけられるはずはない。橋下市長会見のテレビ報道を見ていると、報道責任を問われた朝日の若い記者が言葉に詰まる場面は何度も見られた。

確かに厳しい。でも、「個人見解」との前提で私なら、「許される報道ではない」とはっきり答える。それがジャーナリストしての基本的な見識だと思う。もし、社内に戻って大目玉を食らうなら、それはそれでいいではないか。

私が広報にいた頃の若い記者は今、デスクや部長など管理職年齢になっている。確かに、朝日と朝日新聞出版は別組織、編集権も別との考えもある。しかし、100%出資子会社。幹部の人事権も朝日が掌握、出向者も管理職に居る以上、その言い訳は苦しい。

何故、故意とも言えるこんな作家の差別記事が編集者を素通りして、週刊朝日の誌面に掲載されたか。朝日を離れた私には、詳しい事情・真相は知りようがない。

でも、差別された人の痛みが実感として分からず、ジャーナリストとしての基本的な座標軸を持っていない人が編集に携わっていたのではないか。私には、そんな思いがする。

筆者紹介 吉竹幸則(よしたけゆきのり) フリージャーナリスト。元朝日記者。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)