新聞やテレビが報じなかった判決後の事件、特定秘密保護法の判決言い渡し後に法廷で何が?谷口豊裁判長が原告に「これはオフレコにしてほしい」
18日に東京地裁で判決の言い渡しがあった特定秘密保護法違憲訴訟で、メディアが報じなかった「密室」での事件があった。既報したように、判決そのものは原告が敗訴した。
判決が言い渡される午後3時を過ぎたころ、法廷正面の扉から黒服に身を包んだ3人の裁判官が現れて、所定の席に着いた。とはいえ、判決言い渡しの前に司法記者クラブの記者が画像撮影を行う段取りになっている。テレビのニュースなどで法廷の内部が映し出されることがあるが、その画像撮影は判決の前に行い、判決の瞬間そのものを記録に残すことは厳しく禁じられている。
改めて言うまでもなくこのような理不尽なルールがあることは、原告も知っていた。それでも原告の豊田直巳氏ら3人の映像ジャーナリストが裁判所に対して事前に撮影申請を行った。しかし、谷口豊裁判長は、それを認めなかった。記者クラブに所属する記者に対しては撮影を認めたが、フリーランスの映像ジャーナリストについては認めなかったのだ。
原告であるわたしは、原告たちの中にこの問題について釈然としない思いで出廷している人が多いことを知っていた。
■記録に残すに値する差別事件
谷口裁判長を中に2人の判事が狛犬(こまいぬ)のように両側に並び判決法廷の段取りが整った。記者クラブの記者による撮影が始まる一瞬のすきをついて原告席から元朝日新聞記者の吉竹幸則氏が立ち上がった。そして谷口裁判長に発言を求めた。
吉竹氏は、フリーランスに対しては撮影を許可しなかった理由を説明するように求めた。
谷口裁判長は、判決を言い渡した後にその理由を説明すると答えた。
これに対して吉竹氏は、撮影が終わってから説明を受けても画像記録は残らないので意味がないと反論した。
谷口裁判長は、再び判決後に説明すると繰り返した。
吉竹氏に続いてやはり原告で元読売新聞記者の山口正紀氏が立ち上がり、裁判所の差別的な扱いに対して抗議の念を現すために、記者クラブによる撮影の間、退席すると宣言して、傍聴席のエリアにある出入口へ向かった。山口氏に続いて5人の原告が退廷した。
張り詰めた空気の中で裁判所の書記官が、記者クラブの記者たちに撮影に入るように指示した。2分間の撮影の間、3人の裁判官は石像のように動かなかった。表情も変えなかった。
この後、谷口裁判長は原告を敗訴させる判決を読み上げた。判決の言い渡しでは、通常は主文しか読まないが、谷口裁判長は、判決要旨を読み上げた。
判決の言い渡しを終えると、3人の裁判官は席を立って法廷正面の「ほら穴」の中へ一列になって戻っていった。法廷から彼らの背中へ向けてブーイングが起こったことは言うまでもない。
書記官が法廷を埋めた傍聴者に退席を促した。しかし、納得できないのか、なかなか席を立とうとはしない。が、やがてぼつぼつと退廷が始まった。最後まで残ったのは、三一書房のOBで編集工房朔の三角忠氏だった。三角氏は席を立つ気配がない。やがて複数の職員が三角氏を取り囲んだ。それでも三角氏は平然と動かない。
どれだけ時間が経過したかは不明だが、三角氏はようやく腰を上げた。
再び三人の裁判官が「ほら穴」から現れた。着席してしばらく無言だったが、谷口裁判長は、「差別」理由の説明はおこなわないと前言を翻した。吉竹氏らの行動により信頼関係が損なわれたのが、説明しない理由なのだと言う。訴訟の最終段階になって、原告に裏切られたのが許せないと告白した。ただし、「これはオフレコにしてほしい」と念を押した。
「オフレコにしてほしい」と言えば、オフレコにしてもらえると考えているらしい。原告は繰り返し説明を求めたが、結局、谷口裁判長は「差別」理由を説明しないまま法廷を去った。
逮捕されたり起訴されても被疑者がその罪状を知ることができない異常な実態を正当化する特定秘密保護法に対して、はっきりと「違憲」を宣告する独立性と勇気がない裁判官に、われわれ国民は人を裁くというただならぬ特権と高給を与えてもいいものだろうか。司法が権力構造の歯車として組み込まれていると考えざるを得ないのである。疑問が多い裁判だった。
新聞やテレビが、判決後のこの事件を記録し、報じなかったことは、日本のジャーナリズムの立ち位置をよく示している。これではダメなんだ。