1. 第2次真村裁判、福岡高裁の判決を検証する 仮処分申立事件の「決定」と高裁判決の間にある著しい論理の矛盾 同じ判事の筆とは思えない

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2012年06月06日 (水曜日)

第2次真村裁判、福岡高裁の判決を検証する 仮処分申立事件の「決定」と高裁判決の間にある著しい論理の矛盾 同じ判事の筆とは思えない

福岡地裁で敗訴した真村氏は、福岡高裁へ控訴した。控訴審の判決を下したのは、仮処分申立事件の異議審で真村氏を完全勝訴させる決定を下した木村元昭判事だった。当然、真村氏は木村裁判長が仮処分申立事件と同じ判断を下すものと考えていた。「決定」と「判決」の内容に一貫性がなければ、木村判事が自己矛盾に陥ってしまうからだ。

が、結論を先に言えば、2012年5月25日に下された福岡高裁判決で、木村裁判長は仮処分申立事件で自らが下した決定とは大きく異なる判断を示したのである。さらに驚くべきことに、2007年6月に真村氏を完全勝訴させた第1次訴訟の福岡高裁判決(同年12月に最高裁で判決が確定)をも否定する内容だった。

判決の詳細を紹介する前に木村判事の異動歴にふれておこう。判事の人事は最高裁が決めている。

木村判事が真村氏を完全勝訴させる仮処分事件の「決定」を下したのは、2000年1月15日である。その2週間後の2月1日に、木村判事は那覇地裁の所長として沖縄へ赴任した。那覇地裁には2011年9月23日までの約1年半在籍する。

その後、2011年9月24日付けで福岡高裁の部総括判事に就任するために福岡へ戻った。

一方、真村氏はこの年の3月15日に第2次訴訟の地裁判決(本訴)で敗訴した。そこで福岡高裁に控訴する。ところが高裁では、控訴審の当初から裁判長の交代が予告されていたという。事実、秋になって交代が行われた。

真村裁判の新しい裁判長に就任したのは沖縄から福岡へ戻って部総括判事になったばかりの木村元昭判事だった。わたしは木村判事が裁判長に就いたことで、真村氏の逆転勝訴を確信した。仮処分申立事件で木村判事が下した判決が頭にあったからだ。

ところが2012年5月25日に下された判決は、わたしの予想とはまったく異なった内容だった。真村氏の地位を保全しなかっただけではなく、地裁では敗訴しながらも認められた約870万円の損害賠償金の支払いすらも必要なしと判断されたのである。読売にとっては、願ってもない判決だった。

同じ判事が同じ事件で下した「決定」と「判決」がまるで正反対の内容になっているというのも奇妙な話である。異なった理由を丁寧に説明していればまだしも納得できるだろうが、実際は判断を変えるに至ったプロセスと理由は判決文からはまったく読み取れない。そのために結論だけが飛躍しているような印象を受ける。

具体的にどのように判断が変わったのかを検証してみよう。

●営業不振について

真村氏の営業成績が悪かったことは、すでに述べた通りである。真村氏自身もそれを認めている。読売はそれを改廃理由のひとつにしてきた。

《仮処分事件の決定》【引用】

債権者(真村)は、平成13年12月7日から平成20年1月15日ころまでの間は、債務者(読売)から、増紙業務は不要であるとされた上、筑後読売会への活動には不参画とされたため、同会を通じたセールス会社への新規購読者勧誘業務の委託、拡材の共同購  入、野球教室等のイベント開催等の組織的な増紙活動を行えなくなったほか、債務者担当員の訪店を受けられない、各種イベントチケット等の特別景品の注文は可能な限り辞退しなければならないとの取扱いを受けていた。

 (略)債務者(読売)は、平成20年1月1月15日以降は、債務者担当員の債権者に対する訪店を再開し、増紙業務を依頼するとした上で、セールス会社への新規購読者勧誘業務の委託、筑後読売会の活動への参画等について協力する姿勢を示しているが、前訴(第1次訴訟)において、債務者(読売)の敗訴が確定した以上、債務者自身がそれまで前期1(4)ウのような措置(黒薮注:「死に店」扱い、あるいは「飼殺し」などを意味する)を取っていたことからすれば、判決の趣旨に則し、それまでの債権者の不利益及び販売成績を回復させるために、債務者(読売)主導によるセールススタッフの派遣、補助金の増額など、より積極的・具体的な支援を行う必要があったというべきであるところ、そのような支援は何ら行われていない。

 (略)以上のとおり、債務者自身が、平成13年12月7日から平成20年1月15日ころまでの間、債権者に対し、増紙業務は不要であるとした上で、通常であれば新聞販売店が販売活動を行う上で利用できる各種手段を利用できないといった措置を取り、また、それ以降も、上記措置を撤回しただけで、何ら積極的・具体的な支援は行っていなかったのであって、上記のような債務者の対応が前記YC広川の業績悪化・成績不良の主要な原因となっていたことは明らかというべきである
引用部分の重要点をまとめると次のような趣旨になる。

1、真村氏は店主の組織である筑後読売会へ参画させてもらえなかった。同会は新聞拡販に関する業務の一部を代行しているために、真村氏はセールス団を依頼する等の業務に支障をきたした。

2、前訴が進行していた間、「死に店」扱いなどで真村氏が被った被害を回復させるために、読売はセールス団の派遣や補助金の増額など、「より積極的・具体的な支援を行う必要があった」が、実際には、支援は何ら行われていない。

3、読売は増紙業務を不要としていた。また、「新聞販売店が販売活動を行う上で利用できる各種手段を利用できないといった措置」を取っていた。

4、「1」から「3」のような実態が、「YC広川の業績悪化・成績不良の主要な原因となっていたことは明らか」である。従って成績不良は、真村氏を改廃する理由にはならない。

ところが高裁判決では、仮処分事件の「決定」をことごとく否定する判決が下されたのである。同じ判事が書いた判決であるとは、にわかに信じがたい。

たとえば「死に店」扱いに関する見解の変更である。YC広川に対して「死に店」扱が行われていた事実は、第1次裁判の判決でも確定している上に、木村裁判長自身も仮処分事件の「決定」で、「死に店」扱いを成績不良の一因として認定した。ところが高裁判決では、「死に店」扱いが行われていた事を読売側も認めていることを記した上で、次のように読売のために弁解している。

【引用】

しかしながら、控訴人(真村)自身、平成14年1月以降、取引関係で顕著な差異が生じたのは、筑後読売会への参加ができなくなったことくらいてある旨供述している上、樋口(仮名)は、その後も平成14年7月ころまで、YC広川店への訪店を継続し、同年4月ころには、増紙業務に関連して顧客らに配布する野球チケットを持参し、その後も、平成15年4月には、控訴人(真村)に対し、業務報告書の提出、営業結果の報告を求めるなどしており、控訴人に対して、販売拡張活動を行うよう促していたといえる。また、被控訴人は、控訴人に対し、新聞の供給を継続するのみならず、各種の補助金も交付しており、控訴人に対し、上記のとおり申し渡したような合売店としての取扱い(黒薮注:新聞社の側から新聞拡販の要請をしない事)をしていない。

 (略)控訴人(真村)も、平成14年3月まで、筑後読売会に会費を支払っており、同年4月ころからは、控訴人が筑後読売会の活動に参加していなかったことは争いがないものの、樋口メモ(黒薮:「死に店」扱いなどを通告したメモ)を交付された平成13年12月ころから、直ちに控訴人が筑後読売会の

活動に参画できなくなっていたとも考えにくく、筑後読売会への 不参加が、被控訴人の死に店扱いによるものであるとも断じ難い(そもそも、筑後読売会の活動に参画できなかったことが、拡材の購入、セールススタッフの派遣や補助金の交付等の販売拡張活動にさほどの影響を与えるものでないことは、後述のとおりである)。

 (略)なお、被控訴人は、平成20年2月8日付けの書面により、控訴人に対し、樋口メモの「増紙業務お願いしない」との点は撤回する旨通知しているが、上記のとおり、被控訴人(読売)は、控訴人(真村)に対する増紙業務の依頼をしない等記載した樋口メモを交付しているものの、現実には、補助金の支払いもされ、イベントチケットの配布にも協力をしている。そうすると、「増紙業務お願いしない」との点を撤回する旨の上記通知も、前訴判決が確定しながら、控訴人と被控訴人との関係が改善されず、控訴人が増紙業務をしようとしないことから、被控訴人の立場を明らかにすることを示したものと解することが相当である。

 以上によれば、控訴人(真村)に対し、合売店のように、増紙業務が要求されない「死に店扱い」がされていたとは到底考えられない。
引用箇所の重要点をまとめると次のようになる。

1、「死に店」扱いはなされていなかった。販売拡張活動を行うように促していた。

2、読売は補助金も支給していた。

3、筑後読売会への不参画が「販売拡張活動にさほどの影響を与えるものでない」。

「1」から「3」を根拠に、営業不振の原因が真村氏の自己責任にあるとして、読売によるYC広川の強制改廃を正当と認めたのである。改めて言うまでもなく、木村裁判長は自ら下した仮処分事件の「決定」を、高裁判決でことごとく否定したのである。

真村氏の営業不振の原因について「決定」では、「死に店」扱いなど読売の差別的な販売政策にあると判断したのに対して、「判決」では、「死に店」扱いそのものがなかった上に、筑後読売会への不参画が販売拡張活動にさほ影響していないとまで断言したのである。