1. 真村裁判の福岡高裁判決、真村氏の全面敗訴、木村裁判長の相反する2つの判決文

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2012年05月28日 (月曜日)

真村裁判の福岡高裁判決、真村氏の全面敗訴、木村裁判長の相反する2つの判決文

5月25日に下された真村裁判(第2次)の福岡高裁判決は、言葉を媒体としてひとつひとつの事実を客観的に確認していく判決文のプロセスから程遠い内容になっている。日本の裁判所は、批判の対象になっている検察よりもより根深い問題を内包していると感じた。

真村氏の完全敗訴。判決を下したのは、福岡高裁の木村元昭裁判長である。第1次真村裁判の判決が2007年に最高裁で確定し、真村氏の地位が保全された半年後に、読売が真村氏の地位を奪った行為に対する批判は1行も見られない。それどころか真村氏を強制的に解任した読売の販売政策を全面的に是認している。大メディアに媚びた恥ずかしい判決文としか言いようがない。

実は、木村裁判長は2008年にこの裁判(本訴)と同時に、真村さんが申し立てた地位保全の仮処分命令の異議審(第2審)で、真村さんを完全勝訴させる判決を書いた判事でもある。

すなわち真村事件に関して、これまで2つの判決を下したことになる。既に述べたように、仮処分命令の第2審と25日に判決が下りた本訴の福岡高裁判決である。

わたしが最も驚いたのは、木村氏が書いた2つの判決がまるで別人の筆によるかのように結論が逆になっている点だ。しかも、読売の「押し紙」政策を認定した第1次真村裁判の福岡高裁判決までも否定している。

また、ジャーナリズムに対する敵意をむき出しにしている。訴外者であるわたしのウエブサイトを批判しているのだが、批判の前提としてわたしを裁判所で尋問するプロセスすらも踏んでいない。

幸いに2つの判決は、わたしの手元にあるので、準備が整った段階で、全文をネット公開したい。

まずは2000人ぐらいの方々に2つの判決を読んでいただいた上で、判決についての自分の意見を述べる予定だ。なぜ、わたしがこの判決を厳しく批判するのかは、2つの判決についての共通認識が読者の間に定着したうえで、明らかにしたい。

ちなみに判決は公文書であるから、個人情報に配慮した上で公開が許される。著作権違反にはならない。

裁判官は人を裁く特権を国から与えられている。一般の人は絶対に持ち得ないただならぬ特権である。つまり木村裁判長は自分の判断で、真村氏と彼の家族の人生を大きく左右する特権を持ち、それを行使したのである。当然、国家公務員としての責任も重い。と、なればそれを本格的にジャーナリズムの検証にかけるのは当然だ。

わたしは木村裁判長が国から与えられた特権を行使するにあたり、だった一度でも新聞販売の現場に足を運んで、自分の眼で事実を確認したのか疑いを抱いている。と、いうのも15年間、新聞販売の現場を取材してきたわたしの見解と木村氏の見解が大きく異なっているからだ。数年の情報収集で真実を見極められるほど、物事は甘くはない。まして書類・資料と向き合っているだけでは、事実は見えない。もちろんわたしは木村氏から、情報提供の依頼や取材の申し込みも受けたことはない。

その結果、新聞販売問題に関する中途半端な知識で判決を下したのだ。たとえば裁判所の「押し紙(偽装部数)」についての見解は、新聞経営者の伝統的な論理を真似ているに過ぎない。一般の人々は、偽装部数を指して「押し紙」と呼んでいるのである。これについては、ぜひ、ネット上で論争したいものだ。

「押し紙」つにての見解が誤っているから、「押し紙」回収業が一大産業として成り立つ異常事態に至ったのである。と、すればやはり異常事態という事実から出発して、それを解決する方向で判決を下すべきたった。

【木村裁判官の最近の経歴】

2005年 福岡地方裁判所部総括判事   (真村勝訴の仮処分判決)

2010年2月1日 那覇地方裁判所所長

2011年9月 福岡高等裁判所部総括判事(真村敗訴の福岡高裁判決)