憲法21条を無視した恐ろしい判決、裁判官の人事異動と不可解な判決?第2次真村裁判と木村元昭裁判官?
【10日付け記事の続編】
木村元昭裁判官が判決の中で示した真村久三さんの店主解任理由を順を追って整理すると次のようになる。
1、読売新聞販売店には「押し紙」が存在しない。
2、それにもかかわらず真村と彼の弁護団は、黒薮が書く「記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら」情報提供を行った。ただし、具体的にどのような情報を提供したのかは、明記されていない。また、何月何日付のどの記事を指しているのかも不明。
3、真村と弁護団は、「黒薮の上記記事等(?)の掲載を幇助した」わけだから、「その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害する」。
4、従って読売が、黒薮を「幇助」した真村を失職させる「正当理由の一事情として考慮し得る」。
念のために、再度、木村元昭裁判官が執筆した判決の問題部分を引用しておこう。
被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人(読売)が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない(かえって、控訴人は、平成13年には、現実には読者が存在しない26区という架空の配達区域を設けていたところ、これを被控訴人[読売]も了解していたと認めるに足りる証拠はない。)。
そうすると、控訴人において、被控訴人による違法不当な行為の存在を指摘することが容認される場合があるとしても、本件は、これに当たらないというべきである。 ? そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、たとえ控訴人自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る 。
読者は、引用した判決の記述を読んでどう感じられただろうか。随分、論理が飛躍しているという印象を受けなかっただろうか。
まず、読売新聞販売店に「押し紙」は存在しないと断定しているわけだが、「押し紙」をめぐる議論は、「押し紙」をどう定義するのかで大きく変わってくる。新聞社や喜田村洋一弁護士が主張してきた「押し紙」とは、押し売りの証拠がある新聞のことである。従って実際には、押し売りしていても、その証拠がなければ「押し紙」ではない。
これに対して大多数の人々は、販売店で過剰になっている新聞全般を指して、広義に「押し紙」と呼んでいるのだ。社会通念から単純に判断して、販売予定のない商品を仕入れるバカはいないので、残紙はおそらく押し売りの結果に違いないという推測に立って、「押し紙」と呼んでいるのである。
「押し紙」問題の本質は、この部分である。公称部数を偽っていることが最大の問題なのだ。
判決の論理が飛躍していると感じる原因は、「押し紙」についてのさまざまな考えが存在して、それが議論の大きなテーマになっている時代に、木村裁判官が、読売の優越的地位の濫用を認定した第一次真村裁判の判例を捻じ曲げたあげく、「押し紙」は存在しないと自分勝手に決め、それを前提にして、真村さんの解任理由にこじつけている点である。
木村裁判官の論旨からいうと、真村氏や弁護団が、取材の中でわたしに対して、「押し紙」の存在を主張し、情報を提供したことが「幇助」に該当することになる。かりに「押し紙」の存在を否定していたなら、「幇助」には当たらないことになる。
これは恐ろしい論理である。取材中の発言内容によっては、店主を解任しても許されることになる。憲法21条(1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。)は、取材中に自分の考えを述べる権利を保障しているはずだが。これでは、取材の中で「押し紙」の存在を肯定した者は、罰せられても仕方がないということになる。(続)