1. 過去の判例を我田引水に解釈 裁判官の人事異動と不可解な判決 第2次真村裁判と木村元昭裁判官

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2013年07月10日 (水曜日)

過去の判例を我田引水に解釈 裁判官の人事異動と不可解な判決 第2次真村裁判と木村元昭裁判官

下に引用したのは、第2次真村裁判の控訴審で、木村元昭裁判長が下した判決の核心部分である。読売によるYC広川(真村さん経営)に対する強制改廃を正当と認めた理由である。

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人(読売)が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない(かえって、控訴人は、平成13年には、現実には読者が存在しない26区という架空の配達区域を設けていたところ、これを被控訴人[読売]も了解していたと認めるに足りる証拠はない。)。そうすると、控訴人において、被控訴人による違法不当な行為の存在を指摘することが容認される場合があるとしても、本件は、これに当たらないというべきである。

 そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、たとえ控訴人自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る 。

ここに示した解雇理由には、いくつかの重大な問題が含まれている。わたし自身、本稿を執筆する段階で、これまでに自分が書いた読売関連の記事を再検証したわけではないので、断定的なことは言えないが、事実を踏まえずに頭の中ででっち上げた判決の可能性が高い。

まず、あらかじめ判決を検証する大前提をおさえておこう。真村裁判は1次と2次に区別される。1次は、2001年から07年。07年12月に真村さんの勝訴が最高裁で確定した。最高裁が店主としての地位を保全したのである。

その半年後、2008年の7月末に読売がYC広川に対する強制改廃を断行して第2次裁判となったのである。つまり、第2次裁判で検証対象になった時期は、2008年1月から7月の7カ月である。この7カ月の期間に、真村さんが解任されるに値する不祥事を起こしたか否かが、法廷で争われたのである。

◇具体的にどの記事を指しているのか?

まず、第1に問題になるのは、次の記述である。

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人(読売)が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない

木村裁判官が言う「黒薮の記事等」とは、具体的にどの記事を指しているのか分からない。2008年1月から7月までの間に公表された記事ということになる。木村裁判官は、明確に記事を特定すべきだった。少なくとも、証拠として読売が提出した記事の号証を示すべきだが、それも見当たらない。

この点については、現在、最高裁に情報公開請求のかたちで問い合わせているので、開示された時点で、追及を再開したい。第3者の裁判の判決で、名指しで誹謗中傷されたわけだから、当然の対処である。

◇『26区』問題の蒸し返し  

第2の問題点は、既に真村さんの地位保全が確定した第1次裁判の判例を持ち出し、我田引水に解釈を捻じ曲げ、それを根拠に改廃理由に認定していることである。(括弧)でくくった次の記述である。

(かえって、控訴人は、平成13年には、現実には読者が存在しない26区という架空の配達区域を設けていたところ、これを被控訴人[読売]も了解していたと認めるに足りる証拠はない。)

26区というのは、「押し紙」(偽装部数)を事務処理するために、真村さんがパソコン上に設置した架空の配達地区である。新聞の商取引では、「押し紙」が存在しないことが暗黙の了解になっているので、帳簿上に架空の配達地域と読者を設け、そこに新聞を配達しているかのように偽装して経理処理をすることがある。真村さんがこの方法で「押し紙」の処理(虚偽報告)をしていたことは事実である。

しかし、1次裁判の高裁判決(最高裁が認定)では、この「26区」問題について、次のように読売を批判しているのだ。

しかしながら、新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。(略)

このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである

第1次裁判の高裁判決では、「26区」の問題は、真村さんよりも、むしろ読売の側に責任があると判断しているのである。最高裁も、この判例を認定している。ところが、木村元昭裁判官の判決では、十分な検証もしないまま、真村さんに非があるかのように、変更しているのである。

最高裁の判例を変更することが悪いとは言わない。しかし、変更するためには、十分な検証作業が必要ではないか。

それに第2次裁判の目的は、2008年1月から7月の限定された時期に、真村氏を解任する正当な理由があったか否かを検証することである。と、すれば、「26区」問題が、第2次裁判で持ち出されていること自体が不可解だ。

◇ 「押し紙」は本当に存在しないのか?

なお、判決は、「押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない」と述べているが、「押し紙」の定義を曖昧にして、このような論理構成は成り立たない。販売店の店舗で過剰になった新聞を「押し紙」と呼ぶのか、それとも新聞社が販売店に押し売りした証拠がある新聞を意味するのかで、全体像が異なってくる。

とはいえ、「押し紙」の有無については、まず、最初に自分の目で現場を見ることから考察すべきだろう。その意味では、次のサイトなどは随分参考になるのではないだろうか。日本の新聞業界の実態を如実に撮影している。(続)