1. 真村訴訟で生まれた恐怖の判例 取材に応じる人がいなくなる可能性も 

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2013年06月22日 (土曜日)

真村訴訟で生まれた恐怖の判例 取材に応じる人がいなくなる可能性も 

21日付け「黒書」で報じたように、第2次真村訴訟が読売の完全勝訴で終わった。裁判は、最高裁が真村氏の上告を棄却するかたちで終結した。

真村訴訟は、2001年に始まった。当時、YC広川(福岡県)の店主だった真村久三さんに対して、読売が配達地区の一部を読売に返上するように求めたのが発端だった。もともと真村さんの持ち部数は約1500部と少なかったが、読売の提案を受け入れると、約500部も減ってしまう。200万円の減収になり、販売店経営が圧迫される。

後日判明したことであるが、返上した地区は、幅広く新聞ビジネスを展開する?有力店主?の弟が経営する隣接地区のYCへ譲渡する予定になっていた。

真村さんは、読売の提案を断った。それを機に読売と係争関係になり、訴訟へと発展したのである。第1次真村訴訟の間、YC広川は飼い殺しの状態にされた。それでも真村さんには経営の才覚があったので、なんとか経営を維持した。

第1次裁判は、真村さんの完全勝訴だった。地裁から最高裁まで真村氏が勝訴した。しかも、福岡高裁では、画期的な判例が生まれた。裁判所が読売による優越的地域の濫用を認定したのである。たとえば、「押し紙」については、

新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

(福岡高裁判決の全文=ここをクリック)

◇第2次真村訴訟 

最高裁で真村さんの勝訴が確定したのは、2007年12月である。翌年から読売は、わたしに対する攻撃を開始する。2008年2月から1年半の間に3件の裁判を仕掛け、約8000万円のお金を請求してきたのである。

真村さん勝訴に励まされて「押し紙」の受け入れを断ったYC久留米文化センター前の平山春男店主に対しても、販売店改廃を断行し、裁判を起こした。

一方、真村さんに対しては、1次裁判の判決が確定した7カ月後に、取引契約を更新しないかたちで、一方的にYC広川を改廃したのである。

真村さんとしては、再び裁判を起こさざるを得ない。7カ月前に最高裁が地位を保全したのであるから、当然の対処だった。かくして第2次裁判が始まったのである。    第2次裁判は、仮処分申立と本訴の2本だてで行われた。 ? 仮処分申立は1審から4審まで、すべて真村さんの勝訴だった。しかし、2011年3月15日、福岡地裁は本訴裁判で真村氏の訴えを棄却した。読売が断行した強制改廃を正当と認めたのである。福岡高裁も読売に軍配を上げた。

ちなみに福岡高裁で判決を下したのは、仮処分申立の第2審で真村さんを勝訴させた木村元昭裁判官である。木村裁判官は、仮処分申立の第2審で真村さんを勝訴させた後、那覇地裁へ赴任した。

ところがわずか1年あまりで福岡へ戻り、福岡高裁の第2次真村裁判の裁判長に就任した。そして、仮処分の2審とは正反対の判決を下したのである。

(黒薮著『新聞の危機と偽装部数』の第6章に詳細=ここをクリック)

◇取材に応じると解雇理由に?

司法が真村さんを敗訴させた重要理由のひとつは、読売がみずから報じたように、真村氏がわたしの取材に応じて、資料を提供するなど、ジャーナリズム活動を「幇助」したというものである。

これは言論弾圧につながるきわめて危険な判例である。今後、なんならかのトラブルに巻き込まれた会社員が、報道機関へ告発した場合、解雇が正当とみなされる判例である。言論の自由にかかわる事柄だ。

この判決を認定したのは、次の4人の判事である。

岡部喜代子

大谷剛彦

?寺田逸郎

?大橋正春

率直な疑問として、4人の判事は、真村裁判の経緯を正確に把握し、憲法でも保証されている言論活動の自由を尊重した上で、第2次真村裁判の高裁判例を認定したのだろうか。とてもそうとは思えない。資料を十分に理解していない可能性もある。

第一、真村氏が提供した資料とは、具体的に何であるかを知っているのだろうか?わたしが真村さんから得た資料のほとんどは、裁判所へ提出されたものである。つまり裁判所の閲覧室へ行けば、誰でも閲覧できる公開資料なのだ。

◇自由人権協会

この裁判の読売側代理人は、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士らである。同協会は、横浜事件についての声明を出し、喜田村氏もそれに署名しているが、代表理事がかかわった裁判で、言論封殺につながりかねない重大判例が成立した事実をどのように考えているのだろうか。近々に質問状を提出したい。