だれが後藤健二氏をイスラム国へ送り込んだのか、調査の前に立ちはだかる特定秘密保護法の壁
イスラム国報道でメディアの自主規制が露骨になっている。それが高じて、タブーになった領域もある。その典型例は、後藤健二氏と湯川遥菜氏をめぐる事件の背景である。真実は何か?
両氏が巻き込まれたテロ行為に対する批判と追悼とは別に、どのような経緯で事件に巻き込まれたのか、事実を明らかにしなければならないが、多くのメディアがこの作業に尻込みしている。
その背景に最高罰・禁固10年の特定秘密保護法の存在があるのではないか?同法は、基本的には軍事立法であるから、軍事に関連する情報の大半は特定秘密に指定されている可能性が高い。したがって日本政府が「人道支援」を行った紛争地帯で起きた誘拐・殺人事件を検証すると、日本政府や有志連合との接点が浮上してくる可能性がある。
まして湯川氏の場合は、(株)民間軍事会社の設立者である。単なる戦争マニアではない。同社の顧問には、自民党の元茨城県議が就任しているありさまだ。湯川氏と元航空幕僚長・田母神俊雄氏の懇意な関係を示す写真も多数存在する。
ちなみに安部内閣は、昨年の4月に閣議決定により、武器輸出を原則禁止から、条件付きで認めることを取り決めた。こうした軍事大国化の流れの中で、民間企業が海外の紛争地帯で、戦争ビジネスを展開できる温床ができあがったのである。
したがって湯川氏に関する真実に迫ると、特定秘密保護法に抵触する可能性が出てくる。メディアが報道を自粛して、湯川氏を単なるテロの被害者としてしか報じないゆえんではないか。
◇米軍も不可能な救出を後藤氏ができるのか?
後藤氏についても、優れた戦場ジャーナリストという報道に終始している感がある。しかし、湯川氏を救出するためのスケジュールに不自然な点があることが、一部のブログで指摘されている。次のブログである。
■後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係
わたしはこのブログの内容を全面的に肯定するわけではないが、少なくとも次の箇所は、調査する必要があると考えている。
昨夜(1/20)のテレビ報道を見ていると、後藤健二は、湯川遥菜が8月にシリアでイスラム国に拘束された件について、自身が責任を感じており、イスラム国に潜入して身柄を救出する準備を進め、10月下旬にそれを実行している。
10月22日にトルコに向かい、23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、25日に国境を越えてイスラム国の首都であるラッカに向かっている。帰国予定は10月29日だった。29日に帰国ということは、28日にイスタンブールから飛行機に乗らなくてはいけない。
テレビ報道でのトルコのコーディネーターの証言だと、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤健二に頼まれ、本人の携帯電話を直に渡されたと言っていた。ここから察知できることは、後藤健二による湯川遥菜救出の行動がきわめて短期の計画だったということだ。25日に国境を越えてシリアに潜入し、27日には再び国境を超えてトルコに戻っていなくてはいけない。
2泊3日の行程。つまり、後藤健二は何も事前に情報のないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、本人の主観からすれば、湯川遥菜の身柄を引き取りに行ったのだ。現地で時間をかけて捜索するのではなく、調整した約束どおりに素早く身柄を引き取って戻ってくる予定だったのだ。
2泊3日の予定でイスラム国に入ったとすれば、「イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、本人の主観からすれば、湯川遥菜の身柄を引き取りに行った」可能性が高い。
日本政府が当時、イスラム国とどのような折衝をしていたのかは、外務省所管の独立行政法人「JICA」に勤務する後藤氏の妻に、イスラム国から身代金の要求があったことなどを除いて、ほとんど公表されていないが、このあたりの事情に関する情報も特定秘密に指定されている可能性がある。
湯川氏の居場所があらかじめ分かっていたから、あるいは湯川氏のもとに案内してもらう事前約束があったから、2箔3日の予定になったのではないか。まったく未知の土地で、米軍ですら探し出せない「捕虜」を1日で救出するのは不可能だ。
わたしは後藤氏が誰かから依頼されて、湯川氏を引取りに行った可能性が高いと考えている。単独の行動ではない。誰が後藤氏を、イスラム国へ送り込んだのかを解明する必要がある。しかし、その前に安倍内閣が昨年末に施行した特定秘密保護法の壁が立ちはだかっている。情報開示を求めると、逮捕されかねない。