元号と日本人のメンタリティー、国際規格と整合しない、近代化の障害に
4月1日に新元号が発表された。
「令和」である。
マスコミ各社は、天皇制や平成時代の回想に焦点を当てた報道を活発化させてきた。これから新天皇の即位まで、メディアのスタンピード現象がはじまるだろう。確実に皇室報道が過熱する。
天皇制度を肯定する考えの人々が、依然として多数を占めている情況の下で、報道もそれに迎合しているわけだが、ジャーナリズムは天皇制についても新しい視点を提供するべきだろう。ステレオタイプではこまる。
国際的に見て、元号を採用している国はほとんどない。韓国の金王朝ですら、元号などは採用していない。
◆国際規格と整合しない
元号に関する問題は複数あるが、便宜上の問題としては、グローバリゼーションが進むなかで、国際規格と合わなくなっている事情がある。現在の世界は、西洋歴が国際規格になっているのだ。そこに元号が混入してくると、書類などを作成する際に、数字を誤植するリスクが高くなる。
しかも、困ったことに日本で発行される公文書には、その大半で元号が使われている。裁判所の書面はいうまでもなく、日常生活で使う証書類も元号が使われる。これでは特に外国人が混乱するのではないか。
日本の歴代内閣は、新自由主義=構造改革のプロセスでは海外とのハーモナイゼーションを念頭に、海外派兵の制度や裁判員制度などを導入したが、肝心の歴史区分の国際規格については、変革しようという意思がない。日本が世界の中心だと勘違いしているのかも知れない。
◆国民主権とは相容れない
元号の第2の問題は、主権を国民に与え、しかも、議会制民主主義を採用している国で、元号を定めること自体が矛盾している点だ。日本国憲法は、象徴としての天皇は明記しているが、元号を制定することまでは規定していない。
が、元号の制定があたりまえであるかのような世論誘導がメディアを通して形成されている。当然、何らかの政治的意図がある可能性が高い。結論を先に言えば、それは天皇を父として崇めるメンタリティーを広く浸透させることで、国家の結束を強めようというものだろう。グローバリゼーションの時代にはそぐわない前近代的な思想だが、このような個人崇拝の思想は、地球規模でみるとまだ克服されていない。特に発展途上国に多い。
その典型例が東アジアでは朝鮮と日本である。これら2つの国は、国家をあげて個人崇拝を宣伝しているが、朝鮮はさすがに元号までは制定していない。
「社会主義」の理念に矛盾するからだろう。
興味深いことに、TOEFL(英語検定の一種)のアジア・ランキング(2009年)を見ると、日本は30カ国中28位である。朝鮮は18位。朝鮮が最下位だった時期もある。これは何を示唆しているのか?メンタリティーの近代化と国際化が遅れている証にほかならない。