1. 野党共闘の何が問題なのか、保守2大政党制の舞台で演じる壮大な茶番劇

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2018年09月04日 (火曜日)

野党共闘の何が問題なのか、保守2大政党制の舞台で演じる壮大な茶番劇

有田芳生参院議員が、8月29日に立憲民主党の沖縄県連会長に就任した。沖縄戦で大変な被害を受け、その後、米軍基地の問題で米国と対峙してきた沖縄の「戦士ら」を指導する立場になったようだ。

立憲民主党が脚光を浴びたのは、改めていうまでもなく、「希望の党」の騒動で民新党が分裂した時期である。が、政党支持率は、下降傾向にある。この3カ月を見ても、5.2%、4.7%、4.6%(時事)と下降を続けており、近い将来には3%、あるいは2%のレベルになるのではないか。

広義「しばき隊」との関係も刻々と輪郭を鮮明にしはじめている。

 

◆1993年の小沢一郎

 筆者は、広義の旧民主党やその前の新進党などがもたらした政治混乱の責任は極めて重いと考えている。

旧民主党派の議員の何が問題なのかを検証するためには、1993年まで政治史をさかのぼるのが効率的だ。とりわけ93年から、小泉構造改革へ至る時期に焦点をあてると分かりやすい。幸いに政治学者の渡辺治氏が、『構造改革政治の時代-小泉政権論』(花伝社)の中で、このあたりの動きを客観的に解説している。それを参考にしながら、概略を述べておこう。

1993年は、小沢一郎氏が自民党を飛び出して野党による連合政権を作った年である。なぜ、小沢氏が自民党と絶縁したのかは、あまり明快には報じられていないが、実はこの点こそが最も肝心なのだ。

飛び出した理由は、構造改革=新自由主義の路線に、当時の自民党があまり乗り気ではなかったからだ。自民党の集票田である地方の事業主らが、そのしわ寄せを受けるからだ。自民党は、いわゆる公共事業の利権がらみで地方を潤す従来の路線からの脱却には積極的にはなれなかったのだ。

そこで小沢氏が自民党を飛び出して、構造改革=新自由主義を叫びはじめたのだ。これに対して財界がエールを送った。財界としては、グローバリゼーションが進むなかで、構造改革=新自由主義の導入を強く希望したのだ。

渡辺氏の著書によると、自民党は「政権の座から滑り落ちた直後、財界は『無情』にも、それまで毎年行ってきた、120億円にのぼる自民党への献金斡旋を中止してしまった」。

つまり財界は自民党よりも「小沢派」を支持したのだ。

 

◆構造改革=新自由主義路線と小選挙区制

しかし、ここから自民党の巻き返しが始まる。社会党に近づき村山政権の下で、構造改革=新自由主義の政策に着手したのである。この時期に小選挙区制が導入された事実に着目しなければならない。つまり保守の2大政党が競い合うかたちで、構造改革=新自由主義の導入を進めていく政治体制が確立されたのである。

 村山内閣を引き継いだ橋本内閣の時代から、自民党は本格的に構造改革=新自由主義へ踏み出した。当時、財界が2つの勢力をはかりにかけていたことは言うまでもない。

しかし、橋本内閣の評判はよくなかった。実際、1998年の参院選で大敗した。これを受けて、旧来の自民党政治と路線変更の狭間でゆれる議員らが台頭してきた。それが小渕、森といった議員である。彼らは旧来の方針に未練があるので、なかなか新路線に踏み出せない。

マスコミは構造改革=新自由主義の支持者であるから、改革をちゅうちょしている森首相がメディアでバッシングされる現象が起こった。こうして「もたもた組」は排除され、小泉純一郎が彗星のように登場して、ドラスチックに構造改革=新自由主義を導入したのだ。ドラスチックな「改革」を平気で断行できる神経の持ち主であるから、首相の座を得られただけの話である。

財界がそういう冷酷な人間を必要としていたのだ。これが政治の力学なのだ。

ここに至るプロセスを見るだけでも、小沢氏にいかに重大な責任があるかが分かるだろう。

 

◆野党再編の繰り返し

小泉構造改革で日本がどうなったかは、改めて記述する必要はないだろう。国民の不満が噴き出して、2009年に民主党政権が誕生したのだ。が、その正体は、構造改革=新自由主義の推進者である。従って筆者は、最初から何の期待もしていなかった。

鳩山首相は、小泉構造改革がもたらしたひずみを、多少は修復した。一時的には、構造改革=新自由主義の政策を控えた。が、彼の後継者たちが、再び構造改革=新自由主義へ路線変更して、自民党に政権を返したのである。

この時期に小沢氏が、構造改革=新自由主義の路線を変更したという話は聞いたことがない。小選挙区制については、今も肯定論者のようだ。

 その後も「旧民主党」の議員は、野党再編を繰り返し、そこに維新などの新党も加わったが、基本的な構図としては、改憲問題を別にすれば、ほとんど同じ政策をかかげた2つの勢力が構造改革=新自由主義の導入を進めているといえるだろう。

唯一の変化といえば、「旧民主党」の評判がどんどん悪くなり、議員数が足りなくなり、共産党も巻き込まざるを得なくなったことだ。共産党も、小選挙区制の下では、選挙で苦戦を強いられるので、数合わせのために、彼らと共闘するようになったのだ。

それが共産党離れを招いている。さらに「しばき隊」と共闘するという信じがたい現象まで招いている。かつて「ニセ左翼」を批判していた党が、「ニセ左翼」に変質しているのだ。

◆沖縄で何を?

一体、枝野氏の立憲民主党は、何を目指しているのか? 有田氏は、沖縄で何を計画しているのだろうか?