1. 小泉親子のむなしい安倍批判と政治力学の原理、だれが日本の政治を舞台裏で牛耳っているのか?

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2018年04月17日 (火曜日)

小泉親子のむなしい安倍批判と政治力学の原理、だれが日本の政治を舞台裏で牛耳っているのか?

 加計事件や森友事件、それに自衛隊の日報問題など、深刻な事件の内側が次々と発覚するのを受けて、自民党関係者からも安倍内閣に対する批判の声があがり始めている。たとえば、小泉純一郎氏はAERAで次のように発言している。

「本件は首相案件」。嘘が次々と暴かれ、森友、加計疑惑が底なし沼になってきた。それでも居丈高に開き直る安倍晋三首相に「引き際だ」とついに引導が渡された。「本当ならとっくに辞めてなきゃいけないはず。なのに、バレている嘘をぬけぬけと今も言ってるなぁとあきれているんだよ、国民は――」。安倍氏の「政治の師匠」でもある小泉純一郎元首相の言葉だ。その思いの丈を週刊朝日に独白した。出典

また、小泉進次郎氏も次のように発言している。日経新聞から引用しよう。 

与党内で学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関する柳瀬唯夫経済産業審議官の説明に対する批判の声が広がっている。自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長は11日、都内で講演し「(柳瀬氏が)『記憶の限りでは』という注釈を付けないといけないのであれば『会っていない』と言い切ることはできるはずがない。理解できない」と厳しく批判した。出典

これらは歓迎すべき発言であると同時に、心配な部分もある。安倍首相が辞任して、次に登場することになる政治家を有権者がどう評価するのかという問題を考える時、有権者を「誤審」に導く危険性を孕んでいるからだ。

たとえば小泉進次郎氏が次期の首相候補になるとする。当然、マスコミは彼の斬新さをアピールするだろう。が、この人が首相になっても、結局は自民党政治を継承する可能性が極めて高い。その必然性はまず伝えない。

政策の方向性は、政治家個人の思想で決定されるわけではない。その時代を牛耳っている勢力が希望する路線を進むものなのである。それが政治の力学だ。従って現在の安倍政治も、究極のところでは財界の要望に応えているだけといえるだろう。逆説的に言えば、安倍氏が財界の要望に応えてくれる鈍感な人物であるから、首相に君臨できていのである。

このあたりの力学を理解していない人が多い。

◇野中広務、小沢一郎、維新、希望、民主

国民が政治力学に無知であるがために騙された例は過去に何度もある。たとえば野中広務氏である。彼は小渕内閣の時代に「影の総理」と呼ばれた実力者で、新ガイドライン、住民基本台帳法、盗聴法、国旗・国歌法など、その後、日本の軍事大国化の推進力となった法案を次々と成立させた。日本の財界が国境なきビジネス展開の中で、多国籍企業の防衛体制を構築することを望んでいたからである。自民党のスポンサーが財界であるから、海外進出企業のために海外派兵を可能にする方向性を取らざるを得なかったのだ。

ところが野中氏自身は、有名な護憲論者である。その結果、小渕内閣の時代に彼は、自分の思想とはかけ離れたことをやってしまったのだ。「言っている事と、やっている事が異なる」人間の典型だった。晩年に共産党に媚びを売り、その汚名を払拭しようとしたが責任は重大だ。

小沢一郎氏も同じだ。1990年代の初頭、小沢氏は政権交代を可能にする改革を売り物に脚光を浴びた。マスコミも、彼の斬新ぶりをPRした。ところが長い目でみると、彼は最初に新自由主義=構造改革を導入する方向性を打ち出した政治家だった。小選挙区制にも賛成した。こうした政策の徹底は結局、財界の希望だったのだ。自民党とほとんど同じ政策である。

さらに民主党政権についても同じことがいえる。民主党政権については、とりわけ朝日新聞が強い期待感を表明してPRした。が、民主党政権は一次的に新自由主義=構造改革のスピードを鈍らせたが、最後は、再びこの政策の熱心な推進派となり、自民党政権にバトンタッチしたのである。

日本人は、斬新さをPRされると簡単に騙されてしまう。維新の会の人気も希望の党の人気もまったく同じ現象だった。ロッキード事件の時代には、新自由クラブもあった。これらはすべて「ガス抜き」勢力であったことが現時点で分かっている。

◇ローマ帝国の時代にレーニンは登場しない

政治が混乱すると、必ず斬新さを売り物にした政治家が台頭してくる。国民もそれに騙される。そして結局は何も変わらないということになるのだ。

日本のマスコミは、政治の力学を理解していないから、いつも有権者が騙される。国策は、ほとんどの場合、政治家個人の思想で決定されているわけではない。ローマ帝国の古代にフィデル・カストロは登場し得なかった。