1. 野中広務の消えぬ汚点-新ガイドライン関連法、国旗・国歌法、改正住民基本台帳法、そして盗聴法

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2018年01月30日 (火曜日)

野中広務の消えぬ汚点-新ガイドライン関連法、国旗・国歌法、改正住民基本台帳法、そして盗聴法

野中広務氏が1月26日に亡くなった。享年92歳。同氏の際だったキャリアと言えば、改めていうまでもなく、1998年に成立した小渕恵三内閣の下で内閣官房長官として辣腕ぶりを発揮したことである。「影の総理」とまで言われた。

野中氏についての人物評は裾野が広い。野中氏が護憲派だったこともあって、最近は、共産党も野中氏を高く評価している。リベラル保守の人々の間では、おおむね評判がよく、その死を惜しむ声が多いのが実態だ。

しかし、筆者は、こうした評価には合意しない。小渕恵三内閣の下で、野中氏らは、後の軍事大国化に繋がる法律を次々と成立させたからだ。具体的には、新ガイドライン関連法案、国旗・国歌法、改正住民基本台帳法、盗聴法などである。こらの法律が成立した1999年の第145回通常国会を、作家の辺見庸氏は、「1999年問題」と命名し、歴史の転換点と位置づけている。

  僕の記憶では、首相が平気で有事法制について公言できるっていう雰囲気も、かつてなかった。今度の第145通常国会というのはすごい国会です。

  ところで、99年問題の中心は「君が代・日の丸」だけではないのだと思います。第145通常国会の柱は、むしろガイドライン関連法です。これに精神的な価値づけをしていく。これに付随して必要な諸法案を強引に通していく。すべてが地続きではありますが。もちろん国旗・国歌法も改正住民基本台帳法も個別に論じることはできるし、それはそれで間違いではないと思いますが、個々の樹木というより、森全体が深く病んでいるとみたほうがいい。とりわけ、ガイドラインとその関連法は安保条約の条文にもない対米軍事協力の項目を明文化し、米国による戦争に日本が自衛隊だけではなく官民挙げて関与することを決定づけています。憲法違反どころの騒ぎじゃない、この国のありようを本質的に変えています。(『私たちはどのような時代に生きているのか』)

日本の軍事大国化は、1990代の初頭からPKOという形で始まり、小渕内閣の時代にひとつの節目をむかえた。本格的な軍事大国化へ舵を切ったのである。憲法を擁護する後年の野中氏の態度とは相容れない方向性を野中氏らは打ち出したのであるが、この矛盾は政治力学の観点から説明がつく。

つまり政策は、必ずしも政治家個人の思想によって決まるのではなく、それよりもむしろその時代の経済を支配する者の意思で決まる原理があるからだ。グローバリゼーションの中で、多国籍企業を防衛するための海外派兵の体制を構築するのが、日本の財界の意思だった。それに野中氏らは応えたのである。と、いうのも自民党は財界に支えられている政党であるからだ。政治家個人の意思ではどうにもならないのだ。

しかし、軍事大国へ舵を切った小渕内閣の責任はあまりにも重い。

◇構造改革=新自由主義の急進派と漸進派

野中氏には、「鳩派」のレッテルが貼られているが、一体、「鳩派」とは何を意味するのだろうか。結論を先に言えば、構造改革=新自由主義の漸進派のことである。構造改革=新自由主義の導入に反対しているのではなくて、導入のスピードを抑制することをよしと考えている人々のことである。

このあたりの事情について、政治学者・渡辺治氏の『構造改革の時代-小泉政権論』を参考にして説明しておこう。もともと構造改革=新自由主義の導入を叫びはじめたのは、小沢一郎氏である。小沢氏は、構造改革=新自由主義を叫んで勇ましく自民党を飛び出し、野党による連立政権を打ち立てた。そして構造改革=新自由主義の導入を望む財界は、小沢氏らを支持した。

これに焦った自民党は、なりふり構わず社会党と連立を組んで政権を取り戻した。そして橋本内閣の下で、ようやく構造改革=新自由主義へ舵を切ったのである。しかし、橋本政権は評判が悪かった。国政選挙でも敗北した。この頃から自民党内で2つの勢力が対立するようになったのである。構造改革=新自由主義の急進派と漸進派である。構造改革=新自由主義を導入する点では両者とも一致したが、導入のスピードをめぐって対立が始まったのだ。

この(国政選挙の)敗北以来、自民党内には、構造改革は大枠で承認しながら、それがもたらす伝統的支持基盤の縮小・解体を公共事業投資や補助金などで弥縫しつつ推進するという漸進派と、それでは大企業に必要な構造改革の実行は望めないとしてその急進的実行を求める急進派とが台頭して対抗する構図がつくられた。最初に政権を握ったのは、漸進派連合に担がれた小渕恵三であった。(『構造改革の時代-小泉政権論』)

つまり野中氏は、漸進派だったということである。それゆえに後年、小泉首相と対立し、また、小沢一郎氏とも対立したのである。しかし、それは野中氏が構造改革=新自由主義の導入という自民党政治の枠を否定したことにはならないだろう。

漸進派にはメディアにより良心的なイメージが刻印されている。野中広務氏はいうまでもなく亀井静香氏や野田聖子氏などもそうである。しかし、彼らは伝統的なタイプの自民党政治の持続を主張しているだけであって、やはり自民党政治の枠からは、一歩も出ていないのである。

ちなみに、小渕内閣と森内閣の後、構造改革=新自由主義の急進派である小泉首相が登場して、ドラスチックに構造改革=新自由主義を導入し、格差社会を生み出していったのである。こうした流れを止めるためには、自民党内に止まっていてはダメだった。このあたりが野中氏の限界だったのでは。