1. 希望の党・小池代表が辞任、まったく機能していなかった日本のジャーナリズム

日本の政治に関連する記事

2017年11月16日 (木曜日)

希望の党・小池代表が辞任、まったく機能していなかった日本のジャーナリズム

小池ゆりこ氏が希望の党の代表を辞任した。化粧をしたピエロが舞台に飛び入りでしゃしゃり出てきて、突飛な芸を披露して大喝采を受け、その後、主催者から注意され、そそくさと退場したような様子だ。このような輩は企業をはじめ、どこにでも1人か2人はいるものだ。いわゆる調子者である。

筆者は、最初から今回の結末を予測していたが、正直なところ、それでも1年ぐらいは「賞味期限」があると思っていた。あまりにも短命だった。

それゆえに希望の党についての記憶が薄れていない今の時期に、ジャーナリズムが希望の党をどう報じたかを検証する恰好の機会である。結論を先に言えば、ジャーナリズムはほとんど機能していなかったことになる。それが各種媒体のバックナンバーに記録として残っている。

日本の新聞の社説は、具体的に何を主張したいのかが曖昧なものが多い。希望の党が結成された9月下旬から10月あたりの社説を読み返してみると、同党を批判しているように感じられる一方で、批判的に激励しているようにも読める社説が多い。「批判的に激励する」とは、たとえば橋元徹氏のように、安倍内閣以上に構造改革=新自由主義の路線を加速させよといった極右の立場からの自民党批判である。

ひとつの例を上げると、10月7日付けの毎日新聞の社説である。タイトルは、「日本の岐路 希望が公約を発表 『立ち止まる』余裕はない」。

社説の結びは、「公約は、策定過程がほとんど明らかにされずまとまった。急な対応を迫られたとはいえ、小池氏の一存で政策まで決まるのでは政権奪取を目指す政党として大いに不安である」と苦言を呈しているようにも読めるが、タイトルに「『立ち止まる』余裕はない」というフレーズがあり、批判的に鼓舞しているとも解釈できる。毎日新聞に限らず日本の新聞の社説によく見られる特徴である。出典

もちろん露骨に希望の党に期待を寄せたメディアも多い。たとえばPRSIDENT(電子)「『小池新党』を叩く新聞に希望はあるのか」と題する一文である。別に叩いているわけではないのだが。

それでも沙鴎一歩は小池新党に期待している。「安倍1強」を打破する野党第1党の政党になってほしいからだ。そして日本にアメリカのような2大政党制を実現し、民主主義を推し進めてもらいたい。そのためには読売社説が論じたように党としての政策をより具体的に国民の前に明らかにすべきである。出典

希望の党の体質をずばり指摘したメディアは、ほとんどなかった。

◇メディア黒書の「希望の党」報道

一方、筆者が主宰するメディア黒書は、最初から希望の党を全面的に批判する記事や解説を掲載している。

【9月25日】第2自民党としての危険な「小池新党」、自民・公明・小池新党・維新で憲法改正へ

【9月28日】自民党VS希望の党、烏合(うごう)の衆による権力争い、「反自民」よりも「反共」で結束・結党

【10月2日「小池劇場」の登場でメディアから消えた「森友・加計事件」の報道、前代未聞のスタンピード現象

【10月5日】希望の党「厚化粧」の下のとんでもない素顔、民新党からの転向議員の暗澹たる未来

【10月6日】リベラル勢力を分断する役割の小池と前原、経団連と経済同友会は安倍政権を支持

今後の政界の動きを予測するのは難しいが、筆者が最も警戒するのは、希望の党が立憲民主党と共闘することである。

日本人は騙されやすい民族である。その責任がメディアと文教政策にあることはいうまでもない。