1. 自民圧勝の総選挙、顕著になった小選挙区制の弊害とメディアによる世論誘導、パンツ泥棒が当選するこの国の絶望的な実態

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2017年10月24日 (火曜日)

自民圧勝の総選挙、顕著になった小選挙区制の弊害とメディアによる世論誘導、パンツ泥棒が当選するこの国の絶望的な実態

衆議院議員選挙の結果が確定した。自民党の勝利である。次のような議席配分である。

自民党:281
立民党:54
希望の党:50
公明党: 29
共産党: 12
維新の会:11
社民党: 2
こころ: 0

北陸のパンツ泥棒も、野党を分断させた若造も当選した。テレビ報道で印象に残っているのは、小泉進次郎に群がるオバサンたち。政策よりも握手で票を稼いでいる保守系の候補者たちの姿も異様だった。ヤクザのように土下座している候補もいた。これも保守系だ。この国はかなり病んでいると感じた。

ほとんどの世論調査では、安倍内閣を支持しない層の方が多数を占めていたが、開票してみると、自民・公明の圧勝だった。その最大の原因は、改めていうまでもなく、小選挙区制である。

しかし、その小選挙区制が民意を反映しないことが示されたのは、今回の選挙が初めてではない。たびたび同じ現象が起きてきた。小選挙区制が政権党に圧倒的に有利な仕組みになっているからだ。

しかし、不思議なことに、小選挙区制を廃止しようという声は、どの政党からもあがってこない。これ自体が異常なことなのである。

日本に小選挙区制を導入した小沢一郎氏に至っては、反省するどころか、いまだに小選挙区制を肯定している。たとえば次のインタビューである。

小沢代表、小選挙区制度と政権交代、二大政党政治の未来について語る

小選挙区制の下で、前原氏と小池氏が野党を分断したために、自民党が議席を増やす結果になったのだ。

◇次の選挙でどうなるか、共産党と立憲民主党の共闘

共産党は議席を21議席から12議席に減らした。これは立憲民主党を支持するために、候補者を立てなかった選挙区がかなりの数にのぼったからだけではなく、無党派層の票が立憲民主党へ集中したことも大きな要因である。野党共闘は一応成功したわけだから、共産党の議席減をどうみるかは難しい問題だ。ただ、共産党の議席が減ったダメージはかなり大きい。

野党が不本意なかたちで共闘せざるを得ない状況が生まれているのも、元をたどれば選挙制度が小選挙区制であるからだ。統一候補を立てなければ、小選挙区制の下では勝ち目がないからだ。

しかし、共産党と立憲民主党では、微妙に政策が異なる。憲法問題では一致できても、構造改革=新自由主義を進めるのかストップするのかという問題では、おそらく一致できない。立憲民主党のバックには御用組合の集まりである連合がいるからだ。

筆者は、立憲民主党が躍進したこと自体は歓迎するが、次の選挙を懸念する。小選挙区における立憲民主党は、共産党の票がなければ、当選できないわけだから、共産党は次の選挙でも、また、独自の候補を立てられないことになる。同じことが延々と続くのではないだろうか。

隣の中国は著しい経済力をつけて、急速に新しい福祉国家(社会主義)の基盤を作りはじめているのに、日本では、逆に経済格差が開く一方である。自民党政治を打開できない状況の下で、世界の流れからどんどん遅れているのだ。

小選挙区制を廃止しない限り、この泥沼から抜け出すのは難しいだろう。

◇メディアによる世論誘導

自民党が圧勝したもうひとの原因は、メディア(マスコミ)である。ほとんどの人が気づいていないが、メディアによる世論誘導は、巧みに、日常的に行われている。たとえば北朝鮮の脅威をあおるニュースを洪水のように流す。そのうえで自民党が「この国を守り抜く」(自民党ポスターのスローガン)とPRすれば、大きな宣伝効果がある。北朝鮮の脅威をあおるニュースを事前に流しておかなければ、「この国を守り抜く」と言っても、説得力は生まれない。

メディア(特にテレビ)が自民党に協力的なのは、テレビCMのスポンサーが財界であるからだ。広告費の名目で金銭を受け取り、世論誘導を前提としたニュース編成にしているのである。

北朝鮮の問題は、想像以上に自民党を利している。しかも、米国のトランプ政権が北朝鮮を挑発し、その結果、北朝鮮がミサイル実験を繰り返し、それを世論誘導に利用しているのである。ゆがんだ構図だ。

メディアによる世論誘導の実態や手口は、メディア企業のビジネスモデルや日本における広告代理店の仕組みを理解しなければ、解析できない。本来、メディア研究者がこれらの仕事をしなければならないが、日本のメディア研究者の大半は、マスコミを批判して自分の意見を表明する場を失うことを極端に恐れ、何もしない。これではダメなのだ。

◇文教政策の誤り

政治に無関心な有権者が増えていることも自民党が大勝した原因である。筆者は、現在のような状況を生み出したのは、文教政策ではないかと考えている。確証はないが、そんな気がする。

40年ぐらい前に、哲学者・柳田兼十郎の『ブルジョア思想との戦い』という本を読んだことがある。そこに中教審の「期待される人間像」の批判が掲載されていた。企業から「期待される」従順な人間を作るための教育が進行していることを描いた内容で、メディアも含めて、生活のいたるところに、観念論哲学の思想がちん入していることに警鐘を鳴らしていた。

「期待される人間像」は1960年代、高度経済成長の時代であるから、社会の流れとも整合性がある。悪い意味で整合制がある。

このような文教政策の流れは、その後、中断したわけではなかった。最近の典型的な例をあげると、第1次安倍内閣の時代の「美しい国」づくりのキャンペーンや、教育基本法の改悪である。直近では、道徳の授業の導入である。つまり日本の文教政策は、一貫して心がけは立派だが、社会問題や政治には無関心な人間を「大量生産」してきたのだ。

その結果が今回の選挙でも現れた。