1. 朝日新聞阪神支局の襲撃事件から30年、蘇るファシズム

日本の政治に関連する記事

2017年05月02日 (火曜日)

朝日新聞阪神支局の襲撃事件から30年、蘇るファシズム

■山田幹夫(フリーランス取材者・元通信社記者)

「赤報隊」という名前を覚えていますか?
30年前の憲法記念日、朝日新聞阪神支局が襲撃されて記者2人が殺傷し、
未解決事件のままである。5月3日を前に、あらためて記憶しておきたい。

1987年5月3日、40回目の憲法記念日に散弾銃を手にした黒ずくめの男が朝日新聞阪神支局を襲撃し、記者2人を殺傷。「赤報隊」を名乗るテロ犯人は未だに特定されず、未解決事件になったままだ(広域重要指定116号事件)。

*1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こした事件は次の通りである。

朝日新聞東京本社銃撃事件(1987年1月24日)
朝日新聞阪神支局襲撃事件(1987年5月3日)
朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件(1987年9月24日)
朝日新聞静岡支局爆破未遂事件(1988年3月11日)
中曾根・竹下両元首相脅迫事件(1988年3月11日の消印)
江副元リクルート会長宅銃撃事件(1988年8月10日)
愛知韓国人会館放火事件(1990年5月17日)

当時は「自主憲法制定」を主張する国家主義者の中曽根康弘首相の下で、国家秘密法の制定が急がれ、8月の終戦記念日には靖国神社の公式参拝を首相として初めて強行、防衛費のGNP(国民総生産)1%枠が撤廃された時代だった。

あれから30年、国家主義者の安倍晋三首相の下、中曽根首相が果たせなかった国家秘密法は「特定秘密保護法」となり、「安保法制」(戦争法)ともども強行採決され成立。さらに、戦前の「治安維持法」もどきの、犯罪など計画していない国民のLINEなども盗聴される懸念が強い「共謀罪」の強行成立も予断を許さない状況となっている。

30年前は、政権に対してリベラルな論調ゆえに朝日新聞が赤報隊の標的にされたが、「この日本を否定するものを許さない」(阪神支局事件)、「占領軍政いらい 日本人が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮が、世の隅隅にまでいきわたっている」(東京本社襲撃事件)と書いた赤報隊の声明文に流れる戦前回帰の思想は面々と流れて、現在と密接に結びついている。

歴史は、現実世界に無関心でいると、逆行や退行させる動きに負けて、人として生きる基本的人権などが奪われることになる、ということを示している。肝に銘じたい。

◇支局内に襲撃事件の資料室、見学が可能

阪神支局の3階に「朝日新聞襲撃事件資料室」が開設されている。記者2人が殺傷された阪神支局事件を中心に、言論機関を狙ったテロに関する資料を展示して公開することで、事件を多くの人に語り継ぎ、言論の自由はじめ民主主義の大切さを伝えていくことが目的だと聞いた。

資料室に展示されているのは、死亡した小尻知博記者(当時29歳)と重傷を負った犬飼兵衛記者(同42歳)が銃撃された編集室から採取された散弾粒、2人が座っていた応接セット、血に染まった原稿用紙、散弾粒の跡が残る身につけていたボールペン、財布、犯行声明文、犯人が声明文に使用したワープロ、犯人が身につけていた目出し帽や靴、着衣の類似品、小尻記者の遺影、事件に関連した写真・年表・書籍など。さらに朝日新聞が遺族や関係者から提供を受けた品々もある。

品々を間近にすると、近距離から銃に撃たれた記者2人がどんなに恐怖だったか、どんなに悔しかったか、憤りとともに感情がじわりと沸いてくる。

新人記者らはこの資料室で研修する。「時代が君たちを鍛える」と講義も受けるということだった。自由にものが言える社会を何よりも大切だと考える記者、頼もしく骨のあるジャーナリストがどんどん出てくることを期待したい。そして、新聞読者、国民も自分にできることを少しでもすることを、自分自身に誓いたいと思う。

なお、見学には予約が必要。阪神支局=兵庫県西宮市与古道町1-1 (阪神電鉄本線・西宮駅から250m)。電話:0798-33-5151