2017年04月20日 (木曜日)
森友学園疑惑に関するニュースが激減、前代未聞の疑獄事件が忘却の途へ
森本学園の問題が視界から消えようとしている。メディアがニュースを流さなくなり、それに伴い、この話題が消えはじめている。
ヤフーニュースの「国内ニュース」のラインアップの上位20件は、20日午前6時半の段階で次のようになっている。「森友」の文字はどこにも見えない。ニュース価値がなくなったと判断した結果なのか?
①茨城で震度4 津波の心配なし
②日豪戦闘機 初の共同訓練へ
③岸田氏「安倍後」考えておく
④衆院区割り 97選挙区で見直し
⑤バイエル 医師名で論文代筆か
⑥旅券返納命令は適法 男性敗訴
⑦なぜ? 海の幸は共謀罪対象外
⑧20歳 女子大生冒険家が快挙
⑨シリア渡航計画で旅券返納命令は「適法」
⑩なぜ? 海の幸は共謀罪対象外
⑪労基法改正案は今国会断念
⑫衆院区割り 97選挙区で見直し
⑬女性問題の中川氏 辞職の声も
⑭保育園落ちた 母親たちの選択
⑮「そもそも」定義は?国会論戦
⑯司法修習生の給費制が復活
⑰南スーダンPKO 第1陣が帰国
⑱「共謀罪」が実質審議入り
⑲役立たぬ過去 シニアの職探し
⑳豊洲延期 負担既に百億円近く
一国の首相の極右的な私的理念を実現させるための「安倍小学校」を設立する過程で、国有地の不自然な取引が行われたり、本来、国策を決定する権限がない首相夫人が、自らしゃしゃりでて「安倍小学校」の設立に便宜を図った疑惑のある前代未聞の疑獄事件が、真相を解明しないまま忘れさられようとしているのだ。
それを許してしまう鈍感さが、筆者には理解できない。しかも、森友疑惑を棚上げにして、国会では共謀罪の審議に入ったわけだから、異常としか言いようがない。本来、安倍首相は議員辞職しなければならないはずなのだが。
◇国策プロパガンダ
こうした日本のメディア状況を前に、筆者は何のためにジャーナリズムがあるのかという疑問を抱く。恐らく編集者サイドには、よく似た内容のニュースを繰り返し掲載すると、販売に直結しないという判断があるのだと思う。本来は、真相が解明されるまで報道を続けるべきなのだが。
森友疑惑の報道でも明らかなように、日本のジャーナリズムが権力にメスを入れた実績はほとんどない。田中角栄の金脈やリクルート事件などいくつかの例外的な実績はあるが、大半の事件報道は途中で頓挫している。最近の例でいえば、特定秘密保護法や安保関連法案は完全にメディアの話題から消えた。高市総務大臣によるマネーロンダリングは、ほとんど報道されていない。
【参考記事】高市早苗総務大臣によるマネーロンダリングの手口を解説する、大臣辞任が妥当
こうした現象が繰り返されるのは、メディア側に権力と対峙して戦う意思がないからだ。傍観者的な視点から、販売部数の増加に結び付くニュースを優先的に取り上げる方針に徹しているからだ。
確かに紙媒体の場合は、紙面のスペースに制限があるので、日々の事件を優先的に取り上げなければならない側面はあるが、インターネットのメディアにはスペースの制限がないわけだから、連続的に同じテーマを取り上げることができる。
それがインターネットのメリットでもあるが、それが生されていない。
どのようなニュースを取り上げ、どのようなニュースを取り上げないかは、編集者の判断で決まり、それによって世論が誘導される。責任は重大だ。
日本人の多くが政治に関心をいだかなくなった原因も、メディアによる世論誘導の結果にほかならない。広告代理店を優遇することで、国策プロパガンダは功を奏しているのだ。メディアに騙されているのは、国民の側である。
【写真】ニューヨークタイムスに掲載された森友学園の記事の写真。
A morning assembly at the Tsukamoto Kindergarten in Osaka, Japan, in November. Children at the school march to military music and recite instructions for patriotic behavior laid down by a 19th-century emperor. (大阪にある塚本学園の朝礼。11月。児童は軍歌に合わせて行進し、19世紀に天皇によって広められた愛国的な行動規範を暗唱する。)