1. メディアと公権力の一体化は国際的な傾向、信用できない国境なき記者団の報道の自由度ランキング

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2015年06月11日 (木曜日)

メディアと公権力の一体化は国際的な傾向、信用できない国境なき記者団の報道の自由度ランキング

国境なき記者団が発表した2015年度の「世界報道自由度ランキング」で、日本は61位だった。

鳩山政権の時代には、11位になったこともある。

が、このランキングはまったく信用できない。第一、報道の自由という抽象的なものを序列化すること自体がナンセンスだ。ランキングを受け止める側には、「国境なき記者団=真のジャーナリズム」という先入観と幻想があり、序列化の愚に気づかない。

もちろん個々の記者やジャーナリストの中には、真摯に報道の役割を果たしている人も少なくない。しかし、メディア企業としての在り方には、国境を越えて克服しなければならない問題がある。

それは権力の中枢になっている人々の「広報部」の役割を引き受けているメディア企業が大半を占めている事実である。政府を筆頭とする公権力と情交関係を保ちながら、ニュースを制作する姿勢が慣行化しているのだ。

日本のマスコミだけが「×」で、海外は「○」という考えは間違っている。

中国のマスコミが、旅客船の転覆事故の際、政府に配慮して、遺族の不満を報じなかったらしいことは、日本のメディアが伝えた。それが事実であれば、中国における報道統制は、日本よりもよほど深刻だ。

中米ニカラグアで1970年代に革命戦争に参加したオマル・カベサスの手記、『山は果てしなき緑の草原ではなく』(現代企画室)には、当時のニカラグアのメディアについて、次のような記述がある。

ラジオというラジオは襲撃のことを報道し、国中が生々しい写真報道や情報の展開に釘付けになった。俺たち自身、現実とかけ離れた虚像を作り出す報道の影響の大きさに驚いた。

◇グアテマラは125位

わたしが「世界報道自由度ランキング」は、信用できないと感じたのは、インターネットで、グアテマラのリオス・モント裁判の中継録画を見たときだった。
リオス・モントとは、同国の軍部出身の元大統領で内戦の時代に先住民の大虐殺を指示した人物である。戦後、法廷に立たされ、2013年5月に虐殺と人道に対する罪で、禁固80年の判決を受けた。

この裁判の判決の様子を、プレンサ・リブレ紙がインターネット中継した。法廷にカメラが入ったのだ。ある意味では、日本よりも進んでいる。

翌年、グアテマラの「世界報道自由度ランキング」を見ると125位になっていた。わたしは苦笑せざるを得なかった。確かに前世紀までグアテマラは、「殺戮の荒野」で、弱者に寄り添った報道は命のリスクを伴った。が、今は状況が大きく変化しているのである。

なにを根拠にして、国境なき記者団が125位という序列にしたのか、わたしにはさっぱり分からない。ラテンアメリカ全体の左傾化に対する対抗意識の現れのような気もするのだが。

ちなみにニカラグアの2015年のランキングは74位。日本よりも報道の自由が制限されていると評価している。

■報道の自由度ランキング2015年