1. 病的な朝日バッシングにみるジャーナリズムの衰退、史実解釈の基本もわきまえず

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2014年09月05日 (金曜日)

病的な朝日バッシングにみるジャーナリズムの衰退、史実解釈の基本もわきまえず

強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長・吉田清治氏が生前に朝日新聞に証言した内容(強制連行があったとするもの)を虚偽と判断して記事を取り消した件で、朝日新聞に対するバッシングが続いている。陰湿、かつ病的。識者もそれに加担する。このような光景はかつてなかった。

朝日報道といえば、最近、国会議員に対する裏金工作を証言した中部電力の元役員を紙面に登場させたが、こちらの方は完全に黙殺の中で色あせてしまい、それとは対照的に慰安婦問題だけがクローズアップされている。ネット右翼の面々は言うまでもなく、週刊誌もテレビも、朝日を連日のように攻撃している。

ウィキペディアの「吉田清治」の項目は、早くも次のように書き換えられた。

『私の戦争犯罪』(1983年)などの著書を上梓し、済州島などで戦時中に朝鮮人女性を慰安婦にするために軍令で強制連行(「慰安婦狩り」)をしたと告白証言を行いその謝罪活動などが注目されたが、後に日本と韓国の追跡調査から創作であることが判明し、本人も慰安婦狩りが創作であったことを認めた。吉田証言を16回にわたって記事にしてきた朝日新聞も2014年8月5日に、これを虚偽と判断して、すべての記事を取り消した。

◇証言を報道する事と証言の評価は別
シマウマやキリンなど群れをなした野性動物が、先頭を追って一斉に同じ方向へ走り出すことがある。先頭が右へ進路を取ると右へ、左へ進路を転換すると左へ。このような現象をスタンピード現象という。獣の首にカメラをぶら下げれば、現在の「嫌朝日派」そのものだ。

朝日は、「慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消し」たことを8月5日付けの紙面で公表した。その背景にどのような力が働いたのかは不明だが、取り消しのタイミングからして、何らかの圧力があったことが推測される。

一連のバッシングにみる最大の問題は、吉田証言を裏付ける第3者の話を拾えなかったことを理由に、「嫌朝日派」が強制連行はなかったと短絡的に結論づけている点である。が、必ずしもそれは強制連行という歴史の事実がなかった証拠にはならない。証拠としては不十分だ。

もちろん吉田証言の重要さも変わらない。

それにもかかわらず、「第3者証言の不在=史実の否定」という極めてレベルが低い論理構成になっているのだ。さらにそれを史実として、早々にウィキペディアの記述までが書き換えられたのである。

強制連行が史実かどうかは、読者が他の史実とも照合しながら判断する性質のことである。吉田証言はそのための材料のひとつである。それを朝日が提供したことを問題視するのであれば、ジャーナリズムは成立しない。吉田氏による証言が行われたことは紛れもない事実であり、その内容がどうであれ関係者の証言を報じるのは、当然のことである。

証言をどう評価するかは、個々人の自由である。おそらく大半の人は、枝葉末節にこだわることなく、太平洋戦争の全体像を把握したうえで、判断するだろう。

たとえば旧日本軍の731部隊が中国で生体解剖をするために、中国人を連行した事実、中国人を使って日本刀の試し切りをした事実、さらには沖縄戦で同国民に銃を向けた事実などを知るものは、慰安婦の強制連行は韓国でも十分にありうる事態だったと推測するするだろう。少なくとも慰安婦制度と「強制」があったことはすでに定まった歴史の定説になっている。

吉田証言に関する評価を朝日がどう変更しようが、その理由説明を怠らない限り、何の問題もない。ましてそれが史実を変更する根拠になるはずがない。

◇歴史学の初歩すらわきまえず
日本の雲行きが怪しくなり始めた状況の下で、本来、ジャーナリズムがそれに歯止めをかける役割を担っているはずだ。しかし、朝日の原発裏金報道は無視して、慰安婦問題では狂信的な大騒ぎしているのが実態である。

歴史を解釈するにも、せめて歴史学の初歩をわきまえるべきだろう。短絡的なブログのレベルではいけない。