1. ツイッターの言語を考える、軽薄な言葉の吐き捨てから、丸山健二氏のツィートまで

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2018年08月28日 (火曜日)

ツイッターの言語を考える、軽薄な言葉の吐き捨てから、丸山健二氏のツィートまで

舌たらずな言葉づかいをする人が増えている。

読者は、「ウヨ弁」という言葉をご存じだろうか?筆者がこの言葉を知ったのは昨夜だ。経緯はツイッターで市民運動と住民運動の違いに言及したことである。次の投稿である。

数年前、尊敬する弁護士からこんなふうに質問された。「黒薮さん、住民運動と市民運動の違いが分かりますか?」。当時は分からなかった。住民運動は住民の実生活に根ざした運動で、市民運動は「賛同する人は結集を」と呼びかける無責任な運動。実際、内ゲバなどとんでもない事件を起こしている。

もう少し詳しくいえば、住民運動は住民が自分たちの生きる権利を求めて戦う運動である。たとえば水俣病を原点とする運動。広義に解釈すれば、中米のグアテマラやエルサルバドルで、軍事政権のテロから村や家族を守るために武装ほう起した人々の運動である。

これに対して市民運動というのは、特定の目標をかかげて、それに賛同する人を募り、運動を展開するものである。たとえば化学物質のリスクを知らせることを目的に全国各地から市民が結集するようなケースである。

両者の境界線は重複する部分もあるが、根本的な性質は異なっている。

 

◆「どちらのウヨ弁でしょうか」

さて、肝心の本題に入るが、先のツィートを投稿したところ、次のようなリプライがあった。

どちらのウヨ弁でしょうか。

後に分かったことだが、「ウヨ弁」というのは、右翼の弁護士という意味らしい。一部の人々は、筆者は右翼であるという情報を共有しているらしく、「どちらのウヨ弁でしょうか」という質問が返ってきたのだろう。不正確な情報の共有がこうした質問の発信に繋がったようだ。

本来、「取材」してから、質問なり、意見表明をするものなのだが、単なる思い込みを前提にして、言葉を発する人が増えている。

 

◆一発勝負の書き言葉

確か『日本語のために』(筑摩書房)という題名の中野重治の著書に、話し言葉と書き言葉の違いが明快に説明されていた。石川淳の「文章の形式と内容」と題する論考にも、両者の違いが書かれてある。これらの説を参考にすると、書き言葉は、「一発勝負」であり、話し言葉は、質問を繰り返すなど、ターゲットに向かって言葉を繰り返し発信することによって意を伝える。

別の言い方をすれば、たとえば演説では、イントネーション、身振り手振り、表情などを伴って言葉が発せられる。その結果、実はきわめてつまらない内容の演説でも、感動することもある。「自民党をぶっつぶす」といった短いフレーズの繰り返しに、聴衆が心を動かされることもある。実は、これはヒトラーの手法だったのだが。

インタビューの録音を文字に起こしてみると、意味不明な内容になっているものが時々あるが、話し言葉の段階では、それが認識できない。書き言葉に翻訳して、初めていかに話し言葉に無駄が多いかが分かるのだ。

一方、書き言葉には、イントネーションも身振り手振りも表情もない。それゆえに「一発勝負」で最も適切な言葉を選び、意味を構成しなければならないので、話し言葉よりもはるかに難しい。真実をずばり突き止めるのが、書き言葉であるのは論を待たない。

 

◆模範的なツィート

ツィターの言語というものは、基本的には「ウヨ弁」の例でも明らかなように、話し言葉なのである。頭に思い浮かんだことを、喋るように発信しているだけに過ぎない。

もっとも洗練された言葉のツィートに随分感心させられることも時にはあるが。たとえば作家・丸山健二氏の次のツィートである。

情報交換手段の異様な発達によって、人と人が上辺だけでつながり過ぎた現代においての最重要課題は、いかにして個人に戻るか、いかにして孤の立場を確保するかであり、このことを真剣に考えて、実行に移さなければ、国家の奴隷、社会の奴隷、資本家の奴隷のひとりと化してしまい、人生は無に等しい。■出典

これが「一発勝負」のツィートである。

ちなみに市民運動と住民運動の違いに言及した弁護士は右翼の弁護士ではない。水俣病を原点に、生涯にわたって公害と戦ってきた方である。筆者の対読売裁判でもお世話になった。