1. 公共事業は諸悪の根源  ジャーナリズムでなくなった朝日 その8(前編)

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2014年02月19日 (水曜日)

公共事業は諸悪の根源  ジャーナリズムでなくなった朝日 その8(前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

【サマリー】

◇品性が欠落したNHKの経営委員

?◇反原発発言を制限した籾井会長

◇メディア企業の「異能分子」

◇メディア企業の労組とは何だ?

?◇朝日と闘う覚悟

◇年俸制の下で差別待遇

◇記者職の剥奪、5年間昇給なし

?◇箱島社長宛に調査依頼書を送付

◇朝日ジャーナリズムの限界

従軍慰安婦問題で、NHK籾井勝人会長の「戦争地域ではどこにでもあった」との記者会見発言が問題となっています。昨年、同様の趣旨の発言をしたのは維新・橋下徹共同代表です。橋本氏は反省したはずでしたが、「言っていることは正論。僕がずっと言い続けてきたことだ」と理解を示したことからも、これもやはり彼の本音なのでしょう。

しかし、ジャーナリズムを担うNHK会長や政治家の立場で、この発言・資質がなぜ不適確なのでしょうか?。私はそれをツイッターで何回か書いています。発言の根底に「戦争なら何をやってもいい」との考え方、「女性は戦争の道具」という度し難い女性蔑視思想があるからです。この考え方で報道や政治が行われたら、この国、世界がどうなってしまうのか、それを考えただけでも恐ろしいことです。

それだけではありません。朝日に押し入り、拳銃自殺した新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長を追悼する文集に、メディアへの暴力行使を礼賛したとも取れる文章を発表した長谷川三千子氏もNHKの経営委員です。

長谷川氏はこの文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と書いています。また、野村氏の自殺で「わが国の今上陛下はふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」との記載もあります。「人間宣言」された天皇が誰より、この文章に困惑されているのではないかと思います。

また、都知事選で田母神俊雄候補の応援演説に立ち、他候補を「人間のくず」呼ばわりした作家の百田尚樹氏も経営委員です。彼は、「戦争では恐らく一部軍人で残虐行為がありました。でも日本人だけじゃない。アメリカ軍も、中国軍も、ソ連軍もありました。

こういうことを義務教育の子どもたち、少年少女に教える理由はどこにもない。何も知らない子どもたちに自虐史観を与える必要はどこにもない」との持論も展開しています。

◇品性が欠落したNHKの経営委員

ジャーナリズムは事実を知らせることが、何よりの使命です。戦争で人が死ぬ。残虐行為もある。こんなことさえ知らないまま、子どもが成長したらどんな世の中になるのでしょう。権力にとって都合の悪い事実を、子どもたちに知らせないでいいと言う人が、ジャーナリズムの経営委員であっていい訳がないのです。

NHKには経営委員に政治的発言を禁じる規則はなく、「個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられない」としています。「個別番組の編集などに関与することも出来ない」としていることから、両委員共、それを盾にどんな発言・活動をしても問題ない、との立場のようです。

しかし、放送法では、委員の資格として「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めています。少なくとも報道機関の経営委員に就任したなら、その期間だけでも選挙で一人の候補者だけを応援し、公正・公平性に誤解を招くような政治的行動を控えるのは、メディアに携わる人間の最低限の規範・常識であるべきです。

問題は、この3人というより、ジャーナリズムとしての基本的な規範・常識、品性に欠けた人物や神がかった人を会長や経営委員に押し込んだ安倍首相にあると言うべきでしょう。そこにはNHKを自分の考えに染め、批判を封じて世論を操作し、この国を自分の考え通りに支配して行こうと言う意図が透けて見えます。

その証拠に、籾井会長は就任会見で、「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」とも発言しています。私は何度もこの欄で言って来た通り、ジャーナリズムの役割・使命は、「権力監視」なのです。

「政府が右というもの」でも、深い取材に根差し、「国民の福祉に反する」と判断する時は、断固、「左」と言わなければなりません。それがジャーナリズムです。それを「右」と言うなら、使命を放棄、政府広報に成り下がってしまいます。私は「報道の自由」という観点から、従軍慰安婦の件以上にこの籾井発言を問題視します。

◇反原発発言を制限した籾井会長

皆さんも、昨年末の特定秘密保護法での精彩のないNHKニュースにもどかしい思いをされているはずです。早速、籾井会長色が報道現場に影響を与えた結果ではないでしょうか。

籾井会長が報道現場へ露骨に介入した顕著な例として、FM番組レギュラーの音楽評論家、ピーター・バラカン氏の問題があります。籾井会長はピーター氏に「都知事選が終わるまで、原発問題に触れないように」と要請していたと言うのです。

籾井氏は、参院予算委員会でこの問題を問われ、「放送法は政治的に公平であり、意見が対立している問題にはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。都知事選では原発問題が争点の一つとなっており、期間中の番組はより公平性を期する必要性があり、いろいろ検討した結果、出演が取りやめられた」と語っていますから、事実に近いのでしょう。

バラカン氏も「都知事選が終わるまで原発の問題に触れないよう複数の放送局から求められていた」としています。それだけにとどまらず、NHKラジオ第一でも先月末、経済学の視点で脱原発を話そうとした中北徹東洋大教授も発言をやめるよう求められたそうです。籾井氏は「選挙期間中でもあり、テーマの変更を求めた」と、あからさまに認めたことに私はむしろ驚愕しています。

「選挙の公平性」と言いながら、特定候補以外は「人間のクズ」と罵倒した百田氏には何のお咎めもなし。一方、政府方針に反し、原発への疑問を番組で語ろうとした人の発言は封じる。すでにNHKは籾井氏の下で、戦前の大本営放送に戻った感があります。

◇メディア企業の「異能分子」

報道機関では、記者としての人脈を生かし、報道以外の政治家・官僚との交渉・取り引きなどにあたる人を「異能分子」と呼ぶことがよくあります。以前のこの欄で書いた通り、朝日の編集幹部は私の長良川河口堰報道を止めた社会部長を「異能分子」と呼んでいました。

ジャーナリズム本来の価値基準からは、「無駄な公共事業」を告発し、完璧な裏付けのある私の長良川河口堰報道は、止まるはずもありません。それが止まったのです。「異能分子」による「異能活動」の結果ではなかったのか。確かな証拠はないにしても、編集幹部が臭わせた言葉から、私はそう思わざるを得ませんでした。

しかし、報道機関に巣食う「異能分子」による「異能活動」は、朝日だけに限ったことではないとも思っています。例えば、私が政治記者時代、取材は程々にNHK予算をスムーズに通してもらったり、国会で厳しい追及を受けないよう、政治家・官僚詣でをしているNHK記者のウワサがよく聞こえて来ていました。

親しくしていたNHK記者や政治家から聞いた話です。実際に「異能活動」が行われていたとしても、もともと記者と特定の政治家・官僚との密室でのこっそり話です。朝日と同様に、どんな中味か、本当に異能活動をしていたのか。定かな証拠はなく、NHKで「異能活動」が行われていたと、私は断定するつもりはありません。

ただ、同僚から名指しでそんなウワサ話が出ていた記者ほど、NHKの中で地位を得ていたように思います。籾井会長の下で、こうした記者がますます上級幹部を占め、NHKの政治家・官僚への弱腰体質がさらに進むのではないか、私は心配せざるを得ません。

◇メディア企業の労組とは何だ?

それにしても、こんな情勢の中で、NHK労組は何をしているのでしょうか。私にはジャーナリズム労組としての存在感を見えて来ません。組織の中で、幹部の報道弾圧に抗し、人々の「知る権利」のために記者が一人で闘うことには限界があります。ジャーナリストとしての自覚を持つ記者を孤立させず、政府の言いなりになろうとする経営陣と闘ってこそ、労組であるはずです。

しかし、この欄で以前にも報告http://www.kokusyo.jp/?p=2844したように、私の場合も朝日労組は、見て見ぬふり。ジャーナリズム労組としての存在感を何一つ示そうとはしませんでした。

NHK労組も同じなら、事実上、「政府の言いなりになれ」と言う籾井体制の下で、報道現場はますます委縮、辛うじて残っている伝統のドキュメンタリー番組さえ、切れ味が失せ、空洞化してしまうのではないかと思います。

その結果、政府のやることに何も疑問をはさまないNHKニュース、戦前同様の大本営発表が罷り通ります。結局、見させられる国民は、軍国主義復活の安倍カラーにますます洗脳され。その先には「いつか来た道」が待っていることを、私は一番心配しています。

◇朝日と闘う覚悟

さて本欄は、「公共事業は諸悪の根源」の12回目です。今回は特にNHKの籾井体制を心配するあまり、前置きが今まで以上に長くなってしまい、申し訳ありません。

「異能活動」のためだったかどうか、定かな証拠はないにしても、長良川河口堰報道を理不尽に止めた社会部長に対し、朝日・名古屋本社の編集局長に異議を申し立てたことを発端に、私は記者の職を剥奪され、名古屋の広報室長に追いやられました。

とっくに広報在任4年を超えた2003年6月、「ヒラでいいから、記者に復帰したい」と、当時の名古屋本社代表に申し出たところ、「記者に戻りたければ、編集局に信頼回復せよ。君はデータ不足の原稿で騒いだではないか」と拒否されました。

記者にとって「データ不足」は最大の侮辱の言葉です。ますます黙っている訳には行きません。「どこにデータ不足があったのか」と、私は代表を問い詰めました。しかし、まともな答えが返って来ず、「もうその話は時効、時効…」などと逃げるばかり。

もやもやしていた私の心に、この時、はっきり火がつきました。机の中に忍ばせ続けていた辞表を破り捨てたのも、この時です。

「何故、朝日から『信頼回復』を求められ、記者の職を剥奪されるのか」「異議を申し立てたのを発端に、昇格・昇給まで差別される理由は何か」。この二つを主な論点に、私はもう一度、朝日と闘う覚悟を決め、第2ラウンドの始まりになったことまで、前回報告しました。今回はここからです。

◇年俸制の下で差別待遇

「成果主義」を掲げ、年俸制を導入したのが朝日です。仕事の成果により、昇格・昇給を決めるのが建前。同期や後輩に昇格でも抜かれた人間は、給料袋の中味が減るだけでなく、仕事の成果を上げられず、組織がその人物を「無能者」として社内で公表しているに等しいのです。

私にも「特ダネ記者の一人」程度のプライドはありました。しかし、過去の経過・経歴を知らない若い記者が増えた組織では、人の見る目も下がります。私が広報に届いた読者の苦情を記者に伝えに行っても、「この窓際のおっさんが何をうるさいことを」という、冷たい視線を感じたことも、一回や二回ではなかったのです。

事情を分かっていない他本社の同期や先輩からも、「何をやらかして、牢屋に入れられたのか」と、冷やかし半分の電話までかかってくる始末です。私は、待遇面だけでなく、社内の好奇の目にもさらされていました。

ただ、どれだけ人事・待遇に不満があっても、この問題を絡めて、一切の猟官運動、もしくはそうした一片の誤解、疑いを生みかねない行動は慎もうと、私は心に決めていました。

社内恐喝まがいもあれば、派閥抗争でライバルの足を引っ張る情報合戦を繰り広げていたのが、その頃の朝日でした。私も参戦すれば、少しは待遇がよくなったのかも知れません。

しかし、人事・処遇の不満を報道のあり方の問題にすり替えていると見られるのは、何よりの屈辱です。もちろん、処遇の問題に触れずに、抗議出来ない場合もあります。そんな時にも、必ず私は「透明性の確保」という言葉を入れ、一切の誤解を生まないよう心掛けたつもりです。代表に「ヒラでいいから」と、記者への復帰のみを求めたのも、そのためでした。

◇記者職の剥奪、5年間昇給なし

昇格・昇給でしつこく言うと、どんな誤解を生むか分かりません。「武士は食わねど、高楊枝」。やせ我慢をするのも、ジャーナリストです。この時も、人事・待遇に関する問題の深追いは避けました。「何故、私が信頼回復を求められるのか」との問いに、答えが出来なかった代表が、私を記者に復帰させるか否か、しばらく黙って見守ることにしたのです。

しかし、翌2004年1月の昇格人事にも、私の名前はありませんでした。春の異動もなく、記者への復帰もまたしても拒絶されました。最低保障の「5年」を超えて昇格がなく、広報への留め置きも確定したことになります。またしても給料は下がります。私に対する実質処分・報復人事であることは、もう誰にも否定のしようがありません。

改めて「どんな落ち度があったのか」と、私は代表に聞きました。でも、言葉を濁すばかりです。私は名古屋がホームグラウンド。名古屋で起きた問題は、自分で解決、直接、社長に訴えることは出来るだけ避けたいと、それまでは思って来ました。しかし、名古屋の最高責任者が何も説明しない以上、文書で箱島社長に直接問う以外にありませんでした。   人事の季節に重ねると、「猟官運動」との誤解を生みます。春の人事が一段落した2004年3月、私は「報道と組織、危機管理のあり方について、調査のお願い?ブランド力の回復のために??」と題した30頁の長い文書を箱島社長宛に直接送りました。

◇箱島社長宛に調査依頼書を送付

その頃すでに朝日は、名古屋本社に限らず、どう表面を取り繕ってみても読者の信頼の低下は覆いがたく、紙面への不満も高まっていました。箱島社長は安閑としておられず、「ブランド力の回復」を旗印に、組織・意識・給与の「3大改革」をスローガンとして打ち出したのも、その頃です。

でも、内情は相変わらず。報道機関としてのあり方はそっちのけで、箱島氏自身が権勢を振るい、経済畑ばかりが大手を振ってのし歩く派閥人事が横行していました。箱島氏の軍門に誰が下り、取締役、○○部長になったとか、誰が嫌われ飛ばされたとか、そんなウワサばかりが飛び交っていたのです。

人事の話に敏感なのは、本社幹部に戻ることを心待ちにする県庁所在地の総局長クラスです。朝日では新人記者のほぼ全員が総局に配属されます。総局は、将来、朝日の報道を担うべき記者の卵に、最初に「記者の心構え」を叩きこむ大事な教育の場なのです。

しかし、肝心の教育係の総局長が、こんな人事話を電話で同期らと情報交換し、うつつを抜かしているようでは、新人にも聞こえ伝染しないはずがありません。

次第に記者が足で取材する風潮が薄れ、小手先の要領ばかりが目立つ若い記者が増えていました。案の定、総局の若い記者による記事の盗用、データの捏造事件も起きたのも、この時です。

私は、紙面の質、読者の信頼を落とし、ブランド力を傷つけているのは、他ならぬ箱島氏本人ではないかと思って来ました。この欄で以前に書いた通り、私への報道弾圧を容認し、「拙劣」な手紙を送ってきた当時の名古屋編集局長も箱島体制で復活、監査役に抜擢されていたのです。

箱島氏に出した文書では、河口堰報道の取材経緯、解明した事実、報道しなければならない意義、記事が潰された経過をまず報告。報道しないことが読者に対するどれほどの背信行為かも書きつらねました。当時、編集局長に送った文書や取材資料も添付、改革のために朝日自身が実施した社員・記者の意識調査などの結果も踏まえて、組織の現状をこうも指摘しました。

「とりわけ編集局に所属する記者の意識調査で、これだけの不満が溜まっているのでしょうか。記者が自らの実力に応じて正当に評価されているとの実感を持ち、生き生きとした記者活動・取材競争をする。それが自由かつ活力のある報道として、読者に伝わる。紙面にそうしたオーラが出ていてこそ、読者は『信頼』を感じます。しかし、組織の現状はそうなってはいません」

「『報道の自由』という言葉も何かのスローガン、枕詞として語られることは多くても、真剣に議論することすら気恥ずかしいという風潮がこの組織に芽生えて、もうどれくらいの期間が過ぎたのでしょうか。派閥幹部の理不尽はいつものことです。しかし、こんな問題が起きたら、少なくとも私が入社してある程度の期間は『仲間の記者にこんな思いをさせていいのか』『読者に申し訳ない』『報道の自由はどうなってしまうのか』などと必要以上に飲み屋で力む人も含め、組織にも個人にも、それに対抗する理屈ではない記者としての『感受性』『野生』が残っていたと記憶しています。

それすら失って久しくなった元凶は、『派閥』支配の深化、社員・記者に広く拡がった『あきらめ』ではないでしょうか。本気になって、権力が報道の弾圧を始めたら、今、対抗する気概が組織・記者に残っているのですか」

「社長が言われる通り、朝日には『甘え』を排除した意識改革は何よりも必要です。しかし、私に対して『信頼回復』を求め、反論で旗色が悪くなると、『時効』を口走り、後はただただ沈黙する…。これでは、『甘え』を超えて組織の『幼児性』さえ感じない訳にはいきません。派閥意識に一番甘え、危機感が欠如しているのは、ほかならぬ経営陣・幹部の方ではないのでしょうか」。

◇朝日ジャーナリズムの限界

箱島社長の退陣以降、朝日のこうした風潮が少しは改まって来たとは思います。しかし、この頃中堅幹部に取り立てられた人が、今は上級幹部。派閥抗争が残っている現状では、この体質から完全に脱却しているとは、私には思えません。

瓦版からと言っても、日本のジャーナリズムの歴史は浅いと言わざるを得ません。口では「報道の自由」などと綺麗ごと、建前論は言えます。でも、本気で権力と闘った経験は正直多くありません。いざという時、腰砕けになったのも、思い返せば過去に何度あったことでしょうか。

欧米のジャーナリストの世界は、多くは日本のような終身雇用制ではありません。記者としての実力を伸ばし、より広い活躍場所と高い待遇を求めて、報道各社を渡り歩きます。「記者して何を書いたか」の実績が基礎です。

だから、組織が記者の実績を潰す、つまり記者の書いた記事を明確な理由もなく止めることは、彼らにとってジャーナリズムの規範として許されない問題であると同時に、プロの記者として仕事・生活をする上で死活問題となります。

ジャーナリストとしての競争社会であるが故に、ジャーナリズム本来の「野生」を保たれ、権力と対決してでも報道を貫徹しようという意志が、自然に生じるのではないかと、私は見ています。

一方、終身雇用制のこの国では、良くも悪くも記者は、「企業ジャーナリスト」、組織人です。企業を離れて活躍の場も限られます。もちろん、このブロクの主宰者である黒薮哲哉氏のようにフリーのジャーナリストとして、立派に活躍している人もいます。でも、収入も安定せず、厳しい世界です。企業に所属する限り、活動の場は、企業が与えてくれます。どっぷり派閥社会に浸かれば、それなりに居心地はいいのです。

だから、経営トップ、派閥領袖の意向が下まで反映します。トップがまともで、許容されている限りは、「『国民の知る権利』に応え、権力に対抗するのが、ジャーナリズム」などと、威勢のいい言葉が飛び交いもします。しかし、トップが怪しくなると、途端にトーンダウンが始まります。

「長いものに巻かれろ」の意識にどっぶり浸かってしまった社員記者に、建前はともかく、いざという時、本気で外の権力に立ち向かうエネルギーが湧いてくるはずはありません。

中間管理職は、トップ・派閥の領袖の顔色を覗い、ヒラの記者にも敏感に伝わります。中には要領よく、上の意向を仲間に伝えるため、走り回る輩も現れます。日本ジャーナリズムの底の薄さ、理不尽に記事を止めたり、私的な報復人事が罷り通る土壌は、派閥体質に起因するのです。

もちろん私は、「派閥の権化」の箱島社長に、「報道の使命」とか、「倫理」などを言って文書を提出しても、通用する相手ではないことは十分承知していたつもりです。人からの批判をもっとも嫌う体質の持ち主ですから、素直に耳を貸してくれるとの甘い期待もありませんでした。編集局長に送った時と同様、社長に言うべきことはすべて文書にして言い、後々の証拠として残すためでした。

その頃、箱島社長は「三大改革」について、広く社員から意見を求めていました。「改革」の方向性についての意見具申の形にし、幾分かの挑発も混じえました。そうすることで、箱島社長が何らかの返事をして来るのか否か、見守ることにしたのです。