1. 新聞を読む事と知力の発達は関係あるのか? 我田引水の『新聞協会報』の記事、背景に新聞に対する軽減税率適用の問題

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2014年04月08日 (火曜日)

新聞を読む事と知力の発達は関係あるのか? 我田引水の『新聞協会報』の記事、背景に新聞に対する軽減税率適用の問題

『新聞協会報』(2014年1月14日)は、新聞を読むことが子供の知力の発達を促すとする観点から、新聞の優位性をPRする記事を掲載した。タイトルは、

新聞読む子供、正答率高く

学力テスト 文部省分析 閲読習慣と相関関係

と、なっている。この記事によると、「新聞をよく読む児童・生徒ほど全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で正答率が高かった」ことが「文部科学省の分析で明らかになった」という。記事の冒頭には、次のような記述がある。

文科省が公表したクロス集計結果によると、小6国語Aでは、新聞を「ほぼ毎日」読んでいると答えた生徒の正答率は69.4%、「週に1?3回」は67.0%、「月に1?3回」は63.1%、「読まない」は59.3%だった。新聞を頻繁に読む生徒ほど、正答率が高かった。

 中3国語Aでも「ほぼ毎日」が80.3%、「週に1?3回」80.0%、「月に1?3回」77.6%、「読まない」75.4%だった。

 算数、数学でも同じ傾向だった。小6算数Bでは、「ほぼ毎日」読む児童は「読まない」児童より、正答率が9.7ポイント高かった。中3数学Bでも8.8ポイント高い。文科省初等中等教育局の八田和嗣学力調査室長は「新聞などで培った言語力は、問題文の理解に役立つだろう」と話す。

注意深く記事を読むと、新聞をPRするために、不自然な論理をこじつけた記事であることがわかる。このような記事を掲載した背景には、新聞に対する軽減税率適用の是非をめぐる議論が、今後、高まることが予測される中で、新聞協会が新聞の優位性をPRする戦略にでた事情があるようだ。

が、新聞協会が情報源とした文科省実施の調査は、科学的な視点を欠いている。情報源となる調査そのものが非科学的なので、記事もずさんなものになっている。それでもあえて記事掲載に踏み切った背景に、新聞協会のあせりがかいま見える。

まず、学力向上と新聞を読む行為の関係を調べるためには、その前提として調査対象を同程度の学力の児童・生徒に限定しなければならない。その上で新聞を読むグループと読まないグループに分けて、一定の期間を経た後に学力テストを実施して、成績を分析しなければならない。

さらに同程度の学力グループを対象として、たとえば新聞を読んだグループと夏目漱石の小説を読んだグループに分けて、一定の期間を経た後に成績の変化を分析しなければならない。

教育問題の専門家にアドバイスを求めれば、他にもたくさん基本的な留意点の誤りがあるかも知れない。

◇ あいまいな結論

『新聞協会報』の記事では、「新聞読む子供」は学力試験の正答率が高いといことになっているが、逆説的に考えると、もともと学力が高く文字に親しむ習慣があるから、新聞を読む習慣が身に付いた可能性もある。実際、同記事の最後の方に、とってつけたように次のような記述もある。

アンケートでは学校側にも生徒への指導方法を尋ね、国語で「さまざまな文章を読む習慣を付ける授業」を行った学校の方が、生徒の平均正答率は高いとの結論が出た。

ところが『新聞協会報』では、「新聞読む子供、正答率高く」にすり替えられているのである。善意に解釈すれば、「さまざまな文章を読む習慣を付ける授業」が学力を伸ばすので、新聞を国語の授業に取り入れるべきだと言いたいのだろう。

◇ 知力の発達

が、こうした単純な学力観は、根本から間違っている。  1977年に出版された『知力の発達』(岩波新書)という本がある。37年前に出版された本である。

わたしは発達心理学の専門家ではないので、断定的なことは言えないし、間違っている可能性もあるが、おそらくこの本が出版されたころから、学力観が大きく変化しはじめたのではないかと思う。

わたしがこの本を記憶しているのは、当時、小学校の教師をしていた父が、この本に強い感銘を受けていたからだ。

かつて教育界では、「知力生得説」が絶対視されていた。知力は生まれながらに決まっていて生涯を通じて変化しないとする説である。そのために知能指数が過信されていたのである。

ところが『知力の発達』によると、知力というものは、外界との交わりの中で常に変化していくとする発達心理学の最新の理論を紹介していた。「外界との交わり」とは、具体的には、次のような状況である。

Aさんは冤罪で逮捕された。不幸しにてAさんは法律がまったく分からない。そこで冤罪を立証するために、弁護士や支援者の話を熱心に聞いて、法律の本も読むようになった。その結果、自分で冤罪を立証できるようになった。

Bくんは算数の勉強よりも、野球に熱心だ。算数はできないが、野球に関しては、主なメジャーリーガーの打率まで記憶している。

「Aさん」、「Bくん」の例は、自分の内部にある強い関心事(興味)をベースとして外界に働きかけ、並ならぬ知識を獲得した例である。

これらの例から分かるように、知力というものは、自分の関心事と常に結合しているものであって、静止的なものではない。従って新聞に関心がない小学生に新聞を「押し付け」ても、知力の発達を促すことは期待できない。

知力というものは、外界との交わりの中で変化するものであって、個々人の関心事と密接に結びついている。新聞を読んだから発達するとか、小説を読んだから発達するといった単純なものではない。

新聞が小学校や中学校の国語教育の教材として本当に適切なのかを、文科省と新聞人は再考する必要があるのではないだろうか?

余談になるが、野村進著『脳を知りたい』には、小学生で『源氏物語』を読みこなしたが、その後、勉強嫌いになってしまい、『源氏物語』の内容も忘れてしまったというエピソードが紹介されている。小学生の興味と『源氏物語』がマッチしていなかったのだ。