1. 新聞ジャーナリズム批判、「記者無能論」の視点が延々と40年間

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2013年02月21日 (木曜日)

新聞ジャーナリズム批判、「記者無能論」の視点が延々と40年間

冒頭に次のようなクイズを設定する。

問題:新聞ジャーナリズムが厳しい批判を受け、新聞批判の本が次々と出版されているが、メディア業界の動向を伝えてきた雑誌『創』に以下の記事(座談会)が掲載されたのは何年度か?

【1】最近は新聞マスコミ批判の本を出版するとかなりの部数が売れるといわれています。これはそれだけ、新聞に対する読者の批判が潜在している証拠ともいえるのではあるまいかと思うんです。

最近の新聞批判には、組織として新聞社機構のあり方や、ジャーナリズムとしての新聞の本質というものが現れているように思うんです。

現在の新聞は、題字をかくしてしまえば何新聞か一般には区別はなくなる。読者のほうも、紙面内容によって新聞を選ぶ人は全体の2割しかいないといわれている。

ぼくは、フリーライターの怨念ということでなく記者クラブは危険だと思っています。たとえば最近は、地方の警察へ事件の取材へ行っても、次長クラスは、記者クラブに話すからと、われわれには情報を与えない。逆にいえば、警察などは、記者クラブだけを相手にしていれば、・・・

【2】新聞が本来やってきたのは、インフォメーション。フォームにする、形にする。つまりデータをもとに意味付けをし、判断を付け加えて形にするのが新聞の役割だとされてきた。  ところが今は、データをどう判断するかが非常に弱くなっている。僕はそこが今の新聞の一番問題な点だと思います。

 新聞の一番の問題点は、上半身と下半身がこれまで切り離されていた。上半身でカッコいいことを言いながら、下半身では販売の問題も含めて無茶苦茶なことをやってきた。

? 例えば兜町のクラブの生態を観察している記者の話などを聞いてみると、我々が考えている以上に、感性が麻痺しているといった面はありそうですよ。実際、今度こういう株が売り出されるんですが、と誘いを受け、資金まで用意してもらい、買って儲けて、提灯記事も書く、という三位一体の記者活動をしている奴がいる、と証言する者がいる。

【3】国際社会に対して、日本はどう主張していくのか。新聞をいくら読んでもそういった視座や論点に皆目、お目にかかれません。この国のジャーナリズムはどうなっているのかと思います。

社会的な立場・身分として、今の記者は企業ジャーナリストであって、職業ジャーナリストになっていない。企業ジャーナリストとしてのマインドが、従順なジャーナリズム、政府と一体化するジャーナリズムを作ってしまったと思います。私はその事を問題視してきたのですが、突破口は見つけられませんでした。

回答は次の通りである。

【1】1977年2月号、「日本の新聞人に危機意識はないのか!

【2】1992年5月号、「新聞ジャーナリズムの危機とは何か」

【3】2012年4月号、「新聞ジャーナリズムの危機」

40年近く、延々と同じパターンの新聞批判が繰り返されているのだ。このような実態を前に、わたしが思い出すのは、滋賀販労の沢田治氏の言葉である。

新聞社は紙面を批判されても何の痛痒も感じない

40年にわたって行われたきた新聞批評の最大の欠点は、ジャーナリズムをダメにしている客観的な要因を、新聞社のビジネスモデルの中に見出していないことである。すなわち新聞社最大の問題である偽装部数をタブ視してきたことである。

この問題から視線をそらすこと自体が、ジャーナリズムのあるべき姿に著しく反している。それはちょうど終戦直後、日本の新聞社が最も重要で、かつ最も避けたかった問題??戦争責任の検証を回避した態度と共通している。

これ以上、同じ視点の新聞批判を続けても、新聞社は変わらない。