「押し紙」(新聞の偽装部数)問題の背景にある意外なメディア・コントロールの手口
新聞の偽装部数(「押し紙」)や「折り込め詐欺」(折込チラシの水増し、あるいは「中抜き」)の何が問われるべきなのだろうか?新聞の商取引に不正な金銭がからんでいることは、誰にでもわかる。
しかし、商取引の諸問題とは別次元で、見過ごされがちな、もう一つの問題がある。結論を先に言えば、新聞の「闇」が、政府、警察、公取委といった権力の中枢にいる人々によるメディア・コントロールの恰好の道具になっている可能性である。
仮に次のような状況を想定してほしい。現在、憲法改正が国民的な関心を集めている。改憲に踏み切りたい政府に対して、(実際にはあり得ないが)中央紙が護憲のキャンペーンを展開しはじめたとする。
これに対して政府は警察庁に働きかけて、「押し紙」問題と「折り込め詐欺」を刑事事件として扱うように指示した。この点が新聞社の最大の泣き所であるからだ。
かりに日本全国の新聞社がかかえる「押し紙」が3割と仮定する。この場合、 公権力が「押し紙」を摘発すれば、単純に計算して、新聞社の販売収入は3割減る。さらに紙面広告の媒体価値を決めるさいに考慮される新聞の公称部数も、「押し紙」の排除に伴って減数されるわけだから、広告収入も激減する。
そうなるとバブル崩壊のような現象が起こりかねない。「押し紙」の存在を前提とした予算規模で行ってきた新聞社経営が不可能のなる。
このような構図を逆説的に考えると、公権力は、新聞ジャーナリズムをコントロールするために、「押し紙」や「折り込め詐欺」を故意に放置しているともいえる。ここに日本の新聞ジャーナリズムが徹底した権力批判ができない本当の原因があるのだ。
◆戦中と同じ言論統制の手口
これに関して思い出すのは、新聞研究者の故新井直之氏が『新聞戦後史』(栗田出版)の中で指摘している戦前から戦中にかけての言論統制の手口である。新井氏は、日中戦争の影響で新聞用紙の生産が減り続け、1938年に新聞用紙使用制限令ができたことを指摘した上で、次のように述べている。
1940年5月、内閣に新聞雑誌統制委員会が設けられ、用紙の統制、配給が一段と強化されることになったとき、用紙制限は単なる経済的意味だけでなく、用紙配給の実権を政府が完全に掌握することによって言論界の死命を制しようとするものとなった。
新井直之氏は、時の政府が新聞社経営のアキレス腱を抑えることで、新聞をコントロールしていたと主張しているのだ。 ? 現在の新聞社のアキレス腱が、「押し紙」問題が誘発する不透明なABC部数や「折り込め詐欺」であることは言うまでもない。
◆新聞社の不正行為を故意に放置
改めていうまでもなく、日本の新聞ジャーナリズムの問題は、公権力がメディアをコントロールするための道具として、新聞の「闇」を認識していることである。新聞社を相手に政策論争しても、政治家には勝ち目がない。特に保守系の2世議員の中には、 職能そのものに問題があるバカ息子が多く、仮に新聞が特定の政策に対して批判キャンペーンを展開すれば、防戦一方になる可能性が高い。
そこで浮上しているのが、新聞社の不正行為を故意に「泳がし」、それにより不正な「企業活動」を「支援」する構図である。
こうした客観的な構造、問題点を無視して、いくら新聞を論じても、新聞ジャーナリズムは再生できない。記者個人の職能問題とは別次元の問題があるのだ。