1. 米国のGHQが残した2つの負の遺産、天皇制と新聞社制度、公権力が「押し紙」にメスを入れない理由

新聞業界の政界工作に関連する記事

2022年08月06日 (土曜日)

米国のGHQが残した2つの負の遺産、天皇制と新聞社制度、公権力が「押し紙」にメスを入れない理由

「押し紙」問題が社会問題として浮上したのは、1970年代である。80年代の前半には、共産党、公明党、社会党が超党派で、国会を舞台に繰り返し「押し紙」問題を取り上げた。しかし、結局、メスは入らなかった。

今世紀に入って、「押し紙」の存在を認定する司法判断も下されているが、依然として解決するまでには至っていない。日本新聞協会に至っては、現在も「押し紙」の存在そのものを否認している。公正取引委員会や警察による摘発の動きも鈍い。政治家も新聞研究者も「押し紙」問題とのかかわりを避ける傾向がある。

わたしはこうした状況の背景に、新聞社が権力構造の歯車として機能している事情があると考えている。次に紹介するインタビューは、1998年にわたしが成城大学の有山輝雄教授に行ったものである。(『新聞ジャーナリズムの正義を問う』に収録)

有山教授は、現在の新聞制度は、GHQが戦前戦中の新聞制度をそのまま移行したものである旨を述べている。公権力が「押し紙」を放置して、新聞社に便宜を図ってきた背景がかいま見える。

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【有山】戦後の初期、新聞ジャーナリズムは機能し、その後に腐敗堕落したと考えている人もいますが、私はそうではないと思います。基本的な体質は創業から同じであって、それは新聞人の個人的な問題ではなくて、ひとつのシステム(体制)の問題があるからです。新聞が社会制度の中に組み込まれて来たわけですから。

--戦後、新聞を改革できなかった理由は?

【有山】アメリカが、日本を民主化しようとしたといっても、一面では自分たちの国益を優先したわけです。考え方によっては、日本の新聞社の戦争責任を追及して、新聞社を全部つぶすことも選択肢としてはもっていたわけです。しかし、アメリカは国益を守るためには今ある新聞社を利用する方が都合がいいと考え、新聞の制度それ自体はいじらなかった。独占禁止法を導入し、朝日、読売、毎日などの独占を言葉の上では批判し、分割することもひとつの選択だったわけです。しかし、それをやれば、日本国内が混乱するので、避けようという判断だったのだと思います。

--新聞はなぜこうしたみずからの歴史や戦争責任を検証しないのでしょうか。

【有山】新聞ジャーナリズムの側としては、戦中、戦前から一貫して天皇制を保持しようとした。ですから戦争責任を追及すれば、自分の責任も問われることになる。戦争責任をあいまいにすることは、自分の戦争責任をあいまいにすることに繋がっているわけです。それは、アメリカの政策にとっても好都合だったわけです。責任があるのは軍人で、たとえば東条英機が悪かったというふうに軍部に責任を押し付けて、それ以外の者は操られていたからやむを得なかったという考え。これはアメリカの一部の進歩的な政治家や外交官などの考え方と一致しています。

彼らは、戦時中の日本の体制は結局、軍国主義者が悪かった、日本の国内にはリベラルな政党や政治家もいたし、財界の中にもリベラルな人物がいた。しかし、軍人が悪かったと考えた。こうしたアメリカ流の認識は、日本のジャーナリズムにとっては、非常に都合のいい言い訳になったのです。自分たちは嫌々ながら強制されてきたというふうにしてしまえば責任を免れますからね。

意見が変わるということはだれにでもあることです。しかし、膨大な数の読者に対して、新聞社が指導的な意見として表明した見解を変える時には、自分たちの過去をきちんと点検して、どこに間違いがあって、どう見解を変えたのかを明らかにしなくてはなりません。それが言論報道機関の責任だと思いますが、そういう作業は避けて、うやむやに問題を処理して、しかも自分たちは指導者だという意識だけはいつも保持している。今でも8月になれば、たいていの新聞社が政治家などに
対して、「歴史を見ていない」とかいった訓示めいたことをいうわけですが、自分自身の歴史を正しく検証しないで、人に歴史を直視しろといったところで、説得力はありません。

 

冒頭写真:読売新聞社などが主催する作文コンクールのポスター