1. 【連載】新聞の偽装部数 「押し紙」の洪水に流された男 月間27トンの新聞紙と格闘

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2013年03月12日 (火曜日)

【連載】新聞の偽装部数 「押し紙」の洪水に流された男 月間27トンの新聞紙と格闘

1980年代に繰り広げられた国会を舞台として新聞販売問題の追及が終わったのち、新たに深刻な偽装部数問題が浮上してくるのは、今世紀に入ってからである。1990年代に全国で破棄された新聞や折込広告の量は、おそらく天文学的な数字になる。「押し紙」専門の古紙回収業が一大産業として成立した事実がそれを如実に証拠ずけている。

これだけ異常な実態になっていながら、政府が新聞社の保護をやめなかったのは、彼らを政府の広報部として活用する価値があるとみなした結果だと思われる。「チンチンをする犬」でいる限り、新聞社は敵視する性質のものではなかった。と、言うもの現代の政治は、世論誘導なくして政策実現は難しいからだ。むしろメディアを自分たちの権力構造に引き込みたいというのが本音ではないか。

今世紀に入ったころ、わたしは栃木県の販売店(中央紙)で働いている青年から内部告発を受けた。自分の店では、毎朝、4000部の新聞が搬入されるが、そのうちの偽装部数2000部を捨てているというのだ。もちろんこの2000部にセットになっている折込チラシも、広告主に秘密で破棄している。

最初、事情を聞いたとき、わたしは話に誇張があるように感じた。取材もしなかった。4000部のうち2000部を破棄するような神経は、普通の人間ではもちえないと思ったのだ。カリスマ的な人物から洗脳でもされない限りは、ありえないと思った。

ところがその後、わたしの所へ、「うちの店では偽装部数の比率が4割に達している」とか、「5割に達している」といった情報が次々と入ってきた。このうち産経新聞四条畷販売所の今西龍二さんは、産経本社を相手に提訴に踏み切った。

今西さんに裁判資料を見せてもらったところ、確かに92年から02年の10年間における搬入部数は約5000部で、実配部数は2000部?3000部だった。常識を超える異常な数値だった。

今西さんは、販売店経営をはじめたころ、注文していない新聞がどんどん送られてくるのに戸惑ったという。

「店舗の中もわたしの寝室も、そこら中が新聞だらけになってしまい、たまりかねて産経本社に部数を減らすように電話すると、『小屋を建てろ』と言われました」

安部公房の『砂の女』には、押し寄せてくる砂と戦う男が描かれているが、今西さんは、次々と搬入される新聞の山と格闘するようになったのである。断っても断っても紙の洪水が押しよせてくる。寝室も、店舗も、台所も新聞だらけになってしまったのである。

そして、ブリキ張りの「押し紙」小屋を建築して、ようやく一息ついたのだ。

今西さんから入手した「押し紙」回収業者・ウエダの伝票は、四条畷販売所から回収した偽装部数の量を示している。たとえば2001年8月の場合、回収回数が9回で、総計27トンを回収している。

◇「押し紙」は否認定も、偽装部数は認定

判決は、今西さんの訴えを棄却した。産経に損害賠償責任は生じないという判断だった。その主な理由は、新聞が過剰になっている実態を産経が把握していなかった上に、今西さんが搬入部数を減らすよう求めなかったからというものである。

過剰な新聞を断ったのに、それでもなお押し売りしたのであれば、「押し紙」にあたるが、そもそも断った証拠がないので「押し紙」ではないという新聞社の主張を認めたのである。

しかし、産経が賠償責任を免れたことが、偽装部数の不存在を意味するものではない。新聞社が独自に定義する狭義の「押し紙」(強制的に買い取らせた証拠がある新聞)は、存在しなくても、広義の「押し紙」(残紙)は存在する。

事実、判決は次のように偽装部数の存在を認定している。

原告の配達部数は、徐々に減少し、平成13年ころには約3000部程度までに落ち込んでいたことがうかがわれる。この間、原告が被告に対し本件契約に基づく取引部数を減少するように申し入れをした的確な証拠は見あたらない。すなわち、平成13年ころには、原告と被告の取引部数5100部と原告の実売部数約3000部との間に約2100部の差が生じていたことになるが、この間の事情を被告において把握していたことを認めるに足りる的確な証拠は見当たらない。

このような論理が広告主の立場をまったく配慮していないことは論を待たない。広告主にとっては、公称部数そのものが偽装されていること自体が問題なのだ。新聞社が押しつけた新聞であろうが、販売店が自主的に仕入れた新聞であろうが、公称部数がウソであることが問題なのだ。