歯止めがないNHKによるスポーツ中継、「心がけが情況を改善する」という誤まった思想-観念論で国民を洗脳、
NHKによるスポーツ番組が止まらない。
7月23日に東京オリンピックが始まってから、8月8日に閉幕するまでの期間、NHKは総合テレビ、教育テレビ、BSを総動員して国際試合を中継した。しかも、世界の最高レベルの競技よりも、日本人選手の活躍に焦点をあてた。
オリンピックが終わると今度は、夏の全国高校野球の中継に移った。高校野球が終わるころになると、次はパラリンピックに照準を合わせるだろう。
NHKはスポーツ・ドキュメンタリーも多数制作している。異常なまでにスポーツ番組を重視している。その背景には、「国策放送局」としての特殊な役割がある。観念論による洗脳である。
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NHKのスポース番組は、政府の文教政策の柱である「心の教育」に連動している。意図的に国民を観念論で染め上げる役割を果たしている。
観念論というのは、簡単に言えば、「心がけが情況を改善する」という哲学上の類型である。そこで重視されるのは、努力、従順な姿勢、他人への思いやり、道徳などである。それを養うために、スポーツ中継とスポーツド・キュメントは、格好の材料になる。
あるアスリートがオリンピックを目指す。そこに困難が降りかかる。その壁を努力で克服して栄光をつかみ取る。このようなストーリーに競泳の池江璃花子選手などは合致している。
高校野球にも同じパターンの筋書きがある。甲子園で勝利して、校旗の掲揚を見ながら校歌を歌う。ほとんど同じような歌詞。軍歌のリズム。頭は丸刈り。インタビューに応える高校生の中には、旧日本軍の兵隊のように「自分は・・」と言っている者もいる。
こうした報道に無意識に接しているうちに、視聴者は、「心がけ」の大事さを感じるようになる。特に若年層がこうした世界観を身に着けてゆくのである。これが洗脳というもので、大半の人には、それが認識できない。
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しかし、「心がけが情況を改善する」という考えは、基本的には間違っている。たとえば会社での待遇が悪くても、「心がけが情況を改善する」と考えるひとは、労働組合などに参加しなくなる。
逆に、残業を積極的に行い、上司の命令を盲従するようになる。それが自分が豊かになる道筋だと勘違いしているからだ。
コロナウイルスの感染対策にしても、国民の心がけに期待することが感染対策ということになる。PCR検査を広範囲に実施して、客観的な感染状況を把握した上で、科学的な対策を講じる重要性が理解できない。
菅内閣がコロナ対策に失敗した理由は単純で、内閣の面々が観念論者の集まりであるからだ。
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ただ、厄介なのは、心がけを重視する考えがまったく根拠のないものではない点だ。心がけをよくする方が、しないよりもいいのは当たり前で、それゆえに観念論の間違いを根本的に認識できない事情があるのだ。と、いうよりも観念論の対局にある唯物論の哲学を理解しない限り、観念論の何が間違っているかを認識することは難しい。そういう機会は、日本の学校教育の中では皆無に等しい。悲劇と言っても過言ではない。
唯物論というのは、「存在が意識を決定する」という哲学の類型である。中国など社会主義を目指す国々で浸透している考え方だ。
唯物論の哲学は、社会を改善するためには、心がけよりも、社会そのものの仕組みを変革する必要があるという考えに立っている。心がけが先ではなく、客観的な要素を変化させることを優先する。それは中国と日本のコロナ対策の違いなどに典型的に現れている。
このところはやりの「修正」マルクス主義の考えも、観念論の類型である。これは、資本主義から社会主義へ経済の仕組みを変えることを目指すのではなく、人間の善意により資本主義を手直しして、現体制を維持しようという考えである。それゆえに実は、何の解決にもならない。悪質な欺瞞(ぎまん)である。
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朝日新聞によると、「注目度が高い科学論文の数で、中国が米国を抜いて初めて首位となる一方、日本はインドに抜かれ、2桁台の世界10位に転落した」という。中国が台頭した背景には、科学の基本である客観的な事実を把握する唯物論の考えが定着している情況があると、わたしは推測している。日本が中国に太刀打ちできなくなったのは、ある意味では当然の結果なのだ。
学校で教えている思考体系の基本が中国と日本では異なっているのだ。
ロシア革命の後に、ソビエトの科学が急速が発展した。特に心理学や教育学の面で著しい成果をあげ、留学先に米国よりもソ連を選ぶひとも多かった。その背景に、唯物論をベースとした科学の発達があった。逆説的に言えば、科学は唯物論を優先しているのだ。
日本では、唯物論と観念論の違いを学ぶ機会すらない。マスコミを通じて、観念論の思考が際限なく広がっている。
とりわけNHKのスポーツ番組の責任は重い。