1. 信用できない国境なき記者団の「報道の自由度ランキング」、ヨーロッパ偏重と第3世界に対する偏見

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2016年04月25日 (月曜日)

信用できない国境なき記者団の「報道の自由度ランキング」、ヨーロッパ偏重と第3世界に対する偏見

国境なき記者団が毎年発表するデータのひとつに「報道自由度ランキング」がある。2016年度、日本は72位だった。前年は61位だから、ランクを落としたことになる。

日本でメディアに対する規制が強まっているのは事実だが、かといって「報道自由度ランキング」をそのまま信用していいかどうかは別問題だ。巷には、「報道自由度ランキング」のデータを検証もせずに鵜呑みにして、それを前提とした評論が溢れているが、わたしはこれほど信用できないデータはないと考えている。

ヨーロッパ諸国へ偏重し、第3世界の国々に対する偏見に満ちている。

◇主観的判断を序列化することは不可能

まず、第一の疑問だが、「報道の自由度」は主観的なものであり、客観的に測定するには無理がある点だ。それを序列化しているわけだから、科学的な視点を完全に欠いている。たとえば72位と71位の違いをどう説明するのだろうか。誰も説明できないだろう。

第二に個々の国の評価に焦点を当ててみると、その国で起こっているメディア状況とランキングが一致していないと感じられる例がみうけられる点だ。もちろん、既に述べたように報道の自由度は、個々人により異なる主観的なものなので、序列化そのものがナンセンスだが、それにもかかわらず明らかにおかしな評価がある。

たとえば中米のグアテマラの評価である。グアテマラの順位は121位で、「報道自由度ランキング」からすれば、報道の後進国ということになる。

わたしは中米を取材してきたこともあって、この国の内情を知っている。結論を先に言えば、前世期までのグアテマラと今世紀に入ってからのグアテマラは、著しく異なっている。日本における戦前と戦後の違い、あるいはそれ以上の変化がある。

国境なき記者団の脳裏には、前世期のグアテマラのイメージがあるのではないか。この国では、内戦中の1980年代の初頭に軍事政権による人権侵害が大問題になった。

米国の人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、ルーカス・ガルシア将軍が大統領職にあった1980年代初頭の2年間だけで、約4000人の市民が軍部に殺害された。この中には、グアテマラの最高学府サンカルロス大学の教授97人、学生約500人、宗教関係者207人、ジャーナリスト47人が含まれている。

ルーカス・ガルシア将軍の後継者として大統領になったのは、やはり軍人のリオス・モント将軍だった。実はリオス・モント将軍こそがグアテマラの激変を語る上で欠くことができない象徴的な人物なのだ。これにつては後述する。

◇リオス・モント裁判と報道

36年に及んだグアテマラ内戦は1996年に終わった。和平が成立したのだ。この時点から、グアテマラは急速に民主主義を取り戻していく。

民主主義を「取り戻していく」と書いたのは、もともとこの国はラテンアメリカの中では、民主主義の先進国であったからだ。1944年から1954までの10年間、「グアテマラの春」と呼ばれる時代があった。

当時の政府は、ルーズベルトのニューディール政策を基調としたリベラル右派の政権だった。政府は、極めて民主的な改革を押し進めていた。当時、大きな課題になっていたのは、不公平な農地配分だった。

グアテマラ政府は、この農地改革に着手した。が、当時、グアテマラで大規模な農場を経営していた米国の多国籍企業・UFC(ユナイテッド・フルール・コンパニー)の土地に手を付けたとたんに、CIAとUFCの謀略による軍事クーデターが起こり政権が崩壊したのである。

以後、グアテマラには鉄条網を張り巡らしたような軍事政権が敷かれる。これに対抗してゲリラ活動が浮上し、泥沼の内戦に突入したのである。内戦の実態は、米国の映像ジャーナリストらの手で記録されている。たとえは、次のドキュメンタリーである。

96年の和平後、内戦の検証がはじまった。その中で軍部が北部の山岳地帯で先住民に対するジェノサイドを繰り返していたことが、秘密墓地の発掘などにより証拠ずけられたのである。

そしてジェノサイドを指揮した元大統領、リオス・モントが法廷に立たされた。そして裁判所は、2013年5月、リオス・モントに対して禁固80年の判決を言い渡したのである。この裁判には、約200人の人々が証言台に立った。

これは米国の独立系放送局が放映したもので、裁判官が判決を言い渡す場面やリオス・モントの戸惑った様子を中継している。同じ動画は、グアテマラの地元紙(電子版)でも掲載された。かつて2年間でジャーナリスト46人を殺害した同じ国で、ジャーナリストが裁判を実況中継できるまでの変化を遂げたのである。

日本では、開廷前の「撮影時間」を除いて、法廷の様子を撮影することが禁止さている。報道の自由度では、ある意味でグアテマラの方が先を走っているのだ。

もちろん激変しているのは、メディアだけではなく、その前提として、裁判所が厳密に政治権力から独立するまでに至っている事情もある。政治だけが前近代的で、報道の自由度だけ高いなどということはあり得ない。

◇ヨーロッパ偏重の傾向

さらに今年に入ってからグアテマラでは、18人の元軍人が逮捕され、戦争犯罪を問われることになった。その様子もカメラに記録されている。

こうした動きを政治の権力争いと捉えれば、国境なき記者団の121位というランキングも正当化されるかも知れないが、権力争いでないことは、グアテマラの同時代史を調べればすぐにわかることだ。

国境なき記者団は、ヨーロッパ偏重で、発展途上国のジャーナリズムなど検証もしていないのではないか。

ちなみに米国のランキングは、42位だがこれも明らかにおかしい。米国のジャーナリズムが衰退しているという話は聞くが、やはりジャーナリズムの大国であることは疑いない。グアテマラ内戦を記録したのも、やはり米国の映像ジャーナリストたちだった。ヨーロッパでも日本でもなかった。