1. ラテンアメリカで展開される「反共プロパガンダ」、米国資金とSNSが主役に、ニカラグア革命42周年

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ラテンアメリカで展開される「反共プロパガンダ」、米国資金とSNSが主役に、ニカラグア革命42周年

ニカラグアは、7月19日に42回目の革命記念日を迎える。

1979年7月17日、明け方の空へマイアミに向かう一機の自家用ジェット機が姿を消した。ソモサ独裁政権が終わった瞬間だった。その2日後、7月19日にFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が首都を制圧した。

それから42年、ラテンアメリカは大きく変化した。軍事政権の時代が終わり、議会制民主主義が定着した。左派勢力が台頭し、それを押し戻そうとする勢力がメディアを武器に攻勢を強めている。

7月11日には、キューバで反政府デモが行われた。キューバ政府は、その背景に米国によるメディアを取り込んだ戦略があると分析している。

実際、反政府デモに対抗するキューバ政府支援のデモを米国のメディアが撮影して、「反政府デモ」と報じた。ニューヨークタイムス紙やガーディアン紙も、このフェイクニュースを掲載した。ツイッターによる世論誘導も行われた。「反政府デモ」のPRが拡散される一方で、親キューバのアカウントが凍結される現象も起きた。世論誘導にもSNSが入り込んできたのである。

もっとも露骨なフェイクニュースの例としては、ハイチの大規模な反政府デモを、キューバの「反政府デモ」として、インターネットに動画が配信されたことである。

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ニカラグア革命に対する「反共プロパガンダ」は、わたしが知る限りでは、既に1980年代の初頭には活発化していた。レーガン政権下で、当時、わたしは米国に在住していた。メディアは、ニカラグアの新政権について、背景にソ連とキューバが控えていると批判していた。そしてレーガン政権が資金援助して育成した反政府ゲリラ「コントラ」を、「フリーダムファイターズ(freedom fighters )」と呼んでいた。レーガン大統領も、「フリーダムファイターズ」への支援を繰り返した。

しかし、実際にわたしがニカラグアへ行ってみると、米国のメディアが報道していた実態とは異なっていた。言論統制のようなものはなにもなく、反政府の立場を取る人々からも自由に話を聞いた。経済封鎖の影響で首都では貧困が広がっていたが、農村に関しては革命後に生活のレベルが上がったという声が多く聞かれた。

その後、ニカラグアはFSLN政権から保守政権に移行するが、2007年に再びFSLNが政権に就く。このころから、再びメディアを使った米国主導の「反共プロパガンダ」が展開される。FSLNに批判的な世論を育て、「市民運動」を育成し、国を混乱に陥れて政権交代を企てる米国の世界戦略の一端である。

当然、米国は「市民運動」への資金援助も行っていた。こうした事実は、ここ数年のあいだに急激に証拠づけられるようになった。米国内の公文書の非開示期間が切れて、公文書が開示されるようになったことが背景にある。アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)が、ニカラグアの主要紙、ラ・プレンサ紙に「反共プロパガンダ」のための資金援助を続けていた事実も明らかになっている。

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ニカラグアに続いて、ベネズエラもニカラグアと同じ「反共プロパガンダ」のターゲットになってきた。2013年にチャベス大統領が死去した後のことである。大統領の指導力の衰えに米国が付け込んできたのである。

米国ドルで「市民運動」を育成し、世論を誘導し、反政府勢力を広げていったのである。そしてベネズエラの混乱をすべて左派政権の失策としてPRし、政権の転覆を企てるようになったのである。

ボリビアでも、米国は同じ戦略を取った。

ニカラグア、ベネズエラ、ボリビアの3カ国では、いずれも米国が後ろ盾になったクーデターが実行された。しかし、ニカラグアとベネズエラでは完全に失敗した。ボリビアではモラレス大統領の追放には成功したが、その1年後に新政権は崩壊した。結局、クーデターの試みはすべて失敗したのだ。

米国のキューバに対するメディア戦略は、1959年の革命後にはじまっている。キューバは、米国のマイアミと距離的に近いので、ラジオを使ったPRも展開されてきた。経済封鎖の下で、商品にあふれた米国の消費社会をPRするだけでも、反政府勢力を育成する栄養になる。米国的な「自由」を求める人々が増える。こうした層を組織すれば、キューバの政権を倒せるというのが、米国の目論見だったようだ。

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さらにメディアを使った「反共プロパガンダ」は、香港でも展開されてきた。米国からの「市民運動」へ活動資金が流れていることも、文書類で確認できる。ただし香港の場合、わたしが確認した資金源は、米国民主主義基金(NED)からのものだった。

わたしは香港を取材したことがないので、断言はできないが、香港の反政府世論もやはりメディアによるプロパガンダによって育てられた可能性が高い。特定の新聞社に米国からの資金が流れていたかどうかは、今後、公文書が開示されれば判明するだろう 。現時点では、それを裏付ける証拠は何もないが、ラテンアメリカにおける米国のメディア戦略を見る限りでは、その可能性が高い。日本で極右出版社が、ヘイト本で大儲けしているのと同じ実態だ。

中国政府は、「堪忍袋の緒」が切れたのだろう。強引な対抗策の出た。

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ウィグルを舞台とした「反共プロパガンダ」も、同じ脈絡で考えるべきだろう。事実、ジェノサイドを裏付ける具体的な事実はなにも明らかになっていない。ウィグル問題で「市民運動」を展開している人々がジェノサイドを主張する根拠は、海外にいるウィグル人の証言のみである。現地を取材することなく、中国政府を批判しているのだ。

わたしも含めて、現地を取材する余裕がないのであれば、米国の過去のメディア戦略を検証して、その脈絡に沿って現在の状況を推論するのが常識だ。その推論が、現地調査をした結果、間違っていたことが判明した場合にのみ、スクープ報道となるのだ。

こうした基本的な原則を無視すると、メディアが世論誘導の道具に変質する危険性がある。

インターネットの時代になり、メディアリテラシーはますます不可欠になっている。

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最初にニカラグアを訪れた2年後の1987年、わたしはメキシコシティーでひとりの亡命者に面会した。友人の叔父にあたるひとで、軍事政権下のグアテマラから亡命した医師である。

当時、ニカラグアは内戦と経済封鎖の影響で危機的な状況に陥っていた。亡命者の医師は、みずから経験した迫害を語りながら、ニカラグアが直面している厳しい現実を心配していた。

そして静かな語り口の中で、ふとこんな言葉を口にしたのだ。

「ニカラグアの人はみんな詩人ですよ」

わたしはこの言葉の中に、2つの意味を想像した。ひとつは文字通りの意味だった。ニカラグアは、ルベン・ダリオなど著名な詩人を輩出している。書店にも詩集が揃っていた。誇らしげに詩人を自称している農民にあったこともある。

詩人のもう一つの意味は、不当な暴力には屈しない純粋な心の持ち主という意味なのだと解釈した。

ニカラグア革命のその後を日本のメディアは報じない。もったいないことである。記者クラブに時間を割くよりも、こちらの歴史的な大問題の方がよほど大事なのである。

今年の11月、ニカラグアは混乱の中で大統領選挙をむかえる。