2018年08月20日 (月曜日)
安倍政権下で進むボランティアを道具にした世論誘導、従順で文句を言わない日本人の大量育成、無償奉仕は美徳か?
洗脳の基本的原理は、影のように忍び足で近づき、大衆の脳にある種の価値観を埋め込むことである。そのためには怪しまれないことが大前提になる。
「尾畠春夫」、「ボランティア」という2つのキーワードで、インターネットのニュースを検索すると、次々と記事の見出しがパソコンの画面に現れる。「尾畠春夫」とは、行方不明になった幼児の捜索にボランティアとして加わり、幼児を発見した「英雄」だ。尾畠氏は、その後、広島の被災地へ足を運び、そこでもボランティアとして復旧作業に協力している。
東京オリンピックへ向けて、マスコミが「ボランティア」を盛んにPRしている。災害が発生するたびに、ボランティア活動を大々的に報道している。そこには、人に優しいボランティアの姿が映し出される。
その映像を見て、多くの人が「無償で働き、それにより友愛が生まれ、社会が良くなる」という考え方に染まるだろう。いわゆる心がけの重要性を説く観念論哲学の拡散である。洪水のようにあふれるボランティアのニュースの中で、知らないうちに人々の意識に変化が生じるのだ。
これが世論誘導の輪郭なのだ。
その結果、被災地に投入される公的資金も限定されてしまい、2011年の3・11の後、いまだに避難生活を余儀なくされているひともいる。国が公的支援を放棄するに至ったのだ。
◇ただ働きの思想の普及
困っている人を無償で援助する行為を批判する人はだれもいない。実際、人助けそのものは立派な貢献である。だから批判の余地がまったくない。が、問題はその背景にある哲学なのだ。
「無償で働き、それにより友愛が生まれ、社会が良くなる」という考えは、実は著しい経済的格差が生まれている日本の社会構造、社会システムを支えるための哲学でもあるのだ。こうした意識を植え付けられた人々は、労働運動には参加しないだろう。「賃金を上げろ」とも言わないだろう。常に「和」を心がける人間に変質するからだ。
ボランティアのニュースをマスコミが洪水のように垂れ流すことによって、日本の支配層が求める従順な人間づくりが大規模に進行しているのである。
◇日本人は従順な民族ではなかった
しかし、こうした政治的側面が強い世論誘導は、今に始まったことではない。1960年代に文部省の中央教育審議会が打ち出した人づくりの方針-「期待される人間像」がその原点にある。そして、日本の文教政策は基本的には現在まで同じ路線を走ってきたのだ。
「日本人は大人しい国民性」だと言われてきたが、従順さは生まれながらの性質ではなく、意図的な国策の結果にほかならない。夏目漱石の「坊ちゃん」や石川啄木の「雲は天才である」(電子版)などを読めば、戦前の日本人がいかに自由闊達だったかが分かる。権力に対して決して従順ではなかった。
本来、マスコミは同時代で起きている洗脳のからくりを解明して、それに警鐘を鳴らさなければならない。しかし、日本の記者クラブ主導のマスコミは、世論誘導が進行中であることにすら気づいていない。
ヒトラーがベルリンオリンピックを政治利用したように、安倍首相は東京オリンピックを政治利用しようとしている。そのためのキーワードがボランティアなのだ。それを支援しているのが電通など、大手広告代理店である。