公取委が「押し紙」問題で中央紙を摘発しない本当の理由、背景にメディアコントロールの論理
警察、検察、公正取引委員、国会など企業や個人に対して特権をもった組織の方針が不透明きわまりない。森友学園事件で、安倍昭恵が何の取り調べも受けない異常が延々と続いている一方で、籠池泰典氏が自由を拘束され、留守になった自宅を競売にかけられようとしている。
マネーロンダリングで不正な還付金を受け取った森裕子議員(自由党)に対する刑事告発が不起訴になる一方で、鉄道でキセル乗車をして逮捕されたひともいる。こちらは建造物侵入容疑である。不正な金銭という点では、森氏の方がはるかに高額で悪質だ。
【参考記事】森裕子議員の不起訴を受けて、筆者らが新潟検察審査会に申し立て、小島健太検察官は法律をどう解釈したのか?
一体、何を基準として物事が展開しているのかまったく分からない。
公正取引委員会の「押し紙」問題に対する取り組みも不透明だ。わけが分からない。中央紙に対しては、一切タッチしないという方針があるのかも知れない。「ゆさぶり」をかけても、最終的には放置する方針があるのかも知れない。
筆者は公取委に「押し紙」の証拠を提出した販売店主を何人も知っている。古い例では、1981年に北田敬一氏(読売新聞鶴舞直売所)が、自店の「押し紙」に関する資料を提出している。これを機に、国会でも「押し紙」問題が取り上げられたのである。
その後も「押し紙」に関する資料は続々と公取委に届いている。新聞社販売局の社員も内部告発のかたちで、「押し紙」に関する資料を届けたと聞いている。公取委は多量の「押し紙」に関する資料を所有しているはずだ。
それにもかかわらず中央紙の独禁法違反を摘発しない。販売店主の自殺が社会問題になっているにもかかわらず動こうとはしない。国家公務員の義務を果たさない人々とは、彼らのことである。
◇新聞特殊指定の歪曲的な解釈
公取委の言い分は、おそらく新聞社が販売店に新聞を押し売りした確固たる証拠がない、というものだろう。証拠がないから独禁法を適用できないという主張だろう。
しかし、新聞特殊指定で意味する「押し紙」とは、「実配部数+予備紙」を超えた全新聞のことである。販売店側が過剰な新聞を仕入れることを承知していたから「押し紙」ではないという論理は成り立たない。「『残紙=予備紙』であるから、いくら残紙があっても、『押し紙』ではない」という詭弁もあるが、残紙を大量に回収している事実が確認されているわけだから、これらの新聞が予備紙としては使われていないことを意味している。従って残紙は予備紙ではなく、すべて「押し紙」である。それが特殊指定の解釈である。普通の商取引上の解釈とは区別して考えなければならない。
特殊指定を当たり前に解釈すれば、中央紙に対して独禁法を適用できるのである。
◇新聞社を揺さぶるための茶番劇
なぜ、公取委は、「押し紙」を放置するのだろうか。答えは実に簡単で、「押し紙」を取り締まらない事で、新聞の紙面を政府寄りにコントロールすることができるからだ。「押し紙」を排除すれば、新聞社の経営が破綻するか、大幅なリストラを迫られる状況があるので、それを逆手に取って、暗黙のうちに報道をコントロールしているのだ。
公取委の長は、内閣総理大臣から任命されることになっており、実態は公権力の歯車である。「押し紙」を排除して、政府のメディアコントロールのからくりを消し去るような方針はまず取らない。2006年ごろに公取委は、再版制度を撤廃する動きを見せたが、これも新聞社を揺さぶるための茶番劇だった可能性が高い。最初から再版制度を撤廃する意思などなかったのだ。筆者はそのように見ている。
新聞について論じるときに、ジャーナリズムの在り方も含め、「押し紙」問題を抜きにすることはできない。東京新聞の望月記者のような記者が次々と生まれてくる条件は存在していない。かりに新聞がジャーナリズムとして機能するようになれば、新聞社は「押し紙」問題で摘発されるだろう。
なにしろ安倍首相が「押し紙」問題を把握しているわけだから。
【参考記事】安倍首相は「押し紙」問題を把握している 新聞ジャーナリズム衰退の背景に構造的な問題